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akaneおすそわけ郵便 第三回「ひよこ、ひょこひょこ」

母が茶道の稽古でお菓子を貰って帰って来た。「娘さんの分もどうぞって、頂いたの。」そう言いながら、母が差し出した袋には銘菓ひよこが三つ。見れば、もう片方の手に、母の分のひよこ三つが。

「ひよこ、ひょこひょこ、三ひょこひょこ。あわせて、ひょこひょこ、六ひょこひょこ。」

素晴らしい。カエルより、寧ろ、ひよこの方がしっくり来る。

と云うような、くだらないことを思いつくことにかけては非凡な才があると自負しているのだが、これが実務面に反映されないのがヒジョーに惜しい。

そんな私の心の叫びを余所に、ひよこ達は、母の手で一枚の菓子皿に集合させられていて。うーむ、このみっちり感。ひよこも集まると迫力が出るなぁ。一個だと可愛い印象なのに、林立していると頼もしく見えてくるから不思議だ。

ふと、大学生の頃に読んだ文章を思い出した。「何かを始めたら、まずは百個集めてみると、その物自体が見えてくる」というような内容で、当時、いたく感心したのを覚えている。

それがずっと頭に残っていて、三十代の時に、○(丸)をテーマにして、自作のノート三冊に○のハンコを作って百回押した作品を作ってみた。友人に披露した時に「で、○について何かわかった?」と聞かれたが、「うん、○は丸いね。」としか答えられなかった。

さらに、私のオリジナルキャラクターであるカエルのぬいぐるみ、ハラゴメカエルのけろに到っては、二百個以上作ったのだが、一度に沢山作ると顔のバランスがわからなくなり、私はどの辺を可愛いとしていたのだろうと基準さえ曖昧になる始末。

思えば、この、akaneおすそわけ郵便も、自分が文章を書くのに、集めたポストカード七百枚を使うところが売りの一つ。百枚ごとのカードファイルが七冊積み上がっていると、結構な存在感(というか邪魔、でもって重い)なのだが、中身は雑多だなぁ。

結局、「ある程度、数が揃うと、その物自体の真髄に近づく」ということにはならずに、「奥が深いのに気づいちゃって、益々、わからなくなってきました」という感じになっている。

ひよこも六ひょこひょこくらいでは、まだまだだな。


【今日の一枚】ドイツのシュタイフ社のテディベアでぎっしりなポストカード。昔は、シュタイフのテディベアの男前っぷりにメロメロだったのに、年を取ると共に、イギリスのメリーソート社の小生意気で可愛いテディベア、チーキーに嗜好が移りました。この嗜好が恋愛にも反映されていないか、心配です。

【akaneおすそわけ郵便】は、大橋あかねが三十年以上かけて集めたポストカードに、自分の日常や愛するモノについてなど、その日の気分で書きたいことを書いて郵送でお届けすると云う企画です。こちらは、そのnote 版。今日もおつきあい頂いて、ありがとうございます。

(C)akane ohashi 2019

毎日、書く歓びを感じていたい、書き続ける自分を信じていたいと願っています。