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映画『コンパートメントNo.6』を観た

『コンパートメントNo.6』という映画を観た。(ネタばれあり)

私はフィンランドのアキ・カウリスマキ監督が好きで、フィンランドのおとぎ話のような街並みで繰り広げられる独特の語り口にはまって、恵比寿ガーデンシネマやユーロスペースで封切られるたびに観に行っていた。
で、本作のうたい文句に「カウリスマキ監督に続くフィンランドの新たな才能が誕生!」とあったこともあり、新宿シネマ・カリテに足を運んだのだった。
フィンランド・ロシア・エストニア・ドイツの合作。フィンランド国内では7冠、カンヌ映画祭グランプリ受賞作、そしてゴールデングローブ賞にもノミネートと、大変評価されている作品らしい。

結果的にカウリスマキとは違うかなと思ったけど、モスクワから北極圏への鉄道の旅をベースに展開される物語は、雪と岩と黒い海、色彩が白と黒しかないような車窓、極限の地に生きる人々をまるでドキュメンタリーのように映し出していて、まずは眼福、美しい映像に魅了された。

舞台はモスクワのスノッブなパーティから始まる。モスクワ留学中で考古学を学ぶフィンランド人女学生ラウラが、北極圏にある古代のペトログリフ(岩面彫刻)を観るため、寝台列車の旅に出る。本来、恋人(女性教授)と一緒に行くつもりがドタキャンされ、旅の途中で彼女に電話したり、彼女のためにビデオレターを撮りだめたりするのだが、なんとなく距離を置かれつつあることに心の底では気付いている。失意の彼女は常に仏頂面で、イライラして、ため息ばかり。

その失意の彼女の傷口に塩を塗るべく現れたのが、6号コンパートメント(客室)に乗り合わせたロシア人労働者のリョーハ(若い頃のユアン・マクレガーに似てる?)。肉体労働のために彼女と同じ終点のムルマンスクまで向かうという彼は、酒に酔って無礼な質問ばかり浴びせ、食堂車でもラウラにつきまとってくる。モスクワでインテリ層に囲まれて生活してきたラウラは耐えられず、車掌に客室変更を申し出るも断られ、3等車も空きはなく、仕方なく廊下で男が寝静まるのを待ったりして、居場所のない最悪の時間を過ごす。仏頂面がMAXになっている。

6号コンパートメントには道中、家族連れやフィンランド人のバックパッカー男性が乗り合わせたり、長距離列車ゆえ途中、見知らぬ街(ペトロザボーツク)で1泊することになったりと、様々な外的変化が訪れる。その変化を共に経験しながら、ラウラの、第一印象最悪だったリョーハを見る目が少しずつ変わっていく。

リョーハはがさつで言葉が足らず荒々しいが、実はぶっきらぼうなだけで、子どもにみかんをあげたり、ラウラが男に絡まれているのを助けたり、性根は結構いい奴。それに気づいたラウラの側が少しずつ彼を受け入れ、唯一の話せる相手として頼るようにまでなっていく。

終点のムルマンスクが近づき、また同地でも再会があり、二人の間に恋愛感情は芽生えるのか……と観客に思わせる状況が続くのだが、ラストも含め、「そうならない」ところにこの映画のキモがあると思った。

映画冒頭のパーティで、ラウラの恋人が「人間同士の触れ合いは、いつも部分的に過ぎない」というマリリン・モンローの格言を披露するが、まさにこの言葉が本作の通底にある。

「赤の他人」と勇気を出して交流しあい、部分的にでも理解することで人は安心を得て、交流できた自分にも自信を得、幸せを感じていくのだろう。時には「相手をもっと知りたい」と願うところから、生きる希望が湧くのかもしれない。ところが、このリョーハの行動が時々、理解しがたい部分があり、「打ち解けた」「分かり合えた」と思った矢先にラウラも観客も「???」となる。確かに、彼のことはラウラにとって「部分的にしか」理解できないのだ。

ただ、彼に「???」となったラウラが一人、タクシーでホテルに戻るラスト。タクシードライバーに渡されたリョーハのこれまたぶっきらぼうな手紙を手に、彼女はまた仏頂面に戻っている。しかし、「???」をかみしめるように咀嚼するうちに、口角は徐々に上がり、やがてこらえきれずに笑いだす。

彼女がなぜ笑ったのかは観客に委ねられている。私は彼女が「人間同士の触れ合いは、いつも部分的に過ぎない」の真理を悟ったゆえの笑顔なのだと感じた。他人は理解できるようでできない、できないようで時々はできる。その不可思議な存在に救われることもあるし(彼女の失恋による傷心は、リョーハの存在で癒されたように思える)、失望することもある。でも、他人との関係を結ばないよりは結んだほうが人生は面白い、という他人の存在のありがたみを発見したところに、彼女の笑顔があるように思った。

身に覚えがある。閉じこもって独りでいるより、多少振り回されても人とワシャワシャ触れ合ってたほうが、なんだか気が紛れて物事がうまく進むことがある。そういううっすらした思いを確信に変えるような映画だった。

本作はロシアのウクライナ侵攻前に撮られたらしいが、そろそろ1年になる戦時下で「憎きロシア」の風潮の中、ロシア国内の市井の人々は善良にささやかに懸命に、日々を生きる個人なのだということもよく伝わってきて、ありきたりながら、映画っていいなと、改めて思った。

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