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何のためにnoteを書くのか【エッセイ】

この前レンさんが、そんな問題提起をしていらっしゃいました。

問としては2つ提示していただいていまして、

Q「もしnoteにたったひとつの記事しか残せなくなったら、どの記事を残すか? あなたの里程標となる一作を教えてください」
Q「何故、あなたは書くのですか?」

という2つの疑問でした。ちなみに私は「里程標」というものを知らなかったのでググりました(笑 『物事の推移・発展の一過程を示すしるし』だそうですね。


問1に関しては、ひとつだけ……と限定されるのであれば、私には『一番新しいnote』としか言えません。

理由は古いnoteを見ればわかります。書き方も内容も至らない部分ばかりで、自分の中でも固まっていないところが多く、見るに堪えない部分が沢山あります。日々、少しでもいいものが書けたらよいなと思って、モノを書いてきた。そんな成長の証であると言ってもいいでしょう。

長い目で見て、自分がずっと成長を続けているのだとすれば、少しでも新しいものに最も価値があり、次のnoteが出た瞬間に、その座を奪われる、というのが最も理想とする形のはずなのです。どんないいnoteを書いたとしても、書かれた瞬間からその価値は逓減していくのです。

常に成長していきたい。成長をしている。

そう思いたい気持ちの表れとして、ひとつだけnoteを残すならと聞かされた際には、『最新のnote』と答えるしかないのです。


◇◇◇◇◇


二つ目の問に関しては、みなさんもいろんな答えがあるんじゃないかな、と思います。でも私に関してはこう言い切っていいと思います。

それは『承認欲求』というやつです(笑

褒められたい。構ってほしい。そういった自分を受け入れてほしい気持ち。金銭でもPVでもフォローワー数でもいいんですけど、なんらかの形になるもので、自分の承認欲求を満たしたい……それがすべてであると言いきってもいいでしょう。

いや、「すべて」はさすがに言いすぎかな……

創作から生まれる楽しさというのは間違いなくあります。ただ、それも楽しいと思うから認めてほしいという、結局は承認欲求なしには成立しないものなのではないかと思うのです。
例えば極端な話、半年間誰からも何の反応もなかったら私は絶対にこの場に残っていないでしょう。ということは、やはり重要なのは承認欲求であるということになります。

noteにはコミュニケーションツールという意味合いがあるので、そこはまた別の需要に答えることができる部分になってきますけどね。


◇◇◇◇◇


そんな私のnote感でした。

地味にずっと活動を続けることができるのは、私の強みだと思っているので、まだまだ今後ともよろしくお願いいたします。



#エッセイ #コラム #note #noteの書き方 #noteの続け方

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