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アフガニスタンで、銃を突きつけられる

復興が始まったばかりのカブールで


自分の人生で、銃を突きつけられることなんてないと思っていた。

また、アフガニスタンの話。

昔カブールでお世話になっていた人たちが、今、生死にも関わる危機に瀕している中、自分も無意識のうちに、寝ても覚めてもアフガンのことを考えている。

今から15年以上前、まだ他の地方では戦闘が続いていたけれども、また、街中を米軍やNATO軍で作る国際治安部隊の軍用車両が走り回っていたけれども、首都カブールには、復興が始まったばかりの、一種の明るさと活気があった。

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私が銃を突きつけられたのは、そんなカブール中心部を俯瞰する高台の公園だった。

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ガチャっという金属音がして、背中に硬い何かを感じた時、私はすでに、数人の男に囲まれていた。恐る恐る振り返ると、AK47 なのだろうか、銃だ。そして皆一様にこちらを睨みつけて、私に何かを言っている。

言葉は全くわからないが、今の状況がやばすぎることだけはわかる。この銃口が火を吹き、自分がその場に倒れ込む映像が頭に浮かんだ。心臓が飛び出しそうだ。すぐに静かにこの場を離れないと。しかし、彼らは何に怒っているのだろうか・・・その時・・・

"No! Talking! Woman!(ダメだ! 話! 女!)"


彼らのうちの一人が、カタコトの英語でこう叫んだ。

なるほど。「女性と話すのはダメだ!」ということか。

AK47銃口


実は、この十分ほど前、小さな子供たちを連れて公園に遊びにきていたお母さんたち数人から、声をかけられた。

"Hello, sir! Where are you from?"

-- 英語を話せること、ヘッドスカーフを被ってはいるものの顔が見えること、さらに、この公園は外国人も多く泊まるホテルの敷地内であること、などを考えると、このお母さんたちはエリート層か、外国と何らかの関係がある人たちかと想像した。

"I'm from Japan..."と言うと、目を輝かせて、しかし恥ずかしげに、何かを私に聞きそうになった時・・・

子供たちが私の手を強く引っ張って、一緒に遊んでと言い出した。

子供たちは目を輝かせて、ものすごく高さがあるブランコに乗ろうとし、私が手伝って登らせて、背中をポーンと押す度に、大きな無邪気な歓声をあげた。お母さんたちもその度に爽やかな笑顔になった。

きょうはイスラム教の休日の金曜日。晴天。毎日の緊張感でピーンと張っていた心の糸が、一挙にほぐれた感じがした。

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よりによってそんなくつろぎのひと時に、この男たちに囲まれたのだった。全く気が付かなかった。幸い銃口はまもなく私の身から離され、私は抵抗しない態度を見せながら、なるべく簡単な英語で弁明する。

"OK, but I was just playing with the kids. (わかった。でも、子供たちと遊んでただけなんです。"

と、言い終わるか終わらないかのうちに、またその男が、より強い調子で言い放った!

" No! THIS IS AFGHANISTAAAN!! (ダメだ!ここはアフガニスターンだっ!)"


・・・全ての弁解を封じ込める、説得力さえ感じる一言だった。

そ、そうだ、弁解している状況じゃないんだった。女性が見知らぬ男性に顔を見せて話しかけるのはいけないということも知識では知っていたはずだ。

銃を向けるやり方には反発を覚えたが、女性と話した私の行動は、いくら元々向こうから話しかけられたとは言え、彼らには純粋に許すことができなかったのだろう。とにかく私は、ここでは、よそモノだ。他人の国にお邪魔をしていて、地元の風習を尊重するという感覚が足りなかったかもしれないとは思った。

私はすぐに、"I'm sorry."、そして、発音は悪いだろうが、勉強中の現地のダリ語でも一言、「べバフシード(ごめんなさい)」と言い、その場を立ち去る動きをした。

本当に幸いなことに、その男たちは、すぐにその場を立ち去り、シーンとなった子供たちとお母さんたちと私だけが残された。

お母さんの一人は、ものすごく悲しそうで寂しそうで、申し訳なさそうな目で一言。

"I'm sorry, sir. This is Afghanistan. (ごめんなさい。これがアフガニスタンです)"



同じ"This is Afghanistan."という英語でも、あの男とこのお母さんでは、意味が全く違ったはずだ。

その後、事務所のアフガン人スタッフにも聞いてみたが、この男たちについては、よくわからないものの、イスラム教の教えが守られているかチェックする保守派住民の”自警団”のようなものかも、ということだった。

私は彼らにとって社会の秩序を乱す異教徒、侵略者で、お母さんたちは、そんな異教徒の男に顔を見せて話す”堕落した”女性とでも映ったのだろうか。

私は恐怖のあまり、彼らをじっくり観察できなかったが、恐らくタジク系の普通の庶民の服装だったように思う。当時のカブールで、しかもホテルの敷地内にタリバンが入ってくることは想像できないし、映像で見るタリバン独特の出立ちでは全くなかったので、「タリバンかも」と思うことはなかった。

それにしても、セキュリティーのチェックポイントがいくつかあるこの場所でも、こういう目にあったこと。当時の自分の、この国の状況に対する認識の甘さも否応なく知らされた。

そして、あの"I'm sorry."と言ったお母さんたちの悲しい、恥ずかしそうな表情が、今も脳裏に焼き付いている。私に話しかけてくれた時の、あの好奇心に溢れた表情が、一転してこんなに曇ってしまうとは。

ブルカ


ここのところ、久しぶりにタリバン、そして彼らの女性への迫害の話などがニュースに流れ、それとは全く関係はない、次元の違う話ではあるものの、この体験を思い出したのだった。

私を叱った男たちはタリバンではなかっただろうが、このイスラムの国で、普通の人々のもともとの宗教観はどのようなもので、アメリカ主導の新しい国づくりが始まってから、それはどのように変わって、いや、もしくはどういう部分が変わらなくて、また、変わらない人はどれぐらいいて・・・など、自分はあまりに、その感覚を持っていなさ過ぎたような気がする。

今ニュースを見る時も、”怖いタリバンがやってきて、(外国人の私たちが考えるような)民主主義や自由を求めるみんなが、恐怖に怯えている”という、単純化した切り口”だけ”で考えると、きっと正しく全体状況を把握できない。タリバンが復活する要因は、一部の人々の意識の中にも色々あるのかもしれないと感じた。

しかし、今でも、アフガニスタンのことを、私はあまりにも知らなすぎる。語るならば、もっと知らねば。



本日も拙文を読んでいただき、ありがとうございました!これまでのアフガニスタンに関するnoteもお読みいただければ嬉しいです。


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