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私たちは誰も外に行きたくない

 朝も早くからインターホン鳴りひびく。

 「早く」とはいえ9時くらいなので、飛びぬけて早いとは言えないかもしれない。しかし起きるのが早い上の子はともかく、下の子などはまだ寝ていたりする。実際、今日もまだ寝室から出てくる気配がない。
 居留守を使うわけにもいかず、カギをあけ来訪者である母を迎えいれる。私の家と実家は目と鼻の先で、休日にはこうして朝から孫をかまうためにやって来ることがよくあった。

「今日はどこ行くの?」

 さっそうと上の子をかまいながら母が言う。当の上の子はタブレットに夢中でまともに反応をしない。彼ももう十分に知っているのだ。この私の母という人物は……きみから見たら「おばあちゃん」にあたるこの人物が、非常にめんどくさい人であることを。

「今日はどこ行くの?」

 そう母は繰りかえす。彼女の中ではいつまでたっても『子供は風の子』であり、外で元気に遊ぶことこそ正義なのだ。もちろん小さいうちから家にこもっていることが正しいとは私も思わない。しかしもちろん世の中はコロナウイルスが流行っており、緊急事態宣言も発令されている真っ最中。行く先には気をつかうし、公園などの屋外施設は天気(昨日の天気にも)にも影響を受ける。
 たまの1日ならともかく、毎週のように顔をだし、どこに行くのかと繰り返す母を相手に行先をひねり出すのはなかなかの難題なのだ。

 その上、最大の難点は「どこに行くのか?」と問うている本人自身は「遊びに連れて行ってやろう」という気はまったくなかったりすることだ。


 じゃあ誰が連れていくのかといえば、当然のように親である私たちが連れていくことになるのである。大事なことなのでもう一度言うと、言い出しっぺである母は基本的に連れていくことはない。はっぱをかけるだけかけておいて自分はまったく動かない。あまりにも厄介な存在なのだ。

 母の要請で父が駆りだされることも良くある。父だって別に孫がかわいくないわけではないし、まだ働いている合間をぬってよく面倒をみてくれていると思う。しかし毎度毎度外に連れだすのは体力的にも大変だし、自分の時間だって欲しいだろう。
 ところが母に言わせると「孫と遊びたいのに、自分から言い出せないから私が言ってあげた」と、こちらとしてはありがたいが、なかなかに不憫な立場だ。合掌。

 言い忘れたけれど私の家系では基本的に女系が圧倒的に強く、男は何も言えずしずしずということを聞くだけのボロ雑巾にも劣る存在だ(と思われている)。そんな人とよくぞ結婚したものだと思わなくはないが、あまり難癖をつけすぎるとパラドックスに巻き込まれるので控えることにしよう。


 その上、肝心の遊びに連れていかれる本人たちも別に外になんて行きたくないのだ。――いや全くもって外で遊びたくないと思っているわけではない。でも実際に彼らは天気がいい日が10回あったとしても、9回までは外に行きたくないと思っている。いや8回くらいかな……。どちらにしても根っこがインドアな人間なのは疑いがない。

 特に暑かったり寒かったりすると目に見えてテンションが下がる。結果、ほれみたことかとばかりに「家でゲームする」と言いだした。現代っ子か。……いや現代っ子だ。

 実際、寒いのに特に目新しいわけでもない公園とかに行ってもそう楽しくもないし、仲のいい友達がいるわけでもない。家にこもってゲームとかユーチューブを見ている方がずっと楽しい。その気持ちはわかる。私はわりとアウトドアな人間だけれど、インドアでも過ごせる人だからその気持ちは痛いほどわかる。急に出てきた謎のおばさんの一言で、意味も分からず連れ出されるとか理不尽でしかないよな。わかるわかる。ちょーわかる。


 ――さて。もうお分かりだろう。

 この場にいる誰一人として、子供を外に連れ出したいとは思っていない。本人たちもしかりだ。そして思っていないにも関わらず、勝手なことをいう人がいるせいでその和が乱されているのだ。誰も……誰一人として、外にはいきたくないのだ。

 断ればいいじゃん。と軽くいう人は、私の母を知らないから言えるのだ。非常にめんどくさい人種なのだあの人は。一事が万事なのだから。もうあきらめの境地に達している私はともかく、妻の精神的安定を考慮すると同居していなくて本当に良かったと思う。心から。

 単なるグチになってしまった。そんな休日の1日。
 おそらく今日もそろそろインターホンが……



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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)