短編過去作「桃色のチューリップ」④
それから数ヶ月、私達はそれぞれ変わらず忙しい日常を過ごした。彼女は顧客の対応で前より忙しくなり、休憩時間をずらすことも多くなった。それでもお互い時間が合う時には必ず一緒にお昼ご飯を食べた。
私はプライベートの時間も充実させ、なんだかんだずっと引きずっていた元彼への未練を思い出として浄化することにも成功した。例えば、趣味である読書にとことんのめり込んだ。それから色々な美術館に出向いて沢山の芸術に触れた。人との交流の機会を増やした。仕事以外にやりたいこともできた。
橋野ちゃんとの時間は相変わらず楽しくて、二人の関係のかけがえのなさを感じていた。今すごく、人生が波に乗ってきている。そんな風に感じていた。そんなあるときである。出社した直後、チームの上司から突然言い渡された。
「皆聞いてくれ。えーっと。突然なんだけど、うちのチームが来月からまるごと異動になります」
朝礼の空気がしんと静まりかえる。
「ど、どういうことですか・・・?」
先輩の一人が数秒の沈黙を破る。
「それが~、会社の全体の戦略でね。より業務を効率的にこなして事業を拡大していくための手段なんだよ。あっちの部署は開発に弱いみたいで、大変そうなんだ。そこで、今プロジェクトが落ち着いた我々のチームの技術を貸そうってわけ。だから残念ながら、拠点も変わるんだ」
「そうなんですか。ちょっとまだ飲み込めてないですけど、分かりました」
私は、打ち砕かれた気分になった。やっと仕事にも慣れてきて、調子が乗ってきた矢先のことだ。そもそも私は環境の変化にめっぽう弱い。ついにうちの会社の頻繁な組織編成の波が私のところにも来たことを実感する。諦めと戸惑いが交互に浮かぶ。ああ、橋野ちゃんとも、もう一緒にお昼の時間を過ごせないのか。その日のお昼の時間、私は異動のことを橋野ちゃんに報告した。
「ええ、うそ。嫌だ、絶対嫌だ。私が直談判で抗議する!そんな異動はなしです!って・・・」
こういうとき、なんだか少し幼くなる橋野ちゃんが可愛い。寂しがってくれるのが嬉しくて、私はついニヤついてしまう。
「まあ、すごい遠い拠点に行かされるわけじゃないし、会えないことはないよ」
「そうだけど」
こうやってこの時間を一緒に過ごせるのもあと何回だろうと思うと、私も急に寂しくなってくる。多分周りからみても私達は仲が良すぎるくらいのコンビだ。私達は、私が異動する前に思い出を作ろうというわけで、ちょっと高級な居酒屋で二人で飲む約束をした。
月日は過ぎ、私は異動先の部署で慣れない仕事に戸惑いながら日々を過ごした。最後の思い出づくりの二人だけの飲み会も、特に何か特別なことがあったわけではないけど感慨深かった。
思えば、会社に入ってから仲良くなった私達は、生まれも育ちも学んできた環境も全く違うのに、驚くほど共鳴できる仲だった。そんな彼女への特別な感情は、ちゃんと友情の一つとして、月日とともに昇華されていった。
数ヶ月の時間の中で、私はある男性に恋をし、恋人ができた。優しくて尊敬できる部分も沢山ある彼との時間は、この上なく幸せだ。たまに過去の恋のトラウマが蘇って不安になることもあるけれど、彼は私のことをすごく大事にしてくれている。このまま長続きしてゴールインできたらいいのにな、なんて思っている。
あるとき、仕事の関係で私が橋野ちゃんのいる拠点に出向く機会があった。うららかで暖かい春の陽差しのもと、久々に私は自転車を漕ぐ。
今働いている拠点に移るにあたっては引っ越しをして、それからはずっと電車で通勤していた。自転車を漕ぐ機会はめっきりなくなっていたなと気づく。この自転車は、この辺に住んでいる譲ったものだ。大学時代から使っていた錆びた白い自転車。懐かしい。
久々に会う橋野ちゃんと私は、すごく遠い距離にいたわけではないけど、なんだかんだお互いに忙しくて、あれからはなかなか直接会えていなかった。ふと街の花壇に目を奪われ、ブレーキを踏む。桃色のチューリップだ。可愛くて美しい。橋野ちゃんみたいだ。私は彼女の明るい笑顔を想像する。ふいにあの感情を思い出す。私は自転車を降り、チューリップに触れる。
ピンク色のチューリップの花言葉は、「愛の芽生え」、「誠実な愛」。いま思い出されたこの感情は、恋ではなく愛になってくのかな。いや、既に何かしらの愛になっているのかもしれないと思う。彼女が元気にしていることを願いながら、私は可憐なチューリップの姿をパシャリと写真に収める。
大事な友達として、これからも会い続けたい。色んな他愛もない話をしたい。彼女には彼氏ができただろうか。問いただしてやろうじゃないか。もし、彼女が何かで落ち込んでいたら、私が全力で励まして笑顔にしてあげよう。
爽やかな気持ちで晴れわたる空を見上げる。
ふと本来の目的を思い出す。あ、そうだ、仕事のために行くんだった。ちゃんとしなきゃな。そう自分を律しながらも、どこかほわほわとしてしまう。
落ち着け自分。
彼女に会える純粋な喜び。
ふふっと笑みがこぼれる。
私は優しくて切ないような感情を噛みしめて、自転車にまたがった。
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