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なぜ私は、中国の「老百姓」の話を書くのか?


「老百姓」と言っても、「お百姓さん」ではない。中国語では「lǎobǎixìng=ラオバイシィン」と発音し、「庶民」という意味だ。

私は、中国の無名の「老百姓」たちの話をなるべく多く書きたいと思っている。特に彼らが、検閲が厳しいネット上で、どんな風に工夫しながら、様々な思いを表現しているかを。

でも、なぜ「老百姓(ラオバイシィン)」について紹介したいのか。

それは、今日本にいて触れる中国の情報は、あまりに政治に絡んだものが多いからだ。「指導者の顔」ばかりで、知り合いでもいない限り「個の顔」は浮かんでこない。

最近はゼロコロナ政策に抗議をする人たちがニュースによく出たが、それは都市部の一部の人。かと言って多くが政府に満足しているわけでは、もちろんない。でも人民は、我々が想像するほど言論の不自由さに絶望を感じているわけでもなさそうだ。

もちろん私の限りある知り合いが全てではないし、ネットに載った声が全てでもない。でも、結構ユーモアがあり、さっぱりしていて、でも情に厚い人が多い隣人たちの顔が少しでも見えてくるといいなと思う。

最近の記事は読んでいただけましたか。まだでしたら、ぜひ!


今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😀




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