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【05】404PMC:銃社会日本探偵録 前編「死を思えぬ者たち:樺太捕虜収容所職員変死事件」05

前話

 名探偵、みなをあつめて、さてといい。
 じゃあないが。
 結果的にそんな雰囲気にならざるをえないのはどうにもな。
 まあ愚痴っても始まらない。俺の目的は件の少女の身元を引き取ること。その上で障害になる事態を排除する必要がある。必要が必要である限り、俺はそれを行うだけだ。
「お集まりいただけたでしょうか」
 俺は集まった面々を見渡す。オレンジ色のつなぎ姿の少女、スタッフの門倉、現場の警備に当たっていた警備兵二人、芦原の娘さん、そして……。
「……どちら様で?」
 ひとり、知らない男が混じっていた。
「この収容所の人事主任だ」
 年のころ五十過ぎくらいのスーツ姿の男はそう言った。人事主任すなわち非正規雇用従業員にとっての悪の権化ということか。
「探偵、ずいぶん勝手なことをしてくれたみたいだな。警察もMPも到着しないうちから」
 人事主任の男は横柄な口の利き方をした。これは元非正規雇用の俺の僻目……ではないはずだ。
「まったく、収容所内で事件など面倒なことだ。迷惑してるよ」
「そうでしょうね。ですから俺の方から、その面倒を取り除こうという話です。こちらとしても身元を引き受けようという彼女にいらぬ嫌疑がかかっていることですし、お互い無駄を省きスムーズに事態を進行させるための会だとお思いください」
 では、発表会といこう。俺は皆の前に立った。
 場所は面会室ではない。あそこは狭すぎるし、なにより死体がある。娘さんに見せるわけにもいくまい。死体があった方が話は早いが仕方ない。そこで収容所にある会議室を利用している。
「さてまずは事件の概要を整理しましょう。被害者は芦原というこの収容所の非正規雇用従業員。彼が面会室で死亡しているのを俺と、そこの門倉さんが発見し事態が発覚。周辺状況から理解するに……。現場の面会室は十一時過ぎに掃除がされていた。つまりその時点では芦原は面会室にいなかったことになる。ところがその後十三時近く、明らかに不自然に響く発砲音を多くの人が聞いている。おそらくこれが芦原の死因となる銃撃の音だったと思われます。そして十四時過ぎに我々が死体を発見……という経緯。芦原の死体は十人が見ればひねくれ者でも混ざっていない限り十人が自殺だろうと推定する状態で倒れていました。ただ、ここにひねくれ者でなくても疑義を挟まざるをえない要素がひとつあります」
 ちらりと、少女を見る。
「彼女です。俺が身元を引き受けに来た彼女。個体識別番号1984。彼女が十四時過ぎに面会室に入り、俺たちが面会室を訪れるまでそこにいた。あるはずの死体と一緒に。死体を目撃しながら、その死体になんらリアクションを取らずに」
 無論、少女が犯人だとしてもこれは不自然だ。彼女の行動はどう解釈しても不自然なのだから、逆に気にする必要はないくらいだ。とはいえ、本当に自殺なのかという点をちょっと立ち止まらせる要素にはなる。
 それを排除しなければならない。
「結論から言いましょう。彼女は今回の事件に関係ない。それを説明するために、まず周辺から埋めていきます」
 そこで、俺は娘さんの方を見た。
「もうひとつの結論。芦原は自殺です」
「…………それはっ!」
 反論しようとする娘さんを手で制した。
「まずは俺の話を聞いてほしい。疑問点は後でまとめて受け付けよう」
「……分かりました」
 思ったより冷静だ。助かる。
「なぜ芦原が自殺だと考えられるのか。これはいくつもの状況証拠からそう推察できるからです。まず芦原は自身の拳銃で死んでいます。落ちていた空薬莢から使用されたのは40口径弾。そして芦原の拳銃も40口径です。マガジンには一発分の空きがある。正確なところは警察が線条痕を分析しないと確定できませんが、まず芦原の銃から撃たれたものだと見ていい」
「自殺を偽装したかもしれないだろ」
 人事主任が噛みつく。最後まで聞けと言ったのに、堪え性のない男だな。
 まあいい。
「その可能性は低いでしょう。まず芦原の頭部銃創に火傷の跡がありました。これは銃口付近で噴出した火薬の燃焼ガスによるものです。銃をかなり近くで撃たないと火傷の跡はつきませんから、芦原は至近距離での発砲を許したということになる。そして現場に荒らされた形跡はない。以上の点から犯人に撃たれたというよりも、自分からこめかみに銃を当てて撃ったと考えるのが妥当です」
「不意を打てば済む話だ」
「仮にそれが可能だとしても、犯人は偽装工作を十分にできた可能性が低いんですよ。芦原の持つUSPは9mm口径と40口径でフレームを共有する銃です。つまりぱっと見には銃の口径の区別はつきにくい。よっぽど計画的な犯人でもない限り、まさか40口径なんて珍しい弾丸を使っているとは思わず、9mm弾で犯行に及んでしまうでしょう」
 これは銃の説明を聞いて気づいたことだ。だが黙っておく。あくまで俺が知識を持っていて気づいたという体裁にしておいた方が説得力は増す。そうでなくとも容疑者の知識に頼っては説得力が落ちるからな。
「それともうひとつ。芦原の利き手からしても偽装は困難だったでしょう」
「利き手?」
「芦原は左利きでしたが、それを果たして他人が気づけたかどうか、ということです」
「そういえば……」
 警備兵のひとりが呟く。
「あいつ左利きだったっけ? そりゃ俺たち芦原についてはあんまり知らないけど、左利きがいたら目立つもんだ」
「ああ。ライフルをみんなと違う手で構えてたら嫌でも目立つ」
 もうひとりも同調する。そう、その通り目立つのだ。アサルトライフルをみんなが右手で構えている中、左手で構えていたら。
「利き手がどのように決定されるのかについては諸説ありますが、遺伝的に決定されるという説もあります。その説によると、利き手を決定する遺伝子はふたつに分かれるそうです。すなわち、人を右利きにする遺伝子と、利き手を決定しない遺伝子に」
「利き手を決定しない?」
 門倉が首をかしげる。
「左利きにする遺伝子ではないんですか?」
「どうもそうらしいです。よく考えたら、顕性遺伝が右利きで潜性遺伝が左利きなら、左利きはおおよそ四分の一の確率で生まれるから、もっと大勢いてもおかしくないんですよ。ところが左利きの人間の総数は地域ごとに多少差はあっても、だいたい全体の一割くらいに留まるそうです」
「な、なるほど……」
「これはもっと言えば、利き手の強弱の問題になります。右利きはすべてを右手で行いますが、左利きには程度差があるんです。ペンは左手で持つけどボールは右手で投げる、みたいなケースが左利きにはけっこういるんですよ」
 ちなみに俺はかなり強い左利きで、大抵のものは左手でやる。だが同じ左利きにも、箸は右手で使うというやつもいた。
「おそらくアサルトライフルは右手で構えるが、ハンドガンは左手で構えるということもあるでしょう。芦原の場合、ペンは右手で持つが拳銃は左手で構えるタイプだったはずです」
 芦原は腕時計を左手首に巻いていた。そして右手でペンを持っていたのは、右手が黒く汚れていたことから分かる。彼は死の直前まで反省文を書かされていたはずだ。その反省文は鉛筆で原稿用紙に書くものだったという。右手で縦書きの原稿用紙に鉛筆で字を書けば、当然右手は汚れる。
 だが拳銃は左手で扱う。だから左利き用の調整がされていたし、ホルスターも左腰にあった。
「つまり、芦原の利き手はよほど注意しないと分からないんですよ。普通に見ていたら、右利きと勘違いしてもおかしくない。その彼の左手に銃を握らせて自殺を偽装できる人間が果たしてどれだけいるか。……少なくとも個人識別番号1984には不可能でしょう」
 まあ実際には、彼女が驚異的な観察力で芦原を見ていた可能性はあるが、ここは押し切った。彼女も空気を読んで何も言わない。
 「そんなことのできる計画性十分な犯人がいると想像するよりは、自殺だと考えるのが素直です。そもそもそんな計画性を持った犯人なら監視カメラだらけのここで殺人なんてしませんからね」
「う、うむ……」
 人事主任は押し黙る。
「で、でも……」
 だが娘さんは納得していないらしかった。
「どうして自殺なんて……」
「そりゃあ、長時間労働で精神がすり減ったからでしょうね」
「ちょ、ちょっと待て」
 また人事主任が口を挟む。鬱陶しいな。
「長時間労働だと。そんなことは……」
「行ってないとは言わせませんよ。娘さんの証言から明らかです。給与明細は誤魔化していますが、この収容所には監視カメラがごまんとあります。夜遅くに働く芦原の姿も映っているでしょう。映像を見せてもらえますか? もし見せられないというのなら、それこそが答えです」
「ぐう……」
 今度こそ完全に人事主任は黙った。これでちゃんと娘さんに向き合える。
「でも……お父さん、明日の約束してて……それなのに……」
「君は……ホームドアって知ってるかい?」
「……え?」
 あまりに唐突な俺の言葉に、娘さんは戸惑ったらしかった。
「ホームドア。樺太の鉄道事情は定かじゃないが、東京の駅のホームには多く設置されている。普段は柵のようになっていて、電車がホームに入ると出入り口のところだけ開くやつ」
「ああ……テレビで見たことはあります。それが、どうかしたんですか?」
「あれがどうして設置されているか聞いたことは?」
「ないですけど……普通に安全対策ですよね? 危ないし」
「そうだな。ホームの傍を時速何十キロって電車が通過するのに柵ひとつないのは危なすぎる。ところでホームドアにはもうひとつの役割があるんだが、何か分かるかな」
「……なんですか?」
「自殺防止」
「……!」
 娘さんは息をのんだ。
「しかし妙だと思わないかな。確かにあれは柵だ。簡単にホームに落ちないようにはなっている。だが本気で乗り越えようと思えば越えられる程度の高さしかない。あんなもの、本気で自殺するつもりでホームに飛び込む人間には通用しない。それなのに立派に自殺対策ですって顔をしている」
「…………」
「なんでかというと、割と効果があるからなんだよ。自殺ってのは強い決意でやるものじゃない。ある日、ふらっと死を選ぶんだ。それこそ通勤中の駅のホームとかで、あ、死のうってね。……いや、そこまで明確に思ってすらいないかもしれない」
 たまに、自殺するやつはむしろ勇気があるなんて言うやつがいる。そいつは馬鹿だ。
 自殺とは、生きるべきか死ぬべきかの相克の果てにあるものだ。生きた方が楽か、死んだほうが楽か。そう考えているうちに、ふらっと意志が少しでも死の方に触れたとき、うっかりやってしまう。そういうものだ。
 少なくとも俺にとっては。
「ふらっと思ってしまったときに、ふらっと行動できない。ひとつ、乗り越えるのにちょっと面倒な壁があると、それだけで思いとどまれたりするんだよ。思いとどまるというより、死のうとする前に精神がまた生と死の相克を始めるだけなんだけど。だからホームドアってのはあれで結構役に立つ。あれを乗り越えようとする間に、また生きようと思えるかもしれないからな」
「知っているように言いますね」
「知っているからね」
 俺は自分が、無意識に手首の内側を指でなぞっていたのに気づく。傷を隠した鎖の刺青を。
「人が自殺する理由は千差万別だ。だから君のお父さんが自殺する理由を分かるとは言わない。ただこの中の誰よりも、心情の推測に手が届くのは俺だろうな」
「で、でも……約束は」
「残念ながらその約束は、自殺を止めるホームドアにはならなかったんだろう。予定のある人間が自殺しないなんて屁理屈ロジックは、お昼のサスペンスドラマでしか通用しない」
「そんな…………」
 娘さんは、がくりと膝をついた。どうやら受け入れてくれたようだ。まあそこまでポジティブな受け入れ方でもないだろうが、少なくとも妙な嫌疑を他者に抱くことはなくなった。ならばよし。
「しかし……」
 門倉が最後に疑問を口にした。
「結局、彼女――1984が死体を目撃したのに何のアクションも起こさなかったのはどうしてでしょう。別に自殺説を否定するつもりもないですが、気になりはしますね」
「それは、簡単ですよ」
 少女を見る。折り目正しく立ち、じっと事の推移を見守るだけの彼女を。
「探偵小説――ミステリが大戦の後に流行するという説があるんです」
「……はあ」
「ミステリは、個人の死の真相をどこまでも追及する物語でしょう。それは個人の死に意味を持たせるということです。そして戦争はその逆。大勢の死に意味はなく、なぜ死んだのかも精査されない。だからそういう戦争時代を通過した後には、個人の死をとことん追求するミステリが流行る、らしいですよ」
 つまるところ。
「個人の死は悲しく、そして重大なことである。俺たちは当たり前にそう思っているけれど、それが当り前じゃない時代があるんです。それこそつい一年くらい前までは、そうでしたよ。戦争してましたからね。そんな時代に、少年兵として戦っていた彼女に、死の重みが分かりますか?」
「それは……」
 分からない。死体がそこに転がっているのが当たり前の世界を生きてきた彼女にとって、それは報告するに値しないのだ。
 面会室に向かった。
 そこに死体があった。
 だが面会室で待てと言われた。
 なら待つ。
 死体があることに疑問はない。
 そういう世界を生きていたのが、彼女だ。
 そんな彼女を、俺は引き取ることになる。
 昔の相棒……レオン。
 死んだあいつの頼みとはいえ、どうにも俺も、お人よしになったものだな。

次話

 


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