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生きることは線を生むこと

最近「ライン(line)」という概念に興味を持っています。

美大受験の時のポートフォリオ制作の過程で、布が透けているのは、それが糸というlineの複数の重なりから成り立っているからということに気づきました。(ポートフォリオの内容については他の記事で触れたいと思います)

それで思い出したのが2017年NYのチェルシーで見たRuth Asawa (1926-2013)の作品。

彼女はワイヤーを編み込んで半透明の彫刻を作りました。線の密度によって濃淡がつきます。

この作品について彼女は以下のように説明しています。

" I realized that if I was going to make these forms, which interlock and interweave, it can only be done with a line because a line can go anywhere." 

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Ruth_Asawa


私はこの彼女の言っている”a line can go anywhere”という言葉に強く惹かれています。

確かに「ドット(dot)」は1つの場所に留まりますが、「ライン(line)」は始点と終点の間に自由に軌道を描くことができます。面はドットを拡大したものではなく、線の密度によって生まれるものです。そしてその重なりが3次元を自由に動くことで彼女の作品のように空間を形成することができます。

このことについて人・コミュニティ・街とスケールを変えて考えることができます。例えば一人の人生が複数の糸を編んでいくことと考えると、人生は色々な興味関心の糸を伸ばしていく中でそれぞれの繋がりを発見していく作業であると捉えることができます。また、人生が一本の線を描く物語だとすれば他の人(ライン)との関わり合いの中でコミュニティが生まれ、空間が生まれ、賑わいが生まれ、孤独な時間が生まれるという捉え方もできます。

会社を辞め、ある意味何者でもなくなった今、”a line can go anywhere”という言葉が繰り返し頭を過ぎります。「道無き道を行く」という言葉がありますが、それよりももっと静かなイメージです。line自体には質量はなく、音を立てずに概念的に進んでいくからかもしれません。

Cy Twomblyのように情緒的なラインを描くことができたらいいな、とふと思いました。

ティム・インゴルドの『ラインズ』 という人類学の視点で線の歴史を紐解いた本も読んでいるので、また発見があれば書いていこうかと思います。


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