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「宝くじ当たったらさ、どうする?」

実家にいた時、年末近くになるとよく出る話題だった。

私の家は、祖父母と父母、また、2人の兄弟がいる家族だった。その頃は、私もまだ学生であり、この中で実際に年末ジャンボを買っているのは父と祖母だけだった。

夕食後の少し落ち着いた時間に、私が何気なく「今年は買ったの?宝くじ」と話題を振る。すると、「買った買った、年一回の楽しみよぉ。」といつも一番に食いついてくるのが祖母であった。父は「3千円だけな。」とだいたい一言だけ。あまり自分の話をしない無口な人だからだ。
そして、祖母はというと、目をキラキラさせながら、「もし当たったら、ばあちゃんみんなに分けてあげるからね。何欲しい?ばあちゃんは、そんな贅沢言わないから100万だけでも当たって欲しいなあ〜」と話し始める。
それに釣られて、母が「ばあちゃんは、欲無いねえ。もっと夢は大きく持たなきゃ。夢なんだからさ。」と言う。

三人の子供たちはというと皆、もし祖母か父が1億円を当てたら、どうするかという話題に持っていこうとする。自分たちがまだ宝くじを買えない年齢なのをいいことに、おこぼれをもらおうとするのだ。

「一千万ずつ、ちょおだいよう。残りはばあちゃんにあげる。」と下の兄弟は言う。

「あんた、なにもらおうとしてんの。ばあちゃん、私は100万だけでいいからね。」
どさくさに紛れて母も言う。

「もっとみんなに分けるさあ。ばあちゃんは、そんなにあっても贅沢の仕方が分からないからねぇ。そら、いくらずつ欲し?」と祖母は言う。

「わーい、そしたら、ばあちゃんに美味しいごちそうを買ってあげる!ミスタードーナッツもぜぇんぶ買ってきてあげるよ。父ちゃんも、当たったらぼくにくれる?」
また、別の兄弟も言った。

「…あげるあげる、当たったらね。」
父は、少しにやりとして、ぼそぼそ言う。

その間私は、よく笑い、時どき相槌を打ちながら、テーブルを囲む人たちの顔を注意して見る。皆が楽しそうなのを確認する。祖父は、ずっと無表情に目の前の饅頭をつまんだりしていたから、少し不安になった。けれど、宝くじの話が落ち着いてきたころに、タイミングを見計らったかのように、祖父は唐突に政治の話を話し始めた。私は、分かるところだけ頷いて、分からないところは質問する。そして、安心する。

他の家族も、話し終えて満足そうに、祖父の政治話を聴きながら、目の前の饅頭を食べることに集中する。残りの饅頭を誰が食べるか、をこそこそ話し始めたりする。

それが、私の家のだんらんだった。

マッチ売りの少女に似ているなと思う。特別に貧乏ではないけれど、金持ちでもない。けれど、年一で行われるこの夢の話に、火をつけるのは大体私だった。夢の話をしているときの、生き生きとした家族の表情を見るのが多分好きだったんだと思う。




冬はあまり、好きではない。

寒く、日照時間も少ないからだ。

しかし冬の良さも考えてみる。
寒さが厳しく、暗闇が深いほど、家の灯りや暖かい食べ物が際立って、その差が冬と人をつなぐ原動力になるのかもしれない。

だから、冬の行事が目立つのだろうか。

クリスマスに大晦日、そしてお正月は、皆、待ち遠しく思い、大げさに楽しんでいるように思う。無意識に、私もその一人だったのか。

今年も冬を楽しもうと思う。意識的に。

無理に笑うわけではない。意識的に仕掛けを作って、外の寒さや暗さと対照的なものを配置する。もちろん、できる範囲で。

そうすれば、冬も良いように思う。




P.S. 毎年必ず父の宝くじが当たっていることを、実は私は知っていたが、流石にそれをくれとは言わなかった。300円はちゃんと換金したのだろうか、子どもながらにそんなことを心配していた。

とにかく、皆が今も元気でいることを噛み締めて。



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