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朱里の軌跡。


はじめに。

表現することは、生きること。

これは、私のモットーです。
全ての人が何かしら「表現」して生きています。
それは言葉だったり、文字だったり、イラストだったり...。
「表現すること」は人によって形は違うと思います。

私は芝居と出会って、人生が変わりました。
...いえ、生きる意味を見つけました。

これから記すことは、人によっては不快になるかもしれません。

それでも「表現することは、生きること。」
私の人生の中で大事な軸であり、目標です。

少しの間、お付き合い下さい。


改めまして、こんにちは。
はじめましての方ははじめまして。
紀咲 朱里(きさき あかり)です。

今年の4月30日、平成最後の日に31歳になります。
4月で3歳になる娘と、8ヶ月の娘を持つ母であり、
声優、ナレーター、メンタルアドバイザーをしています。

これは、私の夢を叶えるために皆さんに知っておいて欲しいことです。


精神疾患と生きる。

私は解離性同一性障害と共に生きています。
昔で言う多重人格のことです。

2次元のような便利なものではなく、とても生きるのに大変な障害です。

日本には専門の先生が少なく、私はお医者様からも腫れ物を触るように扱われました。

10年以上かけて専門医に会ったときには、自分の問題を解決できる術を身に付けていました。

今は薬をほぼ服用していません。
苦手な場面やフラッシュバックがない限り普通に暮らしています。
発作が起こったとしても、自分で処置できるので周りにほとんど迷惑はかけません。


告白の経緯。

なぜ、カミングアウトしたのか?
1つは、私が隠し続けて生きることを望んでいないから。
もう1つは解離性同一性障害(DID)に対する正しい認識をして欲しいからです。

距離を置くのも大切なこと。

馬鹿なことを言っている。
綺麗事だろう。
役者だから多重人格とか言っているんだろう。
などそう言われる方がいらっしゃるかもしれません。

役者だからといって解離性同一性障害になるということはほとんどありません。

実際の解離性同一性障害の症状が出てしまうと、感情や人格のコントロールができず、芝居どころではないからです。

悪役は真面目な人にしかできないのと似ていますね。

中には役に入りすぎて似たような症状が出る方もいますので、100%ないとは言えません。

原因も個人差が大きく難しいので何が原因とも言えません。

ここまでで不快に思った方や、信じられない人は、お互いのためにページを閉じてください。

興味を持ってくれる方にはきちんと「どういう病気か?」を伝えていきたいのです。


独特の世界を伝えたい。

私は解離性障害の専門医や専門のカウンセラーに当事者目線での情報提供もします。

当事者にしかわからない「世界」があるためです。

解離性同一性障害やうつ病との付き合い方や乗り越え方などを話して来ました。

その心理士さんに人の役に立ちたいと話したところ、「紀咲さんはメンタルアドバイザーができるよ」と言っていただけました。
ピアカウンセラーまではいきませんが、メンタルアドバイザーとしても活動しています。


支援をしたい、想い。

メンタルの病は思春期は多感期に多くみられます。
若い子たちがうつ病や精神疾患になり、時間とお金を無駄にすることがないようにと思っています。


親との不一致。

私は幼い頃から家で感情出せませんでした。
感情を出すと全てが裏目に出ていたからです。

そんな私にとって芝居とは、感情表現の大事なツールなのです。

自分が感じ、思ったことを役を通してお客さんに伝える。
私が演じるということは、自分を出せる唯一の方法でした。

「芝居が好き」と言うよりは、「芝居がないと生きていけない」のです。

私が疾患を乗り越え、演者としてあり続ける。
それが私が「生きる」ということなのです。


助けを求めて。

ここからはなぜ私が
精神疾患者や発達障害者の役に立ちたいのか。
また病棟を建てたいのか。

を話したいと思います。

私はある時から発作の回数が増えていました。

大好きなお芝居も身が入らず、ひどい場合は意識をなくし搬送される始末...
芝居の仲間にもつらく当たってしまった結果、劇団に居場所がなくなりました。

唯一の私の感情表現の場がなくなってしまい、症状が悪化する一方。。。

1日に数回意識を失う事態にまで陥りました。


精神の崩壊と措置入院

私は家では感情が出せません。
劇団にも通えなくなった私は、感情が出せず症状も悪化していきました。

ある事がきっかけで、大声で助けを求めながら外に飛び出すと言う所まで精神が崩壊していました。

何度も警察に保護され、そのたびに迎えに来る母。

「いつものことなので慣れてます。印鑑ないので指印でも良いですか?」

その言葉が荒れた心にとても沁みました。

ある時、私はいつものように外に飛び出し
いつものように警察に保護され母を待っていました。
また嫌なこと言われるとわかっているので心は空っぽでした。
奇行を重ねた私に母も疲れていたのでしょう。

その日は人生で最悪の日でした。

何言われたのかは覚えていません。
ですがとてもショックなことを言われたのだろうと思います。
頭の中で何かがパリンと割れる音がしました。
そこからの記憶はまるで映画を見ているかのようでした。

気がつくと私は白く囲まれた部屋の中にいました。
そこはとある病院の閉鎖病棟の1室でした。
それも普通の部屋ではなく「独房」と呼ばれる個室でした。

私は検察による判断で措置入院となったのです。
措置入院とは精神疾患があり自傷他害の恐れ...
つまり自分自身を傷つけたり他人を傷つけたり、
何かしらの迷惑行為や犯罪行為をする可能性が高い場合に
行政が患者に命令して行政措置として入院を要請するものです。

私は、完全に精神崩壊をしていました。

狭間を求めて。

措置入院の期間は人によって様々だと思いますが、
私の場合誕生日に貴重な舞台のチケットが当たっていたので約1週間ほどの入院となりました。

その後も数回入退院をしました。
病棟を建てたいと思うきっかけが、ここにあります。

解離性障害は専用の病棟はなく、認知症や統合失調症など別の症状の方と同じ扱いです。
閉鎖病棟では甲斐甲斐しく話を聞いてくれるスタッフがいます。
症状が落ち着き始めると、他の患者さんの暴言や物音に怯えるようになりました。
ですが、開放病棟に上がると今度はあまりに開放的すぎました。
頓服が欲しいと言っただけで
「それなら閉鎖にいたほうがいいんじゃない?」と言われてしまうのです。

すべての病院がそうか解りません。

ですがそのギャップに開放病棟に移動しても、症状が悪化して閉鎖へ戻る方もいます。

このような経験から、閉鎖と開放の中間病棟、
解離性障害の専用病棟を立てたいと思うようになりました。


人への帰還

それから数年間を生きる屍のように暮らしていました。

自らの意思で行動し、自らの意思で物事を決められるまで約7年が過ぎていました。

その間に20代前半が終わっていました。
一番体力と気力のあるときに、私は人として生きられませんでした。


だからこそ、できること。

少し暗い話でしたね。。
様々な経験から、私は日本の精神医学に貢献したいと思うようになりました。

私は全ての経験は無駄とは思っていません。

表現することは、生きること。
私は表現者を続けることで、いろんな人に想いを伝えていけるからです。

心身ともに健康に、自分を表現して生きていく。
そんな人生を私は送りたいです。

そして、私と関わる人全てがそうあって欲しいと思っています。


アクトビット


表現することは、生きること。
「好き」で生きていくこと。

アクト=演じる・表現する。
ビット=生き生きと。


自分も周りの人も輝いていて欲しい。
人と繋がって、私に関わる人の助けになりたい。

そういう思いから、アクトビットという会社を作りました。
今はまだ小さいけれど、育成、制作、運営まで全てを出来る劇団四季のような会社を目標としています。

あとがき


貴重なお時間を使って、ここまでお付き合いくださり感謝しています。

少しでも紀咲 朱里の目指すものを知っていただけたら嬉しく思います。

芝居の楽しさや多様性を広める。
通信個別レッスンのパイオニアになる。
プリキュアになる。
関東圏に寮を建てる。
病棟を建てる。

など、やりたいことはたくさんあります。
少しずつ皆様のお役に立てるように進んでいきます。
今後とも紀咲 朱里ならびにアクトビットをよろしくお願いします。


表現することは、生きること。
アクトビット代表  紀咲 朱里

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