雑記;自助的認知行動療法のための_20200518

今日の疲労度とその原因

 今日は休み明けだからか、あるいは本来なら休むべき土曜日にコンサータ服用で脳と身体が休まなかったからなのか疲れました。

障害者差別主義者の両親がしんどい

 あと将来を考えて就労移行支援事業所への通所を考えていることを親に言ったら異常なほど反対され、かつその歳で(僕の年齢で)失業手当をもらいながら=つまり稼がずに・労働せずにただ勉強しているだけなのは「おかしい」と言われ、これは僕自身に対しても精神・身体問わず障害を抱えながらも前に進もうと四苦八苦している全ての人たちに対する明確かつ悪意のある差別であって、そんな発言をするのが自分の親だということに怒りや悲しみがドカンと湧き上がってきました。

 失業手当は何もしないで手に入るもんじゃないです;最低でも半年はフルタイムに近い勤務時間での労働を継続してやっと手に入るもの、毎月の給与と同じく労働の対価として得ることができる手当です。それをもらいながら通所することを何もしないでお金をもらうかのように扱うのはまず認識がおかしいと思うし、そもそも労働していないと「おかしい」ということがおかしいと僕は思います。

 労働生産性によってその人間の価値を判断するのはナチと同レベルの幼稚さであって、社会というかもう人類の敵でしょう;「労働生産性ゼロの人間=生きる価値ゼロ」の等式を成立させるそのような価値観が跋扈したことによってナチが生まれ、果てはユダヤ人の絶滅計画が画策され、またその計画の一部(大部分?)は恐ろしいことに見事に実行されたわけですが、絶滅収容所にはユダヤ人とともに障害者も強制収用されたことはよく知られたところですね(Cf. wikipedia「T4作戦」)

 僕の親は障害のために働くことができずに障害年金で生活している人をなんだと思っているんでしょうか?多分「おかしい」と思っているんでしょう...いや、マジでそんな価値観で生きているのが同居人かつ親とかしんどいっすよ。

 世の中には働きたくてもどうしても働けない人はたくさんいる;それは事故で身体障害者になって今までと同じ仕事ができなくなってしまったというパターンも当然そうだけれど、精神的な問題から現在の日本の労働環境では到底安定して働くことができないというパターンもそうです;そもそも日本には職業選択の自由というもんがあるんで就きたい職がなけりゃあ労働しないでもいいんです。

 僕は後者のパターンに近いですが、つらいことが多いとはいえ、幸いなことに労働環境は非常に良いため、なんとかアルバイトではあるけれども毎日仕事をすることができているし、これからもしばらくはできるであろうという見込みが立っていますが、まあこれは発達障害×双極性障害のコンボを抱えているわけですからいつ倒れるかわからない。

 それに今の労働環境;職務内容や上司、勤務先など変わる可能性が高く、そうなった時にキツくなってやめざるを得ないとなったら失業するっきゃないです。しかし同居している親がそういう人間は「おかしい」と発言するような差別主義者なので失業したときのことを考えるだけで恐ろしい。

 みなさんは親やそれに相当する社会的な位置を占めている人間と同じ空間に住んでいますか?一人暮らしですか?それとも施設に入所しているとかでしょうか?いろんなパターンがあるでしょう;彼氏と同棲してるとかいう人もいるかもしれないけど、その彼氏が差別主義的な価値観を持ったDV野郎だとか、いろんな可能性がありますね。

 逃げれるなら逃げた方がいいのは間違いないけれど、逃げる先がないとか金がねぇとか etc

 僕もそんな感じで逃げれていないのです;普通に障害者差別する人間が親で、それが同じ住空間に存在していることのつらさがわかる人は多いと思います。もっと苛烈な環境で生きている人もたくさんいるでしょう。

 普通に希死念慮がこんこんと湧き出てきたのでレキソタン4mg入れました。

 僕はついこの前ですが精神障害者手帳の交付を受けまして、親もそれは知っている;それで上述の認識・発言だから、彼らの年齢を考えるともう障害者=異常者という彼らの頭の中の価値観は僕が自殺したとしても変わらんのでしょう。

 おかしい奴が自殺した、なぜならおかしいから。

 そんな程度にしか思わんのでしょう。

 悲しいし彼らを含めたあらゆる差別主義者には反対していきたい;「寛容は不寛容にもまた寛容であるべきか?」と昔のフランス文学者がエッセイを書いていましたが、まあ内容忘れたんだけど、僕は差別主義のカス野郎相手には極限まで不寛容な態度でもって臨みたいという所存であります。

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