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教員を辞めて大学院へ行こうと思った詳しい話

私は正規の教員を辞めて大学院へ留学します。半分夢・半分逃げです。その部分をちょっと詳しく。長くなったので別記事です!ひとつ前の記事も合わせてお読みください。

教員を辞めたくなったのはね…①

私は教員生活をしていく中で、英語教えてることに疑問を持ち始めてしまっていました。英語と無縁の世界で生きている生徒たち、母語が日本語ではない生徒たち、発達障害を抱えている生徒たち、そういう生徒たちと関わっていく中でこの子たちに必要なのは英語なのか?と思い始めてしまったんです。

文法なんて私だって嫌いで、できたら教えずに英語が教えられれば楽だな、とは思います。とはいえ、中学生にもなってくるとやっぱり理屈があった方が分かる生徒も出てきたり、自分の話す言語との差を意識することから記憶に残ったりする場面もあります。20人以上の生徒を教えているので様々な説明方法・練習方法を取り入れながら授業をしていくわけです。そんな中、日本語を理解する・分析することが困難な生徒たちが多数でてきてしまったんです。私自身も上手く説明できず、お互いにとって苦しい授業が何度かありました。そんなときに思うのは、「日本語勉強しなきゃな」「母語も意識できてないのに第二言語なんて…」という思いでした。

誤解しないで頂きたいのは、私は英語はこれからすごく必要になってくると思います。どんどん世界がひとつになっていく中で、様々な人とコミュニケーションをとるために、視野を広げるために、自分の居場所を探すために、必要になってくるスキルだと思っています。持っているとすごく役に立つツールの1つに。ただ、じゃあ、目の前にいる子たちに「今」必要なのか、と言われると…ちょっと自信がありませんでした。

少し脱線しますが、学生の中にも、プライベートで英語を教えてきた生徒の中にも、英語を使って成し遂げたいことがある生徒もいました。その生徒たちは英語を使って何をしたいかがとても明確で、やっぱり必要なスキルを吸収していくんです。それはそれでいいと思いますし、全力でそのサポートをしたいと思います。様々な事情が重なりアメリカで生活することになった生徒さんのサポートもしています。これは自分が通った道なので、苦労も分かります。住んでいる土地の言語が自由に操れない、ということは生活に支障が出ているので、やはりツールとして使えるようにするサポートをしていきます。英語がけっして嫌いになったわけではないですし、英語を教えることを全部止めてしまおうと思っているわけでもないのです。英語を使って何か達成したいことがあるのならサポートを全力でしたいと思っています。今から学んでいくことはさまざまな言語に通ずる部分があるので、その点でも全く違う道を模索してるわけではないんです。英語のブラッシュアップも視野に入れながらアメリカという地を選んだので、色々な可能性を探っている最中です。

今のところは、日本に住む外国にルーツを持つ子どもたち及びその親御さんのお手伝いをできるようになりたいと思っています。自分の経験、言語を教えることのできる能力、公立学校での教師としての経験を全部注ぎ込めたら、と思っています。また、グローバル人材育成(こういうとなんだか固くてあまり好きになれない言い方なんですが)のお手伝いもしたいと思っています。私の考えでは、自分の力で考えて、意見を発信して、意見を受け入れて、考えやアイデアを膨らませて協力しながら自分の生きやすい世の中を形作っていくことのできる子どもたちを育てていきたいです。

教員を辞めたくなったのはね…②

先程のは大学院で学びたいことについての理由。夢、部分ですね。こちらは逃げの部分。教員生活大変でした。私個人の経験として大変でした。私の所属先の兼ね合い、自分の組織内での評価の兼ね合い、私生活との兼ね合い、と個人による部分も大きいので、教師という職業全体について不満を感じたとは思わないでいただければと思います。そんな前置きをした上で、辛かったことを。

まずは一年目。これは教員育成システムのいけない部分だと思います。1年間の流れをイメージできないまま、1人での授業がスタート!同じ学年を2クラス持つ、ということもなく、1〜3年生のクラスを1クラスずつ受け持ったので、毎日違う授業、指導教諭も自身の授業があるので毎回ついていただくわけにもいかず、手さぐり状態でした。ただ、この年は副担任、学年の先生方、担当クラスの担任の先生方が本当に優しく、ときに厳しくサポートしてくださり、辞めたいなんで1ミリも思わずに1年終わることができました。ただ、大学時代の教育実習は教員になる覚悟やちょっとした覗き窓にはなれど、プロとして生徒の前に立つには大層心許なく感じました。また、教員採用試験を合格し、初任者研修を受けることができたのでまだましでしたが、臨時採用で1年目の先生方は手厚く見ていただけるかは学校の規模や職員の皆さんの雰囲気にもよるので、本当に辛いと思いました。ただ、自分から学ぼう・仕事をしようという意欲があれば本当に周りの先輩方はたくさん助けてくださるので、自分からSOSを出すこと、質問をすること、できる範囲の手伝いを申し出ることは大切だと感じました。

さて、問題は2年目。もう初任者ではありません。特別支援学級でしたが、担任業もさせていただけることになりました(もともとどちらの学級でもいいです!特別支援も興味あります!と言っていたので素直に嬉しかったです)。強制的に授業を他の先生方に見ていただく場がないので、自主的な場で見ていただけるよう立候補。クラス数減に伴い、先生の数が減ってなどの事情の中、校内の役割が少し変化増・副担任としての負担増。ここまではいいんですよ。学校の事情や自分の能力を高めたくて行ったことなんです。

この後、校外の委員を2個、なんやかんやあって仕事量増、人間関係がうまくいかない、生徒を叱らなければならない場面が勃発。と心に負担が多くのしかかるようになってしまったんです。体力的な部分も持っていかれましたが、一番は心。発しても響かない言葉、大きな声を出さなければならない心への負担、発することができず飲み込んだ言葉、やりたいことができないことへのストレス、ストレス発散をする時間すら取れないスケジュール。全てが重く心にのしかかりました。

この頃から本格的に自分の教えていることに関して疑問を持つようになっていってしまいました。特別支援教育の勉強、生徒へのサポート。副担任業も重くのしかかり、英語の先生になったはずなのに教科に関する仕事は後回しにせざるを得ない状況。英語は本当に最低限昨年度の反省を生かしながら一歩進む、というより改良という段階で止まってしまっていました。英語よりも伝えたいこと、教えてあげたいことが多くなる日々。業務に忙殺されて趣味を楽しむ時間もない。気づけば恋人とは3ヶ月会ってない。逃げ道を必死に探す毎日。転職サイトに登録しだし、算出された市場価値に心を慰めてもらい、届くオファーで自分の自己肯定感を高めてもらう日々。そんな中、奨学金・大学院進学・日本語教師の三拍子につられて即相談・宣言。1年半後の退職を心の支えに残りの半年を過ごしました。ゴールが見えているとふと心は軽くなりました。

3年目は、あと1年で退職。と常に意識しながらの1年でした。大きく環境が変わり、自分の担任業、教科の授業に集中できるようになり、最後は残してきた生徒たちがこれからどんな道を歩むのかとても気になるようになりました。この頃は辞められる!と嬉しい反面、早まったか?とちょっとだけ思っていました(笑)

教員のいいところ

マイナスなことをたくさん書いてしまったので、教員としての生活で本当に嬉しく感動した、教えていてよかったな、と思うことをご紹介。教えることをやめようと思わないのはこれらの経験があるからこそ。

まずは、生徒の成長を目撃できたときは本当に嬉しかったです。私の教えていることは間違っていなかった、その子がツールを使いこなせるようになった、というのは本当に本当に嬉しかったです。同じように、英語が嫌いだった生徒ができるようになったと目を輝かせて教えてくれたこと、達成感を味わえたことは私の喜びでもありました。私が知らなくても、担任の先生に報告をしていて、その先生が私に報告をしてくれたりと、嬉しい瞬間は多くありました。

日本語では絶対挑戦しないことに英語で挑戦してくれたとき。文化祭の英作文発表用の原稿(学校全体で学年別にテーマを決めて書きました。ステージに登るのは各クラス1人なのですが、みんなワードで綺麗に清書して廊下へ掲示しました)で、素敵な文を書いた生徒がいて、その子は普段舞台に立つタイプではなかったのですが、ダメもとで打診をしてみました。他にももちろんいい文を書く生徒たちもいましたが、その子たちも他にも立候補はなく、別のステージ発表に登場すると分かっていたので、また、私が文を気に入ってしまって、他の先生方・担任の先生とも協議をしての打診でした。少し最初は迷い、戸惑っていましたが最終的にオーケーしてくれました。普段ならしないことをオーケーしてちょっと照れていましたが、しっかり練習にも参加し、堂々と本番は文を読んでくれました。

特別支援では自閉症・情緒障害学級の担任をさせていただいていたので、生きにくい世の中を一緒にどうすれば生きやすくなるのか考えていく場面が多かったように思えます。そんな中で、一人一人にそれぞれの生きにくさを解消するための目標はありましたが、その一歩を踏み出せたこと、今までなら避けていた場面に挑戦してみようとしたことが本当に嬉しい瞬間でした。一つ一つの成長が本当に間近で見ていてその瞬間を共有できたことは宝です。

私にとっては、生徒一人一人の達成に立ち会えたことが一番の教えている魅力でした。プライベートで教えてはいますが、やっぱり成長をみる機会はほぼ毎日接している教師の方が立ち会える場面は多いです。また、自分が立ち会えなくても情報を他の先生方からいただけます。自分の指導の方向が間違っていなかったこと、その指導をもとに成長した生徒がいたこと。何かその子たちに学ぶときの術や、自己肯定感、達成感が残せたのなら、と願うばかりです。これからも人の成長に関わることはずっとしていきたいと思っています。

最後に

これはあくまで私の体験、思考過程です。こんなことがあったんだな、と思っていただければと思います。自分の抱えられる以上の心の負担がかかった、理想と違う部分があった、というのが大きいと思います。自分のやりたいことはまだぼんやりとしていますが、それを実現できるようにスキルを磨いてきたいと思います。

今は学校の教諭としてもう一度働きたいとは思ってはいません。自分のやりたいことをする時間がとれないことが一番大きな理由です。言語に関するサポートはしていきたいので、サポートできる立場で学校教育にもかかわっていきたいと思っています。まぁ、2年後どんなことを思っているかはわからないんですが!(笑)

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