見出し画像

『波紋』を観て

映画『波紋』を観た。

筒井真理子主演の本作は抑圧と解放の物語だ。主人公の依子は夫と息子と暮らし、舅の介護をしていたが、原発事故のニュースをテレビで見たある日、夫が失踪する。

依子は新興宗教にはまり、息子は九州の大学に進学する。舅を看取った後、枯山水の庭を毎朝手入れしながら、スーパーのレジのパートに通い、祈りを捧げ静かに暮らしていたが、ある日突然夫が帰ってくる。

帰ってきた夫は自分がガンであることを告げ、「最期は君のところでと思って」と言う。薄汚れた格好で帰ってきたと思ったら、何事もなかったように話し、当たり前のようにごはんを作らせ、当たり前のように食べて飲みながら好き勝手なことを言う。淡々とした暮らしのリズムを一気に乱される感覚。この夫が本当に腹立たしいのだ。視界に入るだけで癪に障る。食べ物を食す仕草や音に虫酸が走る。不潔感に身の毛がよだつ。そんな五感で苛立たせてくる夫を光石研がうまく演じ、筒井真理子の表情が絶妙に語っている。

依子には友達がいなかった。更年期である上に、嫌味っぽい隣人や、レジで半額にしろと言ってくる老人など、日常の小さなストレスが積み重なるが愚痴を言う相手もいない。そこへきての夫の帰還である。宗教組織のリーダーに相談すると、夫を赦し、耐えるよう言われ、そのために効くという特別な水を買わされる。依子は熱心に祈り、耐えようと努力するが、どうにもつらい。スーパーの従業員ロッカーで汗を拭いていると同僚が更年期に同情してくれて、プールで泳ぐことを勧められる。言われた通りにプールに行くと、その同僚も泳いでいて、サウナで話をすることになる。ここで夫のことを打ち明けると、「生きているうちに仕返ししなきゃ」と言われる。仕返しという選択肢に初めて思い至った主人公は、こっそり夫に憎しみをぶつけてみたり、嫌味を言ってみたり、少しずつ変わっていく。

人間は脆くて、みんなうまく生きられないのだ。新興宗教にのめり込む人々は穏やかそうな顔をしているけど、そこに縋らなければ生きられない何かを抱えている。スーパーで半額にしろと怒鳴る老人も、そうする以外にない理由があるのかもしれない。真っ当なことを言ってくれる、一見普通そうな人も、大きな悲しみを抱えて身動きがとれない状態だったりする。

そして、人間は正しくなんて生きられない。依子は息子が連れてきた聴覚障害のある彼女に嫌悪を向ける。いざ自分事となると理性を保てないとか、理想の人生と程遠い現実にこんなはずじゃないと思ってしまうとか、そんな主人公の姿は痛々しくもリアルだ。波紋を投げかけ合うように家族が言い合うシーンはグサグサと胸に刺さる。

ラストシーンは狐の嫁入りで、それはどこまでも明るくどこまでも暗い彼女の心の内を表しているようだった。主人公が「解放」されるとき、表現が爆発する。蹴散らすように踊る全身から、今まで彼女を縛っていたものが剥がれ落ちていくようで、なんとも言えない不思議な爽快感があった。周囲に縛られていただけでなく自分で自分を縛っていたところから解き放たれていく有り様は美しい。

この物語は人間の心の暗いところを描ききっているが、ただ暗いだけでなくどこか笑えるところがあって、人間という存在のおかしみをも描いている。モヤッとするものを胸に残してくるけど、見終わった気分は悪いものではない。


***


この作品は、フラメンコのパルマ(手拍子)が使われているというのを聞いて観に行った。パルマの使い方が斬新で、大きな物語にリズムを与えていて小気味よかった。水がこの物語の一つのキーになるが、湿気のない乾いたパルマの音を使っているというのがおもしろいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?