【親ガチャハズレだと思ってたら特賞だった話_2022エピソード紹介】

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あれは、会社が分裂騒動で揉めている夜だった。ちょうど 30 歳の誕生日だった。
珍しく大阪にいるはずの父親から連絡が入る。

「いま東京にきているけど、飲まないか」

僕は父親が好きではなかった。 ほぼ無職で、頑張っているのをみたことがないし、家事もしないくせに母親に偉そうだった。

中学校の時、僕は名門私立に入らせてもらったものの、すぐ辞めたくなった。 階級があまりにも違った。場違いだった。
言い過ぎでなく、半分親は医者だった。他にも社長、大企業役員、科学者、公務員。
うちの親は、、、なにしてるんだろ、、、そんな親を見て、自分はこんな風になりたくはない。頑張ろう。と、塾も行かずに頑張った。

ちなみに慶応を受けたいと言った時は、お金ないから無理。と即答された。お前が頑張って働けよ。と、完全に親ガチャでハズレをひいたと思った。

そんな親が東京に来たところで、会社が分裂しそうな今の苦しい状況に、なにかプラスになるはずがなかった。
でもどうせ会うなら、昔から気になっていることを聞いてみようと思った。 父親に、

「お父さんは、なんで生きてるの?」

と僕は、人生は、なにか目標に向かって頑張るから意味があると思ってい
た。そんな僕からは、父親が生きている意味がわからなかったのだ。

意外なことに、その時の父親の一言が、僕の人生の方向性を、大きく変えることになる。 父親は即答した。

「そらぁ、お前たちが、胸張って生きていくことだよ」

「お父さんは、お前たちと遊ぶ時間が、何よりも大切やった。だから、仕事とかしてる場合じゃなかってん。毎日、大きくなるお前たちを見て、ほんまに幸せやった。」

そういえば、僕は毎日、朝起きるのが楽しみだった。
父親とキャッチボールして、相撲して、 ゲームをしてからプロレスをして、 ブルース・リーの映画を一緒に見た。 次の日もそれを楽しみに、川の字で寝た。
僕には特別な経験というのがない。 英語教室や自然体験もしてなければ、 科学について学んだこともなかった。
外国にも行ったことはなかったし、 恩師と呼べる先生にも出会ったことはない。

でも、気づいた。
僕には、全力で遊んでくれる、 子どものような大人がいた。

“生きるって、たのしい” そのことを、
人生で一番大切なことを教えてくれた。

これこそが、僕のベースだったんだ。 だから僕は頑張れる。辛いことばっかりだけど、だから僕は前にすすんでこれたんだ。
こんな父親は、きっと他にはどこにもいない。

そんな父親が、2 年前の誕生日に、こんなメッセージを送ってきた。

"大学に入学した年、保険の先生が言いました。
凡人にできる唯一の創造的行為は、子どもを造ることだと。
お父さんはそのとき思いました。自分は凡人であると。
凡人としてお父さんは、充分に幸せに生きてこれたと思います。
自由に生きてください。後悔のないように。
でも、途中で違うかなと思ったら、いつでも方向転換してかまいません。
どのような生き方をしても、いつも応援しています。
弱音を吐くときは、吐いてもかまいません。
自分の気持ちに正直に生きてください。
困ったことがあったら、頼りにしてください。たいした力にはなれないかもしれないけど、何かできるかもしれないと思うので、何でも言ってください”

僕の父親は、無職でケチで、冷房の効かないワゴン R 乗ってるくせに、トルコで 90 万の絨毯を売りつけられ、息子の学費も出さない。
母親に偉そうにするし、自分で散らかした新聞紙を「片付けろ!」ってキレるし、店員さんに偉そうやし、おそらく社会不適合者である。

だけど、僕にとっては、最高の父親だ。 僕の人生をもし、特別なものにできるのであれば、きっとそれは、父親と、子どもの関係性だ。
何も教えてやれなくても、満足に教育費を出せなくても、それでも、一緒に遊ぶことはできる。
子どもに、「この世界って楽しいんだ」と感じさせることはできる。 川の字で眠ることはできる。 子どもの人生を応援することは、誰にだってできる。

人生で、最高の創造的行為である。