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『エッセイ』じゃなくて『小説』を多めに書いていて思うこと。

最近、小説……といっても、いわゆる「ショートショート」らしきものを沢山書いている。年に何回かそういうものを書きたい時期があるし、今回に関しては『「ショートショート」を沢山書く人になろう』という長期的な思いもある。

そうやって小説を沢山書いていると思う。

ショートショートでは、ネタの一本釣りのようなものもあるし、ネタを考える段階でも労力はかかる。でも、それ以上に「思いついたモノを形にする時」に、特にエッセイの何倍も気力がいる様に感じている。

エッセイというのは「自分がどう感じたか」をつづるものなのて、自分というフィルターを通して、自分の言葉で、自分の思いをつづればそれで良い。それが実際には間違っていたとしても、自分の基準で正しければそれが正解だ。
表現の上でもそう。自分の考えを一番的確に表現するのは自分の言葉だ。多彩な表現をあやつれるに越したことはないけれど、それを使いこなしていないなら、その言葉を避けて、使い慣れた言葉を使った方が、「らしさ」がでる。

エッセイではそれは大事な要素になってくるはずだ。

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かたや小説となると、そもそも主人公は自分ではない。

自分自身の体験したことのない状況も珍しくない。それを最も的確に伝わる言葉で読者に伝えなければならない。
言葉をひとつひとつ探し、そのシチュエーションをどのように書くのが「正しい」のか。それを自分の外側にある基準で選別していかなければならないのだ。

もちろん最終的には「書き手らしさ」は大切だけれど、上の条件をクリアした上で必要になるものだと思っている。

本来はエッセイでも小説でも「的確な言葉を選ぶ」というのは必要な要素のはずなので、単に私がエッセイで手を抜いているだけ、という気がしないではない。

しかし現実問題として、現在、私が小説を書いている時、ネタが出るか出ないかという段階ではなく、思いついたモノを形にする段階で並々ならぬ苦労を感じているのは確かなのだ。

それでも書こうと思うのだから、やはり根っからのドMなのだろう。というかクリエイターってのは基本的にみんなドMに決まっているのだ。



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「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)