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「察する」ことが得意じゃない。まったくできないわけじゃないし、それは必要だとわかってるけど、面倒だし、ときどきオーバーヒートする【大人ASD】

特に日本では「察する」ことがとても大事なこととされている。言葉の裏の意味を感じ取ったり、あるいは言葉になっていないことを読み取ったり。

そういうこと、ASDな人は苦手。まったくできないわけじゃないし、真意を感じることもあるんだけど、「なんではっきり言わないんだろう。ちゃんと言ってほしい」って思って、わざと気づかないフリしたりもすることもある。

わたしにとって、「はっきり伝えること」は正義なのである。でも、日本がその文化じゃないこともよくわかってるので、基本「だまってる」ことが多い。なにか口を開くと、余計なことをしゃべってしまいそうなのでw
でも、「これはぜったい正しいから! 言わなくっちゃ!」って思って伝えることもあるけど、そういうときでも、チーム単位だと「根回し不足」なこともしばしばある。一般的に「正しい」ことでも、いきなり言うのではなくて、周囲に根回しした上で進めていく、というのが日本社会では正しいやり方なのだ。これは頭ではわかってるけど、できないことしばしば・・・

そう考えると、みんなを上手に気遣っていける人、最強だな、と思う。で、それができない自分は・・・って、以前はよく落ち込んでてて自己肯定感ダダ下がりだったけど、いまは「こういう資質だからこそできることある」っていう風に、早めにアタマが切り替わるようになった。

これまでは無理しすぎだったのだ。無理なことは無理。きゅうりはトマトにはなれないのだ。輝くきゅうりになることはできるけど☆彡

そういう意味で、自分がASDだと自覚できたのは強いな、って思う。人には人の強みがあるのだ。

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