彼氏と私の事情【ショートショート】【#87】
「プロポーズとかでさ、『絶対、お前を幸せにしてやるから』ってあるじゃん」
カモメのなく声がかすかに聞こえる。西日が差し込むベンチに腰かけたまま、眼前に広がる海に向かって問いかけるように、彼はつぶやいた。
「そうね。そういう強気なプロポーズもいいんじゃない」
私は風に飛ばされそうになった帽子を押さえる。ついさっきまで私たちは二人で映画を見ていた。話題の恋愛ものの映画だ。映画館を出て、感想を話しながらここまで歩いてきたのだ。
「でもさ、世の中に『絶対』なんてないわけでしょ? それって無責任じゃない?」
「うーん。気持ちはわかるけど、受ける側の立場だったらやっぱり見栄を張ってほしいときもあるかな。――というか……プロポーズなんて何度もするもんじゃないんだから、その時くらいカッコつけてほしいって感じかな」
「なるほどね」
「営業マンが来て、『これはいいと思いますよ。多分』って言われたら買わないでしょ?」
「そりゃそうだ。でも、下手にはったりをかますよりも等身大の方がいいってことはない? ほら、『お前の味噌汁が飲みたいんだ』みたいなやつ」
海沿いの浅瀬で遊んでいる人たちが何人かいた。もう海に入るほど暑くないし、足をぱしゃぱしゃと濡らしている程度のようだ。私は彼の方を向いて言う。
「私はそのフレーズはあんまり好きじゃない。だって、妻が料理をすることが前提になってるでしょ」
「あー確かに、そうかも。じゃあ逆に『俺の味噌汁を飲んでくれ』でどう?」
「いや、それはなんか気持ち悪い」
笑いながら私はいい返す。
「わがままだなぁ。料理は俺がやる、という気概があふれていいじゃないか」
「その旦那がコックだとか、もしくは最初っから主夫をやりますってなってるならいいかもしれないけど、やっぱりステレオタイプに対するあこがれっていうのもあるのよ。旦那さんに料理を作ってあげるっていうのも、その一つなの。まかせっきりはイヤだれど、全部取られるのもイヤなのよ」
「そういうもんなのか」
「そういうもんよ。結局は、多少強引でもシンプルな方がいいってことね。そこには女の子の夢と希望がつまってるんだから」
彼は海を見つめながらしばらく何も言わなかった。さっきまでまだ顔を出していた夕日は、ついさっき地平にしずみ、あたりにはうっすらと影が広がる。
「じゃあさ……」
「うん」
「絶対、お前を幸せにしてやる。――だから結婚しよう」
また、強い風がとおりすぎ、飛ばされそうになる帽子を私はおさえる。海辺で遊んでいた人たちも、暗くなってきたからそろそろ帰ろうか……なんて話をしているようだ。いつのまにか鳥たちの声は聞こえなくなり、無数のビルやホテルの光がゆるやかに主張しはじめている。
「……えーーっと。それは、本気のヤツ?」
「本気のヤツ……です。――本気の、プロポーズです」
「――そう」
私はゆっくりと、おおきく息を吸い込む。そして答えた。
「……やりなおし」
「え?」
「リテイク。差し戻し。出直してこい、でもいい」
「ちょっと待って、いやだってプロポーズはシンプルで強引な感じがいいって言ったじゃん……」
「たった今、リサーチした知識を今披露してどうするのよ! 馬鹿じゃないの! 雰囲気ぶち壊しです。少女漫画でも読み直して勉強しなおして! そしてそれを提出しなさい。400字詰めのレポートで20枚をくだったらまたリテイクだから」
「……えぇそんな」
「破談にしないだけありがたいと思いなさい」
私は立ち上がって、彼を見下ろしながらそう言い放つ。そして「ついてこないで」と、ひとりベンチを後にした。夕日は完全にしずみ、あたりは闇に包まれていた。
残された彼は私を追いかけるわけにもいかず、手を出した恰好のままで固まっていた。ちょっとだけかわいそうだから、あとでオススメの少女漫画を送っておくことにした。
「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)