見出し画像

純愛系男子 弘記 自由を求めて冒険の旅に出る!


” そんな夢見てないで、真面目に働け! ”

そんな風に言われたことはないですか??

ぼくは直接言われたことはないです。
なんせ、夢見たようなこと言わなかったんでw

でもね、暗に夢を見てはいけないという
プレッシャーを父親から受けてました。
だからこそ、そんな夢みたいなこと言わなかった。


でも、心の奥底では
秘めた情熱の火が灯っていたんです!

” 自由になりたい! ”

” いろんな所へ行って漫画のような冒険がしたい! ”

” 新しい世界をたくさん見てみたい! ”


そんな情熱が爆発したのは大学卒業の頃。

就職が決まって、普通の社会人生活が始まる
という、その時に「旅に出よう!」そう思ったんです。

就職は、就職でする。

新卒の社会人としての経験は今しかできない!
そう思って、とりあえずの就職。

この頃には、すでにいつかオーストラリアへ旅に出る!

という思いがありました。


そもそもの始まりは、抑圧された
幼少期の家庭環境にあります。

父親は真面目で超手堅い公務員。

定時に必ず帰って来て、新聞読んでテレビ見て
ご飯食べて9時に寝るという生活を

永遠、30年以上続けている人でした。

口数少なく、超実務的で合理主義。
友達づきあいは極少なく(1人いるかいないか)
親戚づきあいは、ほぼないに等しい。

無駄なことが嫌いで
贈り物は贈るのも貰うのも無駄だと
公言してました。

生活のため、家族のためと
必死だったんでしょうけど

それでも、子ども心に思ったものです。

” なんてつまらない人だろう ”

” 生きてて楽しいんだろうか?? ”


そんな親の影響を受けて、親の生き方を
否定しながらも、ぼく自身、無自覚のうちに

実務的で・・・

無駄なことが嫌いで・・・・

否定癖があって・・・・

人の気持ちのわからない
最低な大人へと成長していきました。


表面的なところだけ見れば
とてもいい親だったと思います。

よく遊んでくれたし
ぼくらのために手作りおもちゃを
作ってくれたり。

本当にうちのお父さんは器用ですごいですよ!
当時流行っていたミニ四駆のレーシングコースを
木を使って手作りしちゃったんです!

かなり大きくて本格的なやつを
作ってくれって、すごく楽しかったのを覚えています。

中学の時は部活のバレーボールの練習も
めっちゃ付き合ってくれたしね。

本人は子どものために・・・・と思って

” 節約しろ 無駄金使うな ”

” 遊ばず、勉強しろ! ”

みたいなプレッシャーをかけてくるんです。

当の親本人も悪気なんか全然なかったりする
ところがまた厄介なんですよね。

でも、そういうのって
一歩間違えると自己肯定感を下げまくる
最悪のプレッシャーになるんですよね。


そんな家庭だから、お出かけしない
外食しない、人づきあいがない・・・・・

となれば、若い少年からすると
窮屈だし、つまらないし、耐えられないわけですよ。

しかも、そんな親の影響を受けて
ぼく自身、人間関係がとても下手で
他人とどう接していいのかわからない

って感じで、親の生き方を否定する一方で
親の生き方を受け継いじゃってるから

どうしていいのかわからず、すごく苦労をしました。

そんな自分が嫌で嫌で仕方ないのに
どうしていいかわからず

本当にすべてが嫌で仕方のなかったです。


小学生くらいまではまあ、まだよかったです。

自分も周囲もそれほど自我が目覚めてなくて
そこまで、自己肯定感とか
そういうのが気にならない

ピュアな時代だったので。

自分が嫌いのピークは中学生~高校生の頃。

自分が嫌で、嫌な自分が周囲を傷つけて
傷つけられた人は自分から離れていって

それを見て、ぼくはどうしてわかってくれないんだと
みんなを嫌いになって・・・・

ありがちな悪循環でしたね。

ぼくは身長が高く、細身で天然パーマで

癖がすごく強くて髪はクリクリ、チリチリ。

小学生の時のあだ名は「パンチ」

パンチパーマのパンチですw

そんな天パな髪も、高い身長も、細くて
ヒョロヒョロしている体型も
すべてがコンプレックスでした。

そこへ来て自分が嫌いの陰キャとなれば
猫背で目が暗くて、おどおどしてる

なーんて姿は容易に想像できるわけです。

みんな、「身長高くていいな~」なんて言いますが
そんなのは、自信をもってる
堂々とした人間だからこそ長所になるのであって

ぼくみたいな自分嫌いな陰キャにとっては
みっともない猫背を強調させるような
短所にしかならないんですよ。


あ、今は違いますよ!


姿勢もいいし、自然体で

「身長高くていいな~」

と言われるのも納得な自分になっています。

何ならモテます。主に子どもと動物、老人にw

まあ、恋愛感情を抜きにしたら
女の子をデートに誘ってOKしてもらえる程度には
人から好かれています。


でも、その当時は真逆だったわけです。

友達はいない、恋人もいない
クラスでも一人孤立して、寂しいのに
無自覚に他人に嫌われるような
態度を取ったりしてね~。。

無表情でムスッとした態度で
ものすっごい、「近づくなオーラ」だしながら

無口でたたずんでいる。

今のぼくが、その当時の自分を見たら
恥ずかしくて、もどかしくて、むず痒くて
きっと爆死しますw

「アホか!おまえは!!」

と、思わず叫びたくなるような
自分だったこと間違いなし。

自他ともに認める「優しい人間」では
あったんです。周りの人からも
「優しいね~」と言われることは多々ありました。

でも、同時に不器用すぎて
近づきがたく、ポンと口を突いて出る言葉が
オブラートに包むどころか

唐辛子をぶっかけたみたいな
ドストレートなキッツい言葉だったりして。
(今でも、ついポロっとでてしまうことあるけどw)


優しい一面が見える、大人しい子
という印象から入って、きついこと言う

近寄りがたい、嫌な奴で
いわゆる、口下手、ネクラな陰キャ男子だった当時
そもそもとして、自分が見えてなかった。


嫌われるような態度をとっていることに
自覚がなく、なぜ、嫌われるのかの

理由もわからず・・・

それどころか、自分は何も
間違ったことしてないのに
どうして、みんな嫌うんだ・・・

どうしてみんな、認めてくれないんだ!

と、憤りすら感じてる始末。


友達を作りたい、好きな子と話したいのに

何が悪いのかも、どうしていいのかも
全然わからないで悩み苦しみまくった青春時代。

そんな弱みに付け込もうとしたのか
変な宗教に勧誘されたこともありましたw

とにかく、悩みに悩みぬいて・・・・
高2の2学期頃には自立神経失調症になって
精神的にもやられて

余りに苦しくて、自殺なんて考えてみたりして・・・

で・・・思ったんです。

「死ぬのって・・・・怖いな。めっちゃ怖い。」

って。

もうね。その時、スパッ!!と吹っ切れたんです。

リアルに死んだ自分を想像して
死ぬことを想像して、死ぬことの恐怖を想像して

半ば自分が一度死んだみたいな氣持ちになって

死ぬことに比べたら、怖いことなんて
何もないじゃん!
好きなことを好きなように
ガンガンやっていったらいいじゃん!

てな感じで思い切り開き直って

その勢いで大学デビュー!

それからがぼくの人生の快進撃の始まり!


・・・・ってほどでもなかったけど
大学生になったのを機に、自分改造のため
あれこれとやり始めたんですよ。

空手部に入り、ファミレスのウェイターの
バイトを始めて、大学でも活発に活動して

なんだかんだ、友達もできました。


自分の死を意識して、トコトンなまでに落ちて
感じた「吹っ切れた」という感覚。

これがあったから、今の幸せな自分になれた。

相性最高の妻に出会って結婚し
自分の理想の田舎暮らしまで実現して

三人の子どもに恵まれ
子どもたちから慕われて
最高に幸せを感じられる日々を

手に入れることができたんだと思います。


思い返すと、ぼくの人生の転機には

この吹っ切れた感が必ずありました。

就職一年で会社を辞めた時。

ワーホリでオーストラリアに行った時。

マッサージの勉強をしに、オーストラリアに戻った時。

そして、今、本氣でビジネスと向き合って
稼げる自分になろうと決意したこの時!

この吹っ切れた感の正体はなんなのか?

それは 「覚悟」

「覚悟」って、なんだと思いますか??


辞書で引くと

「悪い事態を想定して、それを受け止める心構えをすること」

なんてかいてあったりもしますが


本来の意味は

「悟りを覚える」 = 「悟りを自覚する」


仏教用語としての「覚悟」の意味は

「迷いを去り、真実の道理をさとること」

と書いてあったりします。


思い返せば、吹っ切れた感の裏側にあったのは
後者の「覚悟」。悟りを自覚し、人間的な成長を
した瞬間に得る感覚。

吹っ切れた感を感じるたびに

ぼくは、ある種の真理を身に着けていき
少しずつ、成長していったのだと思います。


「覚悟」を覚えたとき、迷いが晴れて、目標が定まり
何が何でも、その道を進んでいこう!


やってみなくちゃ何もわからないでしょ!
やって失敗したら、そん時は、そん時。
やり直せばいいし、別の道を探したっていい。

そんな気持ちでした。

死ぬことを思えば、本当に何でもできる。
いくらでもやり直しがきく。生きている限り。

死の恐怖の疑似体験によって

無意識に考えてしまう
ありもしないネガティブな妄想から

解き放たれるという

ある種の悟りの境地を得たわけです。


人間って弱いモノです。


勝手に失敗や不利益を想像して
怖くなって、行動できなくなっていく。

別に、そうなるって決まってるわけでもないのに。

むしろ、そうならない可能性のが
高いかもしれないのに。


そんな妄想から解き放ってくれたのが
ぼくにとっては「死の恐怖」だった。

いやはや、思い返せば、すごいこと考えてたな~
めっちゃ思い詰めてたな~

よく死ななかったな~

と、我ながら感心します。

自分で言うのもなんだけど
ぼくも大概、ヘタレなんで

めっちゃ弱音吐きまくるし、すぐ甘えるし
メンタル弱い自分120%なんで
自殺しててもおかしくないよな~とか思うんですが

逆にヘタレだからこそ「死ぬのが怖くて」
死ねなかったのかもしれないですね。

いや~、ヘタレで良かった!


ぼくの好きな漫画で言われたセリフで

「臆病なのは悪いことじゃない。
 臆病だからこそ生き残ろうと必死になる」

まさに、臆病者のぼくは
「死」という敵と向き合って怖くなって
死から逃げたからこそ、生き延びた。


あ、でも、今の自分の決意は
今までの吹っ切れた感とは少し違います。

今までは自分一人だった。

良いことも、悪いことも
全部自分一人のモノだった。

でも、今は家族がいる!


自分の成功と失敗はすべて家族を巻き込む。
その責任と覚悟の重みが加わる分
今まで程の軽やかさはないんです。

ですが、その分、真剣度合いは今までの比じゃない。


今までの吹っ切れた感から始まる
自分の変化は、それなりに成長を見込めたし
確かに大きく変わった。

けど、とても軽いモノだった。

そこに重みが加わったことで
一つ上の次元に上がることができたと
思っています。

おかげで、ぼくは今、「ビジネス」という
新たな自由への旅に

一歩踏み出すことができました。


ぼくはオーストラリアでの旅生活を経て


” 自由の素晴らしさ ” 

をこれでもかというくらいに実感しました。

ですが、日本に帰って来て
働き始めて直面したのは不自由な
ままならない人生です。

大して給料がもらえなくて

拘束時間も長いから
好きなことを自由にはできない。

自分なりにビジネスをしようという
気概は一応、あったモノの
自分一人であれこれ足掻いていても

全然、形にならず、散々失敗しましたよね。。

その当時は、職人気質の個人事業主に
ありがちな、理想を追い求めるあまりに

自分のサービスに自信が持てず
お金を取らずにサービスしまくった挙句
疲れてしまって、全然次につながらず

「ビジネス」にならないという

状態に陥っていました。


そんなことをしている割に
ほとんど働かずに、たくさんのお金を
稼げるようになりたい!

みたいな願望はあってw

矛盾してますよね。。。

すべてはビジネスに対する
マインドセットができてなかったことに
問題があったんですが。


ビジネスの成功者の大半は
人生のどん底のような非常に不幸な体験

過去にしていることが多いです。


その反動で、思い切り振りきって
世間の常識やしがらみから逃れ
ある種の非常識な領域に到達するからこそ

ビジネスという特殊な世界で成功できる。

お金に対する姿勢もそうです。

ある程度、裕福な家庭で満たされている人は
お金に対する執着があまりない。

悪いことではないですが
ビジネスをする上ではお金をしっかり
もらうということは絶対不可欠で

それがないと

「なんか、お金取るのが申し訳ない」

みたいな、節約大好きなサラリーマン根性で
無料奉仕しちゃうわけです。

なんせ、ぼくらはお金がないと生きられない
資本主義社会に生きています。

お金を取らなければ、ぼくらは生活が
ままなくなるんです。そこは当然の権利として
ちゃんともらわなければいけない。

かつてのぼくにはその部分が欠けてました。

家族を守らなきゃいけないのに
お金に拘らなかった。


正直、今の僕はとても幸せで
満たされています。給料もそこそこで
生活も安定はしています。

それでも、今のままならきっと
将来、金銭面で立ち行かなくなるし

何より自由がない。

ぼくは、社会人として一歩踏み出したあの日

自由を求めて「 冒険の旅 」 に出たんです!

それがいつの間にか、社会の奴隷と化し
会社と常識とお金に縛られる生活。

家族を守るためにも
自分の望みを叶えるためにも

自由を得られるビジネスをしなければ!

そう考え始めたころに出会ったのが

「自由」をテーマに活動する
ある起業家の方でした。


ビジネスの世界で成功するということは

人間力を高め、素晴らしい友人や恋人
仕事仲間と出会い自信と生きがいと
心と体、お金の豊かさ、自由な時間

全てを手に入れるということです。

お金が儲かれば何でもよい・・・
ということではないはずです。

いらない物を売りつける商売ではなく
必要なモノを必要なタイミングで
必要な人に届ける

本当の意味で人の役に立つ商売をすること。


そんな素晴らしい道を

ぼくに示してくれた人がいます。

その人は・・・・・

・必要なモノを必要なタイミングで必要な人に届ける技術を持ち
・人の心理に精通し、人の心に寄り添えるコーチであり
・自分自身を大切にして他人のために自分を犠牲にするような生き方をせず
・自分の好きなことを仕事として
・効率的でかつ効果的なビジネスの仕組みづくりが得意で
・ドラクエ廃人できるほどの自由な時間を確保できて
・かつ収入は毎月200万円以上を10年以上維持し続け
・さらにはイギリスの騎士の称号を持つ人と友人関係であり
・他にも有名無名問わず、すごい地位や能力を持つ人を友人に持つ

そんなビックリするくらいのスペックを持つ人です。

月収200万オーバーって、一般人からすればすごいこと
のように思いますし、ビジネスをする人の多くは
そこまでの収入を得られていない現実を考えると

確かにすごいことなのですが、ビジネスの世界では
月収1千万越えなんて人はざらにいます。

この人のすごいところはお金以外のところです。


お金を必要なだけ稼ぎつつ、お金以外の部分が
充実しているという点がすごいんです。

ビジネスの世界で稼いでいる人の大半は
お金を持っているだけで、それ以外のところで
いろいろと問題やトラブルを抱えていることも多い。

次回は、ぼくの恩人であり、師匠に当たる人の
紹介をしようと思います。

興味のある方はこちらのリンクからどうぞ! ↓






未来を当てない鑑定師 弘記 簡易プロフィール


今現在、自分の経験や算命学、運命学を軸にして
純愛に憧れ、真面目に恋愛・結婚したい人を
サポートする活動をしています。

運命的な出会い
ロマンティックな恋愛
一生添い遂げる理想の仲良しパートナーとの結婚
家族仲良しの幸せな家庭

そんな幸せパートナーライフを
求める人がいたら、ぜひ、メルマガ登録お願いします!

弘記 公式メルマガ



算命学占いの鑑定を受けてみたい方の・・・・

算命学鑑定依頼はこちら


サポートありがとうございます!みなさまにより有益な情報を提供するための研究資金にさせて頂きます。