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ダブルチェックとスポーツジャーナリズムについて

「Number web」で昨春まで連載していたビエルサ監督記事。改めて執筆者として#1を読むと、「力入っているなー」という気がします。ビエルサという大きいテーマに取り組むにあたり、肩の力が入っている様子が文中からも伺えます。恥ずかしい(笑)

ダブルチェックとは

取材を初めて感じたのがエルロコの愛弟子である荒川氏の緻密さです。戦術にしろ人物評にしろ、必ずダブルチックをしてくれる。ダブルチェックとは、記者用語では「裏取り」と言いますが、要は複数のソースから事実を確認するファクトチェクのことです。

連載中、取材が一回では終わることなく。何度も何度も取材し、議論しチェックする工程を経て記事を出稿していた。これもひとえに荒川氏のストイックさによるところでした。

じつはビエルサ記事を発表してから一つだけ残念なこともありました。あるサッカーライターが記事にクレームを付けてきたのです。概略を言うと「ペップとビエルサの発言は逆だと英国新聞には書いてある」、という指摘でした。


前述のように記事はなるべくダブルチックをしていたものでした。ペップとビエルサの発言が英語新聞とアルゼンチンの新聞では逆であることはチェク済みでした。僕が荒川さんのインタビュー起こしをして、ダブルチェックとして英字記事を確認しているなかで浮上た問題でした。荒川さんはスペイン語が堪能で、関係者からスペイン語でそう聞いていた。しかし英字記事では違う発言者で書かれていると僕が質問し、荒川さんがスペイン語新聞やペップの動画インタビューなどを確認してくれました。結論は、英国新聞の記事はスペイン語メディアの誤引用であるという結論になりました。ペップが発言者問題をインタビューで質問され、答えていたから間違いありませんというのが荒川さんの見解でした。

記事を書くためにいくつかの経緯がありました。その工程を知らないで、サッカーライターの指摘は行われたのだと思います。

ライター氏には僕の方から「ご指摘についてはコレコレのファクトがあり事実だと判断し書いてます」と丁寧目に関係者を通じて返信をさせてもらいました。しかし僕のメッセージに対して返答がないばかりか、名前すら最後まで名乗ることはありませんでした。

サッカーライター氏が誰なのかは、今となってはどうでもいいことです。ただ議論を積み上げる作業をしてこそスポーツジャーナリズムは進化するのではないかと、当時僕は思いました。僕は誠意を持って書いた根拠を提示したつもりでしたが、相手はそうではなかったことは残念でした。

スポーツにジャーナリズムはあるのか

僕はもともとは週刊誌記者でスポーツジャーナリズムの世界では門外漢であることは十二分にわかっています。でも書くという仕事は、「どこまで誠実に物事を行うか」にかかっていると思います。

ここからは僕が日本のスポーツジャーナリズムについて思うことをズバリと書きます。本当に素晴らしいスポーツジャーナリストがたくさんいる一方で、取材をほとんどしない記事、海外メディアを翻訳要約しただけの記事、ただ選手にぶら下って一方的な情報を垂れ流す記事も多いなと正直思っています。さらには試合を見て書いただけ、という感想文のような記事も散見されます。むしろnoteに掲載されているスポーツコラムの方がレベルは高いのかな、と感じたこともありました。

なぜ、そうなるのか。

これは生意気な書き方になりますが、プロ記者としての訓練を受けていない人も少なくないことが影響しているのかなと思います。記者として取材は必須のことです。重要な個所についてはダブルチェックをすることも常識です。

「嫌われた監督」著者の取材

ベストセラーノンフィクションである『嫌われた監督』(文藝春秋)を書いた鈴木忠平氏というライターがいます。彼とは知人を通じて顔見知りという間柄にありました。元プロ野球選手の清原氏の取材でも有名な方です。僕が感服したのは、彼が清原の地元で取材を重ねるばかりか、岸和田のだんじり祭りまでを取材するようになり、その奥の奥まで入って行き。一緒に祭りに参加するほどの取材を重ねているという姿勢でした。まさに記者として共感できるエピソードでした。

ある日、鈴木氏に僕の著作(ゴーストで書いた一冊)について「冒頭が大好きです」と言われたことがありました。鈴木氏は美文家として知られているライターだけに、とても嬉しかったことを覚えています。

記者は、他人が書いた記事を読めば、この記者はどれくらい取材しているかがわかるものです。僕も著作はかなり取材を重ねて書いたものだけだったので、鈴木氏にそこも読み取ってもらえたであろうことが嬉しかったのです。

鈴木氏は元ニッカンスポーツ記者でした。あるとき、彼の先輩記者と話をする機会がありました。その先輩が感嘆していたのは、「嫌われた監督」においてスポーツ紙記者時代のメモなどを全て保管していたことでした。当時のメモがなければ、あれほど緻密なノンフィクションは書けなかっただろう、と語っていました。

海外からの直言

スポーツジャーナリズムについて僕は門外漢でしかありませんが、よりプロジャーナリズムになる必要があるのではないかと常々思っていました。

例えばサッカー日本代表についての記事で、真にサッカー好きが満足するような記事、溜飲が下がるような記事は極めて少ない。これは僕がサッカー記事を多読しているサッカーファンであるので、個人的見解ですが凄く実感するところです。

こんなこと書こうと思ったのはあるTwitterを見たからです。

小沢氏のツィートに、確かにと頷かされたのです。ジャーナリストと取材対象は対等であるべき、というのはどこのジャーナリズムの世界でも持つべきスタンスだと思います。日本のスポーツジャナリズムに少なからず問題があるのは、この原則が日本では保てないケースが多い、ということなのでしょう。

クーパーファン

クーパーファンと言うと、察しのいい方はビエルサの教え子であるリーズのキャプテン・リアムクーパーかと思われるでしょうが今回は違います(笑)。

リアムクーパーももちろん大好きですが、クーパとは僕が好きなライターなのです。その名前をサイモンクーパーといいます。大学生のときに世界を周り、処女作である本を書きあげ。その後も、秀逸な記事をたくさん書いているジャーナリストです。彼の記事には社会性があるところが僕は凄く面白いと思っているポイントです。


彼の記事に社会性があるのはある意味当然で、彼の処女作は「サッカーと政治」をテーマに22カ国を旅して書いた『 Football Against the Enemy(邦訳『サッカーの敵』白水社)』でした。その後サイモンクーパーは英紙フィナンシャル・タイムズの記者を経てフリーランスとなるという、生粋のジャーナリストなのです。

上記の記事のように、単に"スポーツ最高"ではない記事が彼の真骨頂だと思います。日本の雑誌ではワールドサッカーダイジェストで彼の連載が読むことが出来ます。ワールドサッカーダイジェストで、僕がいのいちばんに読む記事がサイモンクーパーのコラムです。最近ではバルセロナ記事が取材が尽くされていて最高でした。


次に読むのがザ・ジャーナリスティクです。このページはスペイン、イタリア、イギリス他のスポーツ記者がコラムを書いているページです。コラムはどの国のジャーナリストも、大概が自国サッカーへの厳しい視点、批判が書かれいます。やはり批判的な眼を持つことがジャーナルの世界では必要なのだと改めて感じます、ときに賛美記事もあるのですが、批判を書くことによって賛美がより美しく読めるのです。

ジャーナリズムとは何か。それは難しい議論です。僕が一つ思うのはその記事がその世界の浄化や進化に寄与されることを目指して書くことではないのかなと思います。僕は取材が尽くされた記事や、批判精神がある記事が好きです。ふと、過去といまを思い出し、俄かスポーツジャーナリズム雑感を書いてみました。

(了)

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