【エッセイ】25の手紙

春の足音は、ほかの季節のそれよりも大きく聞こえる。
そしてすべての生物がその音を聞いてざわめき浮き足だつ時頃に、私は生まれた。
誰かが言っていた「誕生日なんて気にしなくなるよ」という言葉は、
どうやら私にはまだ当てはまらない。

私にとって誕生日は未だ、カレンダーの中で金色の光を放つ特別な日だ。
盛大に祝ってほしいとか、一言でもおめでとうと言ってほしいとか、そういう願望だってもちろんある。
25回目だからと言って飽きたりしない。
私が初めて行ったディズニーランドも25周年だったが、誰も退屈そうな顔はしていなかった。

でも今年はなんとなく、ただ特別なわけじゃないことに気がついて、
それで筆をとろうと考えたわけである。
体の奥からにじり寄って来る奇妙な感覚を、言葉にしてみようという試みだ。

25歳になっても、
日々寄せては返す不安の波は消えない。
突然だが、
先日『THE FIRST TAKE』でアンジェラ・アキさんの『手紙~15のぼくへ~』が公開された。
私はそれを中央線に乗っているときに見てしまい、
電車の中で直立で揺られながら涙する怪しい人になってしまったのだが、
この歌の歌詞には不思議な力がある。

「荒れた青春の海は厳しいけれど」という歌詞があるのだが、
確かに青春の海は厳しかった。
今思い出してもそう感じるということは
当時はもっと苦しんでいたということだ。

波に揉まれ大陸を目指した冒険家のように、
嵐の向こうにある光を求めて、必死にオールを漕いできた。
時には別の船に乗る人間と手をつなぐこともあったが、
それでもひとりで進んできたのだ。

実感を伴った歌詞はさらに新たな考えを引きずって立ち現れる。

誰かにとって今にもゴーストシップが現れて死に誘われてしまいそうな暗黒の海でも、
ほかの誰かにとったら、
綿菓子がふって、飴でできた虹色の橋が架かる夢のような海であることが珍しくない。
だからこそ、私にはひとりで海を渡ってきたという実感が少なからずある。

私は船に乗っているとき、希望を抱いていた。
「いつかこの苦しみに相応しい幸福な毎日がやってくる」
周囲にそんな大人がいたわけでもないのだが、
「私に訪れる未来はちがうかもしれない」と、本気で思っていた。

その何たる愚かなことか。
ヒトという生物の一個体であるにもかかわらず、
自分だけはちがうのではないかという期待と希望を抱き、
オールをもった腕に力を込める。
思い返してみれば、この24年間は、自分が特別かもしれないという思想からの脱却に費やされたといっても過言ではない。

特別ではなかった。
10代でそのことに気が付く人間もいれば、
50代でようやく受け入れる人間もいるだろう。
私の場合は、それこそがこの年、
つまり25歳になる今年だったように思う。

海に果てなど、ない。
私は”青春”を通り過ぎた大海原で、ひとりオールを持ち、浮かんでいる。
これが不安の正体だ。

コンパスがなくても、航海計画書がなくても、
進路を心のままに決めてこられた今までとは違う。
私は嵐を予見し、その嵐から小舟をひとりで守る責務を負った。

難しい。生きるとはこんなにも難しいことだっただろうか。
近頃よくこんなふうに考え込んでしまうのは、
私が通ってきた道に自信を持っていないからではない。
むしろ通ってきた道に自信があるから、保険を掛けようとしている。

元々勇敢な戦士ではなかったのに、そんな自分を愛することができなくて藻掻く。
不意にあの歌の歌詞がよみがえる。
「大人の僕も傷ついて、眠れない夜はあるけど」
あぁ、そういう意味だったのか。

荒れた海の先にあったのは光ではなく、
凪だった。
私が船を漕いで前に進まなければ、何も変わらない。
私が。私の人生が。


舟を、前に進めたいと思う。
そのために捨てたいと思った。捨てた分しか新しいモノは入ってこない。
守るべきものを守りたい。だから私は捨てるのだ。

既に捨てたモノが、海原の中でキラキラと輝いている。
私の人生を支えてきた過去よ、その断片よ。
私は忘れない。
必要ではなくなって、小舟に乗せることができなくなっても、私が生きる限り覚えている。

特別なだけじゃないのは、時間だけが過ぎていった人生にカンマが打たれたからだ。
もっと面白おかしく、今まで進んできた針路を肯定できるように。
私には"決めて、進む"ことしか許されていない。

次の海域で再び迷う時、
もっとマシな文を書けるようになっていることを
祈るばかりである。

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