見出し画像

地面に寝そべった男【ショートショート】【#144】

「いやーうちも最初は悩んだんですけどね、本人も平気だっていうし、実際ニオイも別に気にならかったわけですから。それに、『どれだけでも働きます』って言ってくれてね。やっぱそういう前向きな意向はかってあげないとね……」

 その50代半ばくらいの小太りな店主は、そう言って弁明した。

「しかし――、結局、彼には時給300円しか支払っていないんですよね?」私はそう問いかける。

「いやまあ、それはそうだよ。だって動きだって遅いし、手先も器用じゃないわけで。それに、お客さんの前に出すわけにはいかないでしょう。それで普通の人とおんなじってわけにはそりゃいかないよ」

 私は一緒に来ていた上司の方を向きなおり、小声で話しかけた。

「先輩どうします? 最低賃金は割ってるわけですが……」

「んーそうだねぇ、とりあえず結論はもう少し状況を聞いてからにしましょうか」先輩はそう言って、また手元のタイムカードに目を落とす。そして店主に問いかけた。

「ちなみに……、彼の休みの日とかは決まってるんですか? これを見ると、ほとんど毎日のように8時からはじまって、終わりは深夜の2時や3時もザラみたいですが……。休日に関してはたまにぽつぽつある程度。流石に、これはちょっと働きすぎじゃないですかね?」

「ああ休みはね。彼が医者に行く日っていうのが月に1,2回あってね。その日は休みをくださいって言ってくるんですよ」

「持病か何かでの通院で?」

「いや……? 薬かなんかをもらいに行くらしくてね。その……ちょっとした、防腐剤みたいなやつを、少しね」

「はあ……そうですか」先輩はあまり腑に落ちなかったようだけれど、とりあえず相槌をうっていた。

 店主はこの場から早く逃げることはできないだろうかと、さっきからそわそわしている。無理もない。彼の足元にはうつぶせの男が横たわっている。顔色はどす黒く、口元には何やらねばついた液体が水たまりを作っている。見るからに具合が悪そうだ。こんな状況を見られて、堂々としている方がおかしいというものだろう。
 とはいえ私たちは警察ではない。労働基準監督署から来た監督官だ。労働者の安全を守り、その管理が適正に行われているかを監視するのが我々の仕事。だからこれが殺人事件であっても関与するつもりはない。しかし、労務管理が適切でないとすれば見過ごすわけにはいかない。

「実際のところ……まあ軽く見積もっても月100時間以上残業しているわけでしょ? それに雇用保険とかも入ってないんでしょ? いくらなんでもそれはヒドイんじゃないですかね……」私は横たわる男をのぞき込みながら質問を続けた。

「ちなみに彼、大丈夫なんですか? 息してます?」

「ああたぶん大丈夫ですよ。今はほら、休憩中ですから。休憩中はだいたいこんな感じですよ。『息してるか』って言われちゃうと、――まあ、それはちょっとアレなんですけど……」

 私は思い切って店主を問いつめた。

「――というか、彼……死んでますよね?」

 店主はどのように回答したものか、一瞬考えたものの、結局は素直に答えるようにしたようだ。

「あー……やぱりわかっちゃいますかね。うんまぁそう、死んでるんでしょうねぇ。いやでも大丈夫ですよ、バリバリ働いてもらってますからね」

 そう。どうやらこの寝そべっている男は死んでいる。しかし聞くところによると、休憩が終わればちゃんと立ち上がって何事もなかったかのように仕事をするらしい。聞き取っていくと、採用の段階ではもうすでに死んでいたらしいので、働かせすぎとはいえ長時間労働が原因で死んだわけでもないようだ。

「先輩、根本的な話なんですけど……死んだ人は『労働者』なんでしょうか?」私は声をひそめながらまた先輩に耳打ちをする。

「いや……どうだろう。正直、前例はない話だと思うけれど……事業主の指揮命令下に置かれていて、賃金も払われているんだから、やっぱり労働者なんじゃないかなぁ?」先輩は困惑しながらもそう答える。

「やっぱそうなりますよね」私は、店主の方を向きなおり、言い放った。

「では、聞いてください。やはり彼には通常の労働者としての待遇を用意するべきかと思います。長時間労働もダメですし、最低賃金を割るのもダメです。それが法律ですからね」

「いや待ってくださいよ。そうは言っても死んでるんですよ? ちゃんと息もしてないし、心臓だって動いてない。ほら、確認しますか?」店主は寝そべる彼を指さしながらそういった。

「いや確認は結構です……。結構ですが、実際に働いているんですから。働いているからには労働者です。となれば、やっぱり法律を守ってもらわないといけませんからね。そうに決まっています」

「決まってますとか言われてもね……。だって『働いているから』なんて言われたって、いくらなんでも生きてる人間と同じ法律を適用するのは無理があるってものでしょう? ――それに私は知ってるんですよ。ほら、動物の死骸ってのは、言葉は悪いけど『ゴミ』と同じ廃棄物の扱いでしょう。人間の死体だって一体、二体で数えるんですから根本は同じ。一緒にしてもらったら困るってもんですよ」

「いやちょっと待ってくださいよ! どうしても死体だからって主張するのなら、こんなの立派な死体遺棄じゃないですか! 適切な方策にのっとって埋葬するのが筋ってものでしょう!」私は店主に食ってかかる。

「あのね、あんた何にもわかってないな! こいつはね、一度埋葬されてそのあと出てきたの! たまたま土葬の地域だったから、地面が柔らかくなった時にはい出てきちゃったわけ。つまりちゃんと適切な処置をしたうえでのゾンビなの。そんじょそこらの野良ゾンビと一緒にしてもらっちゃ困るわけ!」

「野良ゾンビって……」

「それにあんたたち、働いてれば労働者だって言うんだら、水族館のイルカやラッコだって働いているじゃないか。彼らは労働者ですか? そうじゃないですよね? だから彼だって違うんです。彼は由緒正しきゾンビですから!」

 店主の勢いにあっけにとられているうちに、もそもそと寝転んでいた男が起き出したようだ。周りのでおきている喧騒などまったく耳に入っていなかったかのように、こちらを振り向き、男は言った。

「ア……店長、オハヨ、ゴザイマス。後半モ、オ仕事ガンバリマス」

 あっけにとられ、動くことのできない私たちをしり目に、ゆっくりと自分の仕事場にむけ歩き去った。口元からはネバネバした液体がしたたっていた。



#監督署シリーズ #ショートショート #小説 #労働 #監督署 #労働者 #最低賃金 #掌編小説 #ゾンビ

「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)