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週刊誌という「世界」#5 「初スクープ」は突然に――


僕が記者になった少し前の時代から、週刊誌は斜陽の時代を迎えていた。

「フライデー」は最盛期には毎号200万部を発行していたとされる。

「昔は金を刷っているいるようなものだった。海外取材も行き放題。記者は儲かったんだよ」

あるベテラン記者はこう回想した。

誌面も取材もイケイケ。しかしビートたけし編集部襲撃事件などが転機となり写真週刊誌への批判も高まった。そして時代とともに写真週刊誌はその部数を減らし始める。

僕は編集部に参画した2003年ごろは、30万部強の部数まで低迷するようになっていた。

併せて記者の人件費も絞られるようになった。僕は週刊誌の”よき時代”を知らない記者としてキャリアをスタートすることになったのだ。

先進的だったフライデーの仕事

どこの週刊誌のスタッフも、基本は「出版社社員」と「契約記者」、「契約カメラマン」で構成されている。僕は契約記者としてフライデー編集部に所属することになった。

「夜は張込だ。それまでこれ読んでおいて」

ぶっきらぼうにAさんは資料を示しながら指令を出した。

まず僕に与えられた仕事は政治資金収支報告書をめくり献金者の素性を洗うことだった。名前をリストアップして企業データベースに照会をかける。もし会社社長ならば、その会社が公共工事などを受注していないか官報などで調べあげる。つまり政治献金者の献金意図を資料から分析する仕事だった。

例えばA社社長が500万円の献金をする。その後に公共工事の受注の事実があれば、そこに「請託」や「口利き」があったのではないか、と分析していくのだ。チラリとAさんを見るといろいろな資料を突き合わせて考えを巡らせている。


いまでこそ一般的になっている政治資金収支報告書のチェックだが、当時は新聞社もほとんどやっていない取材方法だった。

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その後、政治資金収支報告書分析から様々なスクープが産まれた

フライデー編集部がなぜ「先進的」にそうした取材が出来ていたのかというと、ベテラン記者であるY記者が行っていた小渕恵三元首相を巡るドコモ株事件報道が原点となったそうだ。
小渕首相を追求するにあたり、ありとあらゆる資料が集められ取材方法が試行錯誤された。そうしたなかで政治資金収支報告書から問題を分析していくというノウハウが蓄積されて行ったのだという。

Aさんは編集部では基本的に口を開かない。常にパソコンを睨んでいるか資料を熟読し、何かを思案している。取材以外にも新聞や雑誌、会員制月刊誌など全てに目を通し情報収集を怠らない。僕はそんなAさんの仕事ぶりを横目に見ながら、政治資金規正法や情報公開法、補助金適正化法などの書物と睨めっこしながら作業を進めて行った。

権力者の近影を「張込み」

昼は資料分析か取材、そして夜は「張込み」というのがフライデー政治班のルーチンワークだった。

張込みはキャップのAさん、ベテラン記者のM氏、そして僕+αの記者が1~2名、そしてカメラマンという4~5人が基本チームとなった。

「いこうか」

18時ごろになるとキャップであるAさんの掛け声とともに、記者は張込の準備を始める。

(刑事ドラマみたいじゃん!)

おっかなびっくり無線ホルダーをジャケットの下に装着しながら、僕のテンションがあがっていた。無線は車にも搭載されているが、展開によっては記者が歩いて尾行することもあり得るので各自がハンディ無線機を装着していた。

ハンディ無線機はベルトにホルダーをつけ本体を装着する。コード付きマイクをスーツの袖から通し袖口から出す。口元に手を添える形でマイクから発信をする。受信内容は耳の外側から通したイヤホンで拾う。SPや警官が装備している無線機と基本的には同じである。

無線機を携帯し終わったら地下駐車場に降りる。講談社の地下駐車場にはフライデー編集部が社用車としてレンタルしている、「張車(ハリシャ)」(張込用の車)と呼ばれる様々なタイプの車が10台ほど常備されている。

政治班は永田町では目立たないクラウンやセルシオといった黒塗りの車を利用することが常だった。

Aさんがセルシオに乗り込み、見習い記者の僕は後部座席に乗り込んだ。Aさんは無言のままタイヤを軋ませてセルシオを発進させた。

その日のターゲットは竹中平蔵氏だった。取材趣旨は小泉政権のブレーンとなっていた経済学者の竹中平蔵氏の素行を調べようというもの。写真誌は写真さえあれば記事はどうにでも書きようがある。とりあえず権力者の近影を撮るのがフライデー政治班のルーチンワークの1つだった。


「チャンネルは3、ターゲットは竹中。今日のスケジュールは不明なので『追っかけ』になります。それぞれの配置でお願いします」

Aさんが無線で指示を飛ばす。この日はとりあえず竹中氏を追っかけてどんな動きをするか探ろうという日だった。

車窓からオレンジの街頭が綺麗に見えた。内堀通りをフライデー記者が駆る3台の車が流れるように走る。国会議事堂を横目に見ながら、普通じゃない場所で普通じゃない仕事(張込み)を行うことになることに僕は興奮しっぱなしだった。


張込みの仕事もまたプロのものだった。記者は政治家の公用車のナンバーが頭に入っていたし、行きつけの料亭もリスト化されていた。すれ違っただけで誰の車かを判定できるほどの洞察力を持っていた。

政治家の会食、会合、夜遊びなど、夜の張込みでは様々なシーンを目撃することになった。

「記者は法律家じゃない」

近影写真を撮影し政局取材を進める。そのように毎週の記事を作りながら、一方でスクープを探して資料や情報を掘る作業を続ける日が続いた。

ある日、僕がAさんに質問をしたことがあった。某社が公共工事を受注しているのだが、政治献金は受注日より後だった。当時の法律では請託とはされない事例だった。疑問は残るが、法令違反とは言えない。どうしたらよいのか質問した。

「俺たちは法律家じゃないんだからさ。おかしと思ったら、おかしいと思うことを取材するのが記者なんだよ。そこを掘り下げればいいんだよ」

Aさんはキッパリとそう言った。業者との癒着は法の網をかいくぐって行われる。記者は法律家ではない。問題提起をすることが自分達の仕事だ。そういう意味だったと思う。

僕がフライデー記者になるにあたり反対する声もあった。

「週刊誌に行くなんて、親に言えるんですか? パパラッチでしょ」


とある編集者にこう言われたこともあった。週刊誌というとどうしてもイメージはゴシップになる。反対意見の一つが「赤石にゴシップ取材は向いているのか」という理由だった。

しかし実際に入って見るとプロの仕事をする記者がたくさんいた。取材も張込もプロの技術で溢れていたのだ。ギャラについても高くはなかったが報道記者経験ゼロからのスタートだと考えると、そんなものかと考えることも出来なくはない。

特にAさんは記者として興味深い存在だった。ぶっきらぼうだが、そのストイックな仕事ぶりは、週刊誌が決していい加減な仕事ではないことを物語っていた。

前述したように僕は週刊誌を読んだこともなかったし、憧れを持っていた訳でもなかった。ノンフィクションを書くために取材経験を積むためという打算的な理由もあり編集部に入ることを選んだ。給料も僅か。問題は金銭ではなかったが、「人生を賭けるべき仕事なのか否か」は、この仕事を続けていく上で重要なポイントだった。

そんな心持だったので、もしかしたらいい加減な記者が上司だったら早々に業界を去っていた可能性もあったと思う。

実際に記者の中にはモチベーションが高い人もいれば、ゲームばかりしているやる気のない記者もけっこういた。人件費のカットがその原因だったのかもしれないし、時代の変容が理由だったのかもしれないが、一部には弛緩した空気が漂っていたのも事実だ。

ある日、Aさんがフライデー編集者と打ち合わせした後に凄く怒っていたことがあった。

「あいつは週刊誌を軽く見ている。適当でいいと思っているんだ。舐めているんだよっ」

吐き捨てるような言い様にAさんの強いプライドを感じた。

週刊誌記事はいい加減に作ろうと思えばどこまでもいい加減に作れる。「噂でいいじゃん」、「面白ければいいじゃん」、「パクればいいじゃん」と仕事を軽く考える週刊誌スタッフは常に一定数いる。一方で手間をかけようと思えばどこまでも手間をかけることが出来る仕事でもある。読者にはその違いが判りにくい部分もあるが、現場視線で見ると「いい加減な記事」と「手を尽くした記事」は全然”読み応え”が違う。

Aさんは後者の仕事を重視する記者だった。

Aさんが最初の上司でなければ、この業界でやっていこうという確信を持つことは出来なかったかもしれないと今も思う。それだけのクオリティのある仕事をプライドある記者たちは目指していたし、当時のフライデー政治班はAさんにより高い志を注入されていた。目標は時の政権に楔を打ち込むこと。常にスクープを目指すことを是としていた。僕はやがて「この場所で一人前になろう」と決心するようになっていた。

チャンスは突然訪れる

「赤石さん、ちょっといいですか」


フライデー・デスクのKさんに声をかけられたのは2003年初夏のことだった。政治班を統括するKデスクは僕を記者として採用してくれた身元引受人のような人物だった。年は僕より1歳か2歳下だったが、政治取材歴は10年あまりと長かった。僕は編集部に入って半年あまり、やっと仕事に慣れてきたところだった。

「実はAさんが月刊現代(講談社の発行していた総合誌 2009年休刊)に移籍することになったんです。赤石さんにAさんから仕事を引き継いでもらいたいですよね。どうですか?」

Kデスクの眼鏡の奥の眼が鈍く光った。政治班エース記者の仕事を引き継げというのだ。編集部には20名あまりの記者がいたが、なぜか僕が後任に指名されたのだ。

「わかりました」

僕はあまり深く事情を考えず返事をした。

この業界、チャンスは予告もなくいきなりやってくる。

半年間、Aさんを中心に政治班で取材を進めていた案件があった。「官邸のラスプーチン」と呼ばれた飯島勲秘書官についての記事だった。Aさんが小泉首相の某後援企業が飯島氏の為に長野県内に別荘を建設していたという事実を割り出していた。取材は90%のところまで来ており、あとは飯島氏が別荘を本当に利用しているかと、別荘建設の背景を取ることが必要となっていた。転籍するAさんから引き継ぎを受け、この記事を仕上げるのが僕に課せられたタスクだった。

「問題は写真なんですよね」


Kデスクが悩まし気に言った。写真誌という性格上、マストとなるのが証拠写真だった。飯島氏が別荘を利用している写真があれば記事のインパクトは倍増する。では、いつ彼は長野に行くのか? ウィークリーの仕事があるなかで、長期間現地に滞在する訳にもいかない。

「盆休みはどうですか? 週刊誌の動きを熟知している飯島なので、週刊誌の休みも把握しているはずです。そこを狙ってで動くような気がします」

僕はこうデスクに提案した。週刊誌編集部はどこもお盆時期に一週間ほど夏休みに入る。あえてその時期に張り込みをしてみてはどうかと考えたのだ。

飯島氏は新聞記者から週刊誌記者、日刊紙まで幅広い交流を持ち、記者を懐柔してきたと噂されていた。権謀術数に長けメディアを自在にコントロール様から"官邸のラスプーチン"という異名がつき、政界関係者を畏怖させる大物と評価されていた。行動にも細心の注意を払っているはず。そんな飯島氏の裏をかくのだ。

「いいんですか? 赤石さんの休みがなくなりますけど」
Kデスクは申し訳なさそうに言った。

「旅行がてら行ってきますよ!」


休みなんて関係ない。スクープが優先だろう。僕は躊躇いもなくそう思えるほど週刊誌の仕事を好きになっていた。

8月の暑い日だった。長野県某所。小高い丘の上で僕は草叢に寝転がりながら眼下の光景を眺めていた。視線の先には平屋作りの別荘があった。表札は「飯島」ではなく別人の名前になっていた。

田舎での張込みということもありフライデーの社用車であるセルシオを利用するのは目立ちすぎる。そこで観光客を装うために、愛車のゴルフカブリレを使用することにした

車は岡の先に停車し、女性カメラマンのF氏は車内で待機している。Fカメラマンは自らのテーマを追いながら、取材費を捻出するためにフライデーカメラマンをしている女性だった。パパラッチ技術は的確。寡黙だが芯が強い性格で、政治取材だと静かに闘志を燃やしてくれるタイプだった。

「しかし暑いなぁ。本当に飯島来るのかな」

僕は大の字になりながら太陽を睨みつけながら独り言ちた。空が青い。静かでのどかな風景は事件が起こる予兆すら感じさせない。僕は自分のプランにいささかの不安を感じ始めていた。


そのとき――。一台のクラッシックカーが別荘の駐車場に滑り込んだ。よく見るとずんぐりとした体格の男の影が運転席に見えた。

「アイツだっ。ヤッバ!」

僕は慌てて草叢に姿を隠しながら車に走った。

「飯島です!! オリジン(トヨタが限定生産したクラッシックカー風の車)が愛車のようです。写真お願いします!!!」

「マジ!? わかった」

Fカメラマンはすぐさま撮影体制を取った。車の窓を静かに開けると望遠レンズを別荘に向ける。

“カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!カシャ!”

Fさんがシャッターを押しまくる。読みが当たった。僕は異常な興奮を覚えながら眼下の光景を見下ろしていた。

僕は車を静かに発信させると別荘にゆっくりと近づいた。車で通りすぎるふりをしながらシャッターチャンスを探すためだ。別荘前の庭に飯島氏の巨躯が見えた。官邸のラスプーチンと呼ばれるだけに、その横顔から覗く目つきは鋭い。

(マジか。本当に飯島だよっ…)

ハンドルを握る手が震えた。Fカメラマンは黙々とシャッターを切り続ける。写真は完璧だ。

東京に戻り僕はデータ原稿(取材メモ)を大至急で仕上げた。飯島氏とスポンサー企業について知る得る事柄を全て書き上げた。フライデー編集部はアンカー制という形を取っており、記者は取材とデータ原稿作成、原稿は編集者がデータを参考にしながら書くというシステムになっていた。原稿は編集者が書くものの記事の最終責任を持つのは記者取材だ。テンションがあがりすぎて夢中になってデータを書きあげたことを覚えている。気が付けば朝になっていたーー。

『小泉首相No.1側近の「<金満>別荘」と<金脈>』(2003年09月05日号)

発売された雑誌にはこうデカデカとタイトルが踊った。僕にとっては初スクープである。

(取れちゃったよ。スクープ、、、)

刷り上がった雑誌を、僕は何度も何度もくりかえし眺めた――。

(つづく)


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