大学4年間でn回読書会をした記録:The Final Season Part2

この記事は続きものです。前回、または第一回からの閲覧をオススメしております。
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今度こそ終わります。本当です。ダイガクセイ・ウソツカナイ(社会人はつく)


第十三回:『アメリカ保守主義の思想史』

時期:4年夏から秋
人数:4人

 これまでとはうって変わって保守をテーマにした本です。基本的に弊読書会は文学部の人間だけで読書会を行なっているせいか思想の偏りが酷いので、それを相対化するためにこの本を推薦した次第です。相対化すべきはナショナリズムだけではありません!この本を読んでいる時に先輩が発した「保守って全員バカだと思ってた」という発言はリアルインパクト(父:ディープインパクト、主な勝ち鞍:2011年安田記念(G1))がありました。こうした認識の改めを起こすためにも、読書会で選ぶ本というのは、雑多なテーマを選んだ方がいいわけですね。

 まずい……このままだとこの回の教訓めいたものが前回と丸かぶりになってしまいます。ただもしかしたら、全ての回からポイントを取り出すという行為そのものに無理があったのかもしれません。見切り発車は良くない(←これがこの回の教訓だったいうことでここは一つ)。

第十四回:『暗黒の大陸:ヨーロッパの20世紀』

時期:4年秋から冬
人数:3〜4人

 時期の欄を見て「え、卒論は大丈夫なの?」と思ったあなた、将来出征しますよ。案の定、卒論執筆が間に挟まってしまいました。そして私は卒論提出後に内定先に内定をひっくり返されて2月中に就職活動を行なっていたので、この読書会には最後まで参加できませんでした。他人に迷惑をかけてはいけないので、スケジューリングには最新の注意を払いましょう。

 それはともかくこの『暗黒の大陸』、めちゃくちゃ面白い本なんですよね。私は読書会で読んだ本の中でこれが一番好きなので、この記事を読んで少しでも興味が湧いたなら近所の図書館で借りることをオススメします(6000円くらいする500ページの本なので安易な衝動買いをすると火傷します)。

 この本の優れたところは、ある種の概説書にもかかわらず、レトリックとデータとフレームワークの力が強すぎて何回でも読み直したくなるところです。この本は歴史学が文学であることを思い出させてくれます。20世紀のヨーロッパを暗黒の大陸(つまりそれはアフリカ)になぞらえたタイトルがまず、非凡な所なのですが、「ファシズムは、配下においたはずの歴史の手によって決定的な敗北を喫した、最初の主要なイデオロギーとなった」(12頁)というように巧みなレトリックを様々に用いて、読者の興味を20世紀ヨーロッパへと引きつけ続けてくれます。そしてそうした記述はただ衒学的であるだけなく(それでも十分傑作なのに笑)、豊富なデータや事例によって裏付けされています。そして、20世紀のヨーロッパは同じヨーロッパに属する国の手によってアフリカのように扱われた、つまりヨーロッパがまさに「暗黒の大陸」となったというような構造の巧みさも備えているのです。ヨーロッパの歴史を学んでいるなら読んでおいて損はないゾ。

第十五回:『教養のための現代史入門』

時期:4年冬
人数:4人

 なぜマゾワーと並行して読んでしまったのか……あまりこういうことを言うのも失礼なのですが、どうしても見劣りしてしまう部分があったことは否めません。そもそも概説書というのが、私のやっている隔週で1/4位の分量を読んでくる読書会に合っていないような気はします。というのも内容がそれなりに深くないと章や節ごとに話すことが難しくなってしまうんですよね。結局この本は、二回目の時に「残り全部を読んでこよう」となってすぐに終わってしまいました。逆にそうするといい感じの規模感だったので、読書会のやり方に合った本選びが大事だと思います。

総括:"人と"本を読むということ

 見切り発車で始めたこの企画なのですが、東海道線の車両くらい長くなってしまいました(東海道線はたまに10両編成のときもあるけど)。4年間あったとはいえ十五回もやっていたなんて、自分で自分を褒めてあげたいくらいです。おめでとう、めでたいなぁ、おめでとさん、グエッグエッ。

 これまでのように反省点を箇条書きして終わるというのもなんだが味気ないので、読書会を振り返ることを通じて思ったことでも書きなぐって締めようと思います。

 自分、ニコニコ動画が今でも結構好きなんですよね。あの画面上に視聴者のコメントが流れてくる独特の雰囲気が好きで、最近ではニコニコ動画dアニメみたいなのに登録してアニメを見たりなんかもしてるくらいなんです。その理由ってめちゃくちゃ語り尽くされててもう味がしないんですけど、やっぱり好きを通じて人と繋がり合うっていうのはとても楽しくて尊いことだからだと思うんです。いつから流行り出したのか正確にはわからないんですけど、自分は「ここすき」ってコメントが好きで、それ自体はなんの意味もなくてつまらない言葉なはずなのに、自分が面白いと感じた時にそのコメントが流れてくると、なんだか不思議と楽しい気分になっちゃうんですよね。

 反面、読書ってものすごく孤独な行為だと思いませんか?再三書いてきたように本や知識そのものは広大な世界と繋がっていますが、本を読むという行為はむしろ周りから人を遠ざけるものです。かくいう私も、高校生の時に周りに話しかけられるのが嫌な時は本を読んでいました。それは一人の世界に閉じこもっているというアピールなんですよね。

 そして読書と切っても切り離せない「学ぶ」という営為は、その方向へと進むことでもあります。周囲の人間が馬鹿に見えて嫌になって入試に向けて勉強を頑張るのもそうですし、昇進するために資格を取るのもそう。私が大学時代に読書会をやっていた理由にも、キラキラと輝いて見えたアカデミア的世界に少しでも近づきたかったという思いが一つにはあります。そしてそうした前進は、必ず今周囲にいる人間とは離れてしまうものであり、共に進んでいるかのように見えた友人と進む方向が少しズレていることすらあるのです。やはり我々には孤独になる道しか残されていません。いやむしろ、積極的に孤独になるべきかもしれません。人文知を学ぶということは、社会に流布している価値観を相対化するということを意味しています。つまりは大衆に流されないようになるということです。

 でもそれって、なんだか寂しい気がするんですよね。孤独って寂しさを呼びますし、寂しさは反感を呼びます。そして反感は侮蔑を呼ぶ。進んでいるはずの自分が、世間には軽んじられているという錯覚。私は大学入試の時にそのような感情に覚えがあります。そうした寂しさを少しでも紛らわすために──
「うるせーーーーーーーーー!!!!」
ん?
「読書会した後の飲み会が楽しいからでいいだろボケーーーーーーーー!!!!」
たしかに〜〜〜〜

  • 読書会の後は飲み会をしよう

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