ワールドカップは想像を超える、世界が注目するお祭りだった。コロナ禍を越えたひとりの大学生がカタール現地での熱狂に感動して涙した話
2022年11月。サッカー日本代表の活躍に、日本全国が湧いたことがもう今から半年以上も前のことだなんて正直信じられない。当時はサッカーをあまり知らない友達ですら日本時間の夜中にテレビやAbemaTVの中継を見ていて、その興奮をストーリーに上げていたし、みんなが三苫に夢中だった。それぞれがW杯期間を楽しんでいる様子がSNSに溢れていて、ああやっぱりスポーツは最高なんだ、なんて思っていたりした。
そんな中、私は現地カタールでワールドカップの期間を過ごしていた。その時の熱狂的な体験は自分の人生を揺さぶるほどで、あまりにも楽しくて、今でも写真や動画をよく見返すくらいには本当に幸せだった。当時のことについて、長くあたためていた文章を今回やっと外向きに出してみることにする(以下は2022年12月に書いたものを一部修正したものです)。
「カタールワールドカップ、行きませんか!」Instagramにて、知り合いのストーリーにそんなことが最初に流れてきたのは2022年の夏が来るよりも前だったと思う。
行きたいな。でも学生でお金ないし、コロナ怖いし。まいっか。最初はそのまま流してしまったストーリーが、なぜかしばらく頭から離れなかった。ほんとうは行きたいんでしょ、素直に行けば絶対楽しいのに。脳内で話しかけてきた頭の中の自分は半ば呆れたように、コロナ禍でフットワークが重たくなったわたしを見ているようだった。
「カタールワールドカップ、行きませんか!」しばらく日が空いて再度流れてきた同じ画像のストーリーには「そろそろ締め切ります!」の文字がついていた。わたしもいきたい、と気付けば返信していた自分はどこか自分じゃないみたいで、え、わたし、カタール行くのか、なんて。なんとなくふわふわしたまま話が進み、渡航することがしれっと決まっていた。
久しぶりの、あたらしい場所への旅。しかも、夢だったサッカーのワールドカップ。ヨーロッパサッカーの観戦が好きな私は5年前、大学生になり富山から上京し「東京でサッカー日本代表の交流試合がある」という事実だけで大喜びしたほど、国の代表同士がプライドをかけて戦う舞台が好きだった。
5年前の当時、初めて自分で買った乾選手のユニフォームを着て、友達とスポーツバーへ通ったり、スタジアムへ足を運んだり。大舞台で、大好きな選手がゴールを決めて喜び称えられる姿が誇らしくて嬉しくて、まるで自分のことのように喜んだり悲しんだりした。スポーツバーなどに行くと特に敵チームのサポーターと隣り合わせで張り合うことも多くて、試合後に握手や乾杯を交わす瞬間が何よりも大好きだった。
楽しかった。国の代表同士の一試合、90分でこんなに一喜一憂できるなんて。元々いろんな国を旅していて、その国の現地がなんとなく想像できたり他国に興味があるからかもしれない。誰かを応援するって、お互いの国の代表チームを認めて称え合うのって、こんなに幸せなことなんだ。いつかワールドカップも現地に行って応援してみたいな。そんな思いが少しずつ自分の中に生まれていた。
でも、コロナが流行る前はあんなに自由に行き来していた海外をなんとなく敬遠している自分もいた。奇しくも過去は、若者に旅をしてほしいと願い、一歩踏みだして挑戦することを応援するコミュニティのひとりだったのに。大学時代はバックパッカーで世界中をまわるって決めてたのに。
2022年の夏に、実に2年ぶりにタイに行ったときも「こんなご時世ですけど…」みたいな雰囲気をどうしても感じていて、そうか今は我慢しなきゃいけない時で、私たちは”渡航させてもらってる”立場なんだって感じる瞬間が幾度となくあった。少しずつ制限が解除されてきて自由に海外へ行けることは喜ぶべきことだと分かっていたし、実際嬉しかったけれど、どこか気持ちの持ちようが以前とは異なっていた。私がかつて海外に求めていた解放感は少し薄れてしまっていて、タイは確かに楽しかったけれど、どこか心の中に靄を残して帰国したことは当時の記憶にあたらしかった。
カタール。久しぶりの、あたらしい場所への旅。しかも夢だったワールドカップ。日々働いて、頑張ってお金を貯めた。どんな旅になるか、コロナを越えてどんな大会になるのか。不安と期待に胸を躍らせながら渡航した。
航空券は成田発、デリー乗り換えでカタールのドーハへ。同じ便でカタールへ向かう日本人が数人いて、中には空港ですでにユニフォームを着ている人もいた。当たり前だけれどみんなサッカーが好きで、ワールドカップ楽しみなんだな…とニコニコしてゆったり思っていたのも束の間、インドからカタールへ向かう飛行機の機内でそれはそれは物凄いお祭り騒ぎが始まった。
それぞれが応援する国のユニフォームを着て、各国の応援歌を歌う乗客たち。手を叩いて、歌って、口笛を吹いて、ブブゼラ?を吹いて。ワールドカップの公式応援歌が機内を流れると、それに合わせて大合唱になる。そんなカオスさに飲み込まれて楽しくて、数人の日本人も他国に負けじと声を張っていた。ドーハ空港に到着した後も入国審査に並ぶメキシコサポーターたちは全員民族衣装を羽織っていたし、アルゼンチンサポーターの大集団は楽器を鳴らしながら応援歌を歌っていたことを覚えている。
そこにいる人はみんな、サッカーが好きだった。そして、ワールドカップという舞台が。自分が応援する国の代表チームに確固たるプライドを持っていたし、今後1ヶ月の間開催される大会がどんな展開になるのか、どんな名勝負が生まれるのか、誰も想像のつかない未来とサッカー漬けの日々がはじまることにワクワクしていた。
空港を出て、友達と合流するために宿泊施設へ向かう(ワールドカップ期間のカタールはSIMカードが空港で無料で配布されていて、空港ではその確保と設定にものすごく手間取ったことを覚えている)。
宿泊施設には電車で30分ほどで最寄り駅に、そこからさらにバスで1時間ほど揺られてやっと到着する(朝から夜中まで常にバスが無料で巡回していてほぼ待ち時間なく移動ができており、交通インフラの整いように正直ものすごく感動していた)。
カタールの宿泊施設はちょっと監獄感あったんだよね、なんて帰国後冗談まじりに友達に話していた(し正直それが冗談でもない程度の部屋も中にはあった)けれど、パブリックビューイングが施設敷地内にあったり、バスケコートやサッカーコート、スーパーマーケットがあったりと概ねが過ごしやすい環境だったと感じる。
カタールの街に移動する。宿泊施設に向かう途中の真っ白な砂漠を抜けると美しく整備された市街地に出る。駅周辺は1日中「Metro! This way!」の声が響いていた。身体全体をメトロノームのように動かしながら、現地のスタッフが列になって地下鉄まで案内してくれるのがカタールのW杯期間中での日常だった。あまりにも楽しそうにはたらく彼らを見て、私たちは余計に楽しくなっていた。
滞在中は日本のユニフォームを着用していたのはもちろんのこと、日本の国旗を肩にかけて歩いたりした。なんだかものすごく気持ちよかった。今回の私のユニフォームは堂安選手のものだったけれど、「JAPAN!」とか「DOAN!」とか、ものすごく遠くの場所から声を張り上げてくれて、こちらに向けて手をブンブン振ってくれる外国人に笑顔にさせられることも移動中少なくなかった。noteに動画を貼れないのが悔しい。
そして日本人は、試合をする前から明らかに他国サポーターから大人気で(それは当時日本チームのロッカールームの綺麗さが話題になったりしたことが大きいのかなと思ってるので)海外からリスペクトを集める日本代表メンバーがさらに誇らしくなったし、応援する気持ちが強くなった。海外の人が心から日本を応援してくれていて、いち日本サポーターにわざわざ声をかけてくれることはやっぱり嬉しかった。それ以外にも、自分が日本人で良かったと思う瞬間はたくさんあって、この最高の雰囲気や笑顔を日本代表選手たちにも伝えたくなったりした。
近くのパブリックビューイング会場である「ファンフェスティバル」で音楽ライブが行われている中で気が済むまで踊りまくっていたら、気付けば自分の近くにはいろんな国のユニフォームを着ている人たちでダンスバトルの輪ができていた。その様子を他国のメディアに取材されて、上手くない英語で精一杯答えたりした。サッカーボールを使った特設のミニゲームを海外の子供たちと一緒に遊んで、いろんな国籍の人とサッカーをきっかけに話して意気投合して、友達の輪がみるみるうちに広がることを感じていた。
全部の体験が、心から楽しかった。来てよかった。わたしをカタールに連れてきてくれてありがとう日本代表。そんな気持ちがずっと止まなかった。
そして迎えたドイツ戦の日。いつも暇さえあればブンデスリーガの試合を流している私にとっては夢のような対戦カードで、ドイツ代表に日本代表が勝利した瞬間を目の前で見れたことは(しかも堂安のゴールで流れが変わって逆転したことは)一生忘れないと思う。
サウジアラビアvsアルゼンチンの激闘に続いて日本も大番狂せ、今大会のダークホースか。地元メディアはそんな風に報道していた。
その日は帰り道、駅、帰りの電車内、宿へ向かうバス、宿、宿内のスーパー…日本人サポーターの私たちが向かう全ての場所で大きな大きなJAPANコールが響いていた。しかも声を出してくれているのはほぼ日本人でなく、他国のサポーターの方々。日本の青いユニフォームを見かけた海外サポーターの方が次々とJAPANコールに合わせて手を叩き、声をあげてくれていた。
帰りの電車は偶然ドイツサポーターの男性が隣に座った。少し目が合って、彼はため息をついた。そうだよねさっきまで戦ってたし…と思っていたら、彼が口を開いて「日本はいいチームだ」と伝えてくれた。負けてからそんなに時間経ってないのに…。スタジアムから離れたら相手を素直に認める、その器をかっこいいと思った。「日本代表は確かに強かったかもしれない。でも私はドイツ代表の強さも十分に知ってるから、ここからドイツが勝ち上がるように祈ってる」確か、そんなことを伝えた気がする。
ファンフェスの会場で夕食を取っていたら、日本サポーターだからという理由だけで10組ほど立て続けに「写真一緒に撮ろう!」って声がかかったり、スゲーよ日本!と欧米兄ちゃんたちに背中をばんばんされたりした。なんだか自分が有名人か何かになったかのような感覚だった。
私たちはスターじゃないんだけどな、でもスター達の応援団として、おこぼれの立場をここではもらっちゃっていいのかな。日本代表をずっと応援していたけれど、応援していることをこんなにも心から誇りに思えたのは本当に初めてだった。
この人たちが、私たちの国の、"代表"なんだ。
marvelヒーローの宇宙を懸けた戦いを見守り祈る一般人、の構図になんとなく既視感を覚えたけれど、そんな空想さながらの超絶大舞台を目の前で見ていられることに背筋がとてつもなくゾクゾクして、止まらなかった。
ワールドカップ、楽しい。これが4年に1度の、世界がひとつになるお祭り。その熱狂ぶりは今までに味わったことがないほどで、幸せで、終わってほしくない時間だった。かつその時間の有限さを想って、ひとりで宿に戻るバスの中でつい涙が溢れたりした。(この時に溢れた涙を隣に座っていたイタリアサポーターのひとりに気付かれて、結局大勢のイケメンイタリア人にめちゃくちゃに心配されて慰められて、なんだかその状況自体が面白くなってきてしまって、さすがに感情がぐちゃぐちゃになったりした)
世界は広くて、自由で、楽しいってことを久しぶりに実感して、やっと感覚として思い出した。私が旅を好きで世界を巡りたいと思う理由は、やっぱり自分の生きる世界が自由であることを感じたかったからで、もっともっと過去の自分が想像もつかないようなワクワクの人生を生きたいからで。
カタールは結局日本のグループステージ期間のみの滞在となり、ノックアウトステージ期間はヨーロッパを移動しながら各国のスポーツバーで現地の人たちと一緒に観戦していた。イタリアやドイツに滞在していた際は、夜はどこの飲食店に入っても必ず店内のモニターでワールドカップの様子が放映されていたし、店内にいた人の会話の内容は大抵がサッカーのことだったように思うくらいに盛り上がっていた。おそらく普段からサッカーが日常の近くにあるんだろうなと思い、少し羨ましくなったりもした。
せっかくだからと、FIFA本部のあるスイス・チューリッヒにも足を運んだ。が、あまりサッカーに関して盛り上がっている感じがなく不思議だと思っていたら、当時のスイスは、カタールの反LGBTQ+のスタンスを背景にFIFAに対してボイコット運動の真っ只中だったそうで、自分の無知を恥じた。FIFAワールドサッカーミュージアムに併設されているスポーツバーでワイワイ観戦することが夢だったりもしたがスイス人がそんな場所に集まるわけもなく結局数人の日本人だけで試合を観戦して、ひっそりと楽しんだ。日本国内では正直あまり触れない価値観の理解に近付いた良い経験だと思っている。
さて、アルゼンチンとフランスの歴史に残る大激闘の決勝の末幕を閉じたカタールW杯。私は、この遠征を一生忘れることはないと本当に思う。
あの期間のドーハは、ほんとうに世界が繋がっていることを体現している場所だったと今でも思う。これまでたくさんの国を巡ってきたけれど、ただ「サッカー」を共通言語に集まって、国の隔たりや国籍なんて関係なく熱狂して、お互いの国を尊重して、健闘を祈りあった経験は当たり前に初めてだった。そんな場所きっと他にはないし、海外との繋がることの楽しさを思い出させてくれたように感じる。当時はニュースなどでロシアとウクライナの戦争がしばらく話題になっていた時期でもあり、人生で初めて心からの世界平和を願ったりした。
4年後(もはや3年と数えた方が近くなったけれど)はアメリカ合衆国、メキシコ、カナダの北米3ヶ国にて共催予定らしい。どこのスタジアムにも電車やバスで向かうことのできたドーハとはまた雰囲気の異なるワールドカップになりそうで、すでに次回の開催が楽しみになっている。
あの熱狂は、一度感じてしまったらもうその前には絶対に戻れない。ワールドカップは本当に面白いんだ。半ば使命のように、4年後北米の地で熱狂できることを楽しみにしている毎日は、なんだか、ドーハに行く前の自分よりも輝いている気がして、また少し今日も嬉しくなったりした。「また4年後のワールドカップで!」と話した世界中の友人たちの約束を果たすためにも、わたしは今日も日常のお仕事を頑張ろうと思えるのだ。