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SNSいいこと取りの苦手意識

突然ですが、あなたはSNSが好きですか?


推し活として見たり発信したり繋がったりするために使っている人
ビジネスのために自分を知ってもらうツールとして使っている人
自分を磨くために情報を取りにいっている人
趣味や活動を知ってもらい、繋がりをもつために使っている人
毎日の記録として使っている人
自分の表現方法のひとつとして使っている人
ざっと思いつく感じ、こんな使い方があるのかなと
見るだけの人もいるし、発信する側やインスタグラマーと呼ばれる人もいる

私はどちらかというと見るのも発信するのもあまり好きじゃない
というか、苦手意識があった。

純粋に美しい地球の絶景や自然の偉大さを感じる写真や映像、
かわいい動物やこども、人のやさしさや感動的なエピソードは抵抗感なく見れる。イケメンにはときめきやモチベーションをもらってる!笑
でも、、
「キラキラした私♡」を表現しているアカウントや「私いいこと言ってます!」みたいなアカウントは表面的に取り繕っているだけのように見えた。
いい面だけを切り取って見せている姿が本質的でならないように感じていた。
でもたぶん多くの人は見る側も発信する側もそれをわかって使っているし、
そんな真面目に考えなくても使いたいように使ったり使わなかったり好きにすればいい◎

それでも見ると、モヤモヤするアカウントもある。
なぜか??
ノートに書いて深掘りしてみた。

そこから見えてきた抵抗感の理由が3つ

1.自分の投影。
本当は自分も伝えたいことがあるけれど、伝えられていないことからくるひがみ精神。発信する手間や恥ずかしさや自信のなさを乗り越えて発信している人へのうらやましさと、それが出来ていない自分を突き付けられるような感覚からくる抵抗感。
2.いいとこ取り
Instagramで「映え」が流行ったように、いかに良く見せる(魅せる)かが大事にされる世界。ひとの一側面だけ、特にいい面だけを切り取って承認を求めることへの抵抗感。等身大でないように感じると尚更。
3.承認欲求に翻弄される
発信する側になるとどうしても自分が発信したことへのリアクションが氣になる。そこに意識がもっていかれすぎると自分がグラついてしまうことへの抵抗感。そもそも自分の家族や周りの友人と現実世界で楽しいんだからそれをわざわざ発信しなくて良くない!?と思ったり。


でもさ、こんな考え方もある。

なりたい自分の姿(理想の私)のように振舞うことで現実をそこに引き上げる。あたかもすでに理想の私になっているかのように自分を表現することで、その意識を顕在的に強くもてるようになる。
さらに見ている側の人達も理想の私があたかも現実の私かのように感じることで、集団的無意識の中にも理想の私が存在するようになる。
するとそれは、理想の私が現実化するスピードが早まるということ!
なりたい自分を現実化するには、私個人の意識を変え、集団的無意識の力を使いやすいsnsはもってこいの場ではないか!!
自己表現の場。

それに、snsやっている人は努力家だと思う。
人間だからsns上げる氣分になれないときもあるし、自信だってないかもしれない。そもそも継続するって大変。
それでも自分を発信し続けるってすごいことだし、見る人に勇気や元氣、モチベーションや希望を与えている。与えるように表現し続けるって楽しいだけじゃないだろう。

そう考えるとだいぶうがった見方をしていた自分に氣付く。
まあ、素直に嫌だったら嫌で、見るも見ないも発信するもしないも自分で選択したらいい。
けど、視点を変えるだけで、snsを活かして楽しむことができるかもしれない!だったらうまく活用する方を選びたいなと思う今日この頃😊🌱


あなたはsnsとどうやって付き合っていますか??
いろんな視点を知りたいのでぜひ教えてください!


最後まで読んでいただき、ありがとうございました🥰


ママのコンディションを整える作業療法士 原田れいな






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