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後悔と原動力

「去年の1月あたりに戻りたいなぁ」

そんなことを言ったらとても悲しまれた

「そんなこと言われたら、いままでの生活全部否定されたみたいじゃん」

あれ?わたし、いままでのぜんぶをやり直したいのかな?
楽しいこともいくつもあったよね

がんばって本音を言って聞いてほしかったのに本音で返されたので、本音に埋もれてしまって泣いた
泣きながらも自問自答してどうにか自分で折り合いをつけなければ、自分の気持ちを伝えなきゃ、必死だった

よく考えてみたらやっぱりやり直したいのって”仕事”のことばかりなんだよね

辞めなきゃよかった
転職しなきゃよかった
この職を選ばなければよかった
もっと考えればよかった
相談すればよかった

こんなことばかりが後悔として募る

枕を濡らす日々を脱却しようと転職したものの、けっきょく毎日泣いてるのも原因はここにあるように思える

後悔ばかりが先行するから新たな場所での新たな生活を受け入れられないし、心から楽しむことができない

人と対峙して、同時に自分とも対峙して、約1年の間悩んでたことに小さい脱出口が見えたような気がした

そうだ、わたしは”仕事”のことをずっと考えている
ずいぶんと仕事中心な生き方をしてしまっているなぁ、と思う

「生活のために仕事してるから!私!」
とはっきり言い切れる人が羨ましく思える

「真面目すぎるんだよ、だから疲れちゃうよね」
じゃあ、真面目じゃなく生きる術を教えてほしい

更にここで、自分はいかに他人の言葉に左右されているかに気づく
人から言われたことに一喜一憂し、その場はたのしくやり過ごすくせにあとから言われたことを思い返して悲しくなる

あーあ、いつからそうなっちゃったの?

ここでまた、「過去に戻りたい」という感情になるんだ、堂々巡り

つまるところ、今のわたしは後悔で出来ている
過去に思いを馳せることしかできない

そんな奴は素敵な今を過ごすことも、明るい未来を想像することもできない

ただ、自分の好きな人たちの影響力というのは大きいもので、こんなわたしを楽しい方へ、明るい方へと導こうとしてくれている気がする
勝手に、そんな気がしている

暗い部屋に1人閉じこもっているわたしに、

「こっちのドアを開けたら陽の光が明るくて気持ちいいよ」
「こっちの部屋で温かいお茶を飲んでいきなよ」
「あっちの部屋のほうがあなたに合ってそうだよ」

そう、声をかけてくれるように思える

何度も過去に囚われるし、暗いところばかりに目を向ける自分だけど、わたしを想ってくれる人がたくさんいることも知っている

だから、今の生きる原動力
「わたしの好きな人たち」

好きな人たちが笑ってくれるような、幸せでいてくれるような暮らしを続けたい

けっきょく他人軸?
いや、これは他人軸のようであってそうじゃない、はず

不特定多数の意見に惑わされたり、知らない人のために着飾るのではない
自分が感謝したいと思う人に対して尽くしたい

「人に尽くしたい」、というなんとも綺麗ごとみたいな理由だけど、これが今、大切にしたいこと

環境を変えることでたくさんの人が助けてくれた
きっとその経験がこういう気持ちに至らせたんじゃないかな

今のわたしの気持ちは今のわたし自身でくみ取ってあげなきゃね

ご自愛しつつ、愛すべき人たちにも尽くして暮らしていこう

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