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自分が『わからない』から書く

私は好きなものが多くて、書くジャンルを絞れない。
自分にとって一番使いやすい文体もよくわかっていない。

私が欲する創作のはけ口は、『文章』である必要すらないんだろう。そんなことを思ったりする。私はこうして定期的に自分を見失い、『わからない』という病にかかる。

でも最近は、そんな『わからない』自分を知りたいから、文章を書いているんだろう、と、そんな風にも考えている。

「自分の魅力を他人に見つけてもらおう」なんて、他力本願でひどい話だ。

そんな話は先日話題になっていたけれど、自分強み明確にを理解できている人なんて一握りだ。

特に、「どんな人でもクリエイターになれる」と謳うこのnoteという場所では、何となく文章や本が好きで、文章を書くことも好き。明確なビジョンがあるわけでもないけれど、なんとなく居心地の良さを感じてここにいる、という人も少なくないだろう。

ご多分にもれず、私もそんな一人だ。

明確なビジョンがないから、進む方向がわからない。方向がわからないから鍛えるべき強みもわからない。

言葉にすると確かにひどく聞こえる。

しかし、すべての人が常に前を向き、高みを目指す必要はない。
その時、その場を楽しむことが、すべてでもいい。そこにあるのは考え方と価値観の問題にすぎず、そんな姿勢も肯定されるのが、このnoteという場所だ。むしろここではそんな中庸な価値観の人こそが、最も肯定されるべき人のはずだ。

ただ私がそうであるように、多くの人は何の欲求もビジョンもないわけではないだろう。

それは「明確ではない」というだけで、漠然と『「どこか」を目指したい』という、非常に抽象的な願望を持っているの人がほとんどなのではないだろうか。そして、そんな漠然とした願望をかなえるためには、やはり何らかの強みが必要になる。

勝負の世界では、自ら強みを自覚し、それを研磨し、もてる粋を尽くして打って出るのが当然の姿かもしれない。しかし「強み」を模索する状態もあってしかるべきだし、それも肯定されるべき状態のはずだ。

方向はわからなくても、時間をかけて文字を重ねていくことで、見えてくるものもあるはずだ。そこでもらえる反応から得られるものもあるはずだ。

私は自分の『わからない』を払拭するために、今日も文章を書く。



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