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「脱マスク」は「子どもたちが明るく楽しく生きていけるように」必要なこと
脱マスクの話でもちきりである。
様々な考え方があることは承知している。
それはそれでいい。
でも、マスクをし続けることのデメリットは計り知れない。
マスクをしていなかった3年前とその後の3年間を比べてほしい。
もしかしたら忘れてしまっている人も多いのではないだろうか。
「もうマスク生活に慣れてしまった」
「このままでもいいんじゃない」
大人はそれでいいかもしれない。
(私は嫌なのでお店に入るときにしている程度である。)
子どもはそういうわけにいかない。
「もっと早く判断してほしかった」
高校の卒業式を迎える子ども(子どもと言っていいかわからないが)は言っている。
卒業式では外せない。
この学年は高校の入学式は中止、学校行事が削減されたり中止されたり、楽しいことは少なかったに違いない。そして、その後の3年間はマスク生活をしてきている。
思春期の真っただ中、友だちの顔をまともに見ることはなかったことだろう。異性にときめく気持ちは小さくなっていたのだろう。
3年間のマスクのある学校生活の損失は計り知れない。
子どもたちの心の成長は小さくなったことだろう。
自分に対する自信、他人に対する信頼。
こうしたことは、相手の顔を見て話すこと、一緒に行動を共にすること、時には遊んで戯れることでなされていく。
「脱マスク」は日本ではできないのでないか、と書いている方がいた。
同感である。難しい。
7月にイギリスに、11月にフランスを旅行した。
現地でマスクをしている人はいなかった。
「日本は何をしているのか」
そんな気持ちにもなった。
海外の諸外国は、コロナのフェーズが変わったというエビデンスがあり、国として動いた。国民はそれを受け入れ、すぐにマスクを外した。
マスク自体にエビデンスがないとコロナ禍ずっとしなかった国もある。
人間が生きているのは、様々なウイルスとの共存があるからである。
体内にはたくさんのウイルスが存在し、私たちの体をつくっている。
今回の新型コロナ以前はどうだったか。
そう。旧型コロナウイルスは存在していた。
私たちは、マスクなどをすることなく、コロナウイルスと共存していた。強度でいえばインフルエンザ以下だった。弱毒だった。
そんなことはすべて忘れて、マスクをすることに邁進してきた。
「脱マスク」は訪れるか。
私は難しいと考えている。
「個人の判断で」という文言は聞こえがいい。
でも、日本では無理である。
戦後の教育がそうなっていないから。
しかし、これは何とかしなければならない。
大人はしょうがない。もういい。
子どもたちの将来のために。
子どもたちがこれから力強く生きていくためには「脱マスク」は不可欠だ。
だから、少し強制力の働く学校で外すことは、現状としてはいい策だろう。
もう「個人の判断で」ではだめなのだ。
そこまで来ている。
本当は強制してほしくはない。
教育に強制はあってはならない。
しかし、苦肉の策として、学校での「脱マスク」は必要だ。
「子どもたちが明るく楽しく生きていけるように」
「子どもたちが輝く未来を見ることができるように」
「脱マスク」を不安を感じる子どもも多い。
大人が、社会が、学校が、積極的に「大丈夫」と言ってあげよう。
新型コロナ前の「3年前の生活に戻ろう」と言ってあげよう。
人間はそんなにやわではない。
人間のもつ免疫力は素晴らしい。
こんなにすごいものが私たち人間には備わっている。
子どもたちは大人の何倍も力強い。
だから「大丈夫」だ。
ぜひ、学校から「脱マスク」を。
そして、社会に広がっていくことを願っている。
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