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『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を見たのでネタバレしながら感想を書いておく。

ネタバレの配慮はいたしませんのでそのつもりで。
これから内容を知らずに見たい方はブラウザバックでお願いいたします。



というわけで、プライムで配信されるということで見れるかなーっと思っていましたが、無事見れました。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

ちなみにわたしがエヴァを一番好きだったのは、中学生のときで、テレビ再放送がやっていた時期。話題作であることは知っていましたので、全部録画したところそのあと人気が沸騰。バスケ部中にそのビデオを貸して回ったのはいい思い出です。

しかしその後の旧劇場版はひとつも見ていないんですよね。いや話題は聞きましたよ。「気持ち悪い」とか。でもそのあまりの酷評っぷりにしり込みをしてしまったせいか結局今にいたるまで一度も見ていません。
じゃあ新劇場版のほうはどうかといいますと、序、破にQもたしか見たはずなんですが、もう内容すっかり忘れていまして。Qはそもそも急にわけわかんなくなってましたしね。

そんなわけで劇場に足を運ぶほどの熱量はないなぁと思いながら横目で見ておりましたが、この度やっとプライムビデオで鑑賞することができました。


――ああ、それでやっと感想なんですけどね。
とっても面白かったです! あの、ネタバレになるからってことであんまり誰も言ってないんだと思うんですけれど、とても『メタフィクション的』でした。

メタフィクションとは、架空の出来事であるフィクションをフィクションとして扱うこと。

ということで、エヴァというのがフィクションとして作られたひとつの作品であるということを描写するカットがたくさん出てきます。過去に影響を受けた作品のオマージュが沢山出てくるのも、そういうメタ的な要素のひとつでしょう。
フィクションだという認識が登場人物にあったとは思わないので、メタフィクションとは少しずれるのかもしれませんけれど、製作者が「フィクションです、これは」って作中で主張しているんだから、やっぱりメタなんだと思います。

で、ご存じのとおり、わたしはメタが大好き(そんなもん誰も知らん

というわけで大満足なわけですよ。いや謎は多いし、言葉はむずかしいし、そもそも前作忘れてるし、で全然内容はわかんなかったんですよ。ほとんど。ほぼすべて。
わたしにわかったのは、「あーゲンドウっていう妻が好きすぎるマッドサイエンティストが大はしゃぎしたから息子が尻ぬぐいました」という話だったということくらいです。細かく検証している人もいるんでしょうけれど、どうせ謎は謎のままなんでしょう。そんなのが解決しないのは仮にも一度はエヴァを好きになった人間なんだから重々承知です。

だからそういうのはもうね、いいんです。べつに求めてません。でも本当に映像表現は素晴らしかったし、結局メタで終わらせたっていうのは個人的には好きな終わらせかたでした。だってエヴァって庵野さん自身みたいなものじゃないですか。エヴァというものを突きつめたら「自分自身」と、「ひとつのフィクション」がそこにあるという表現になりますよね。いいのか悪いのははともかく、突きつめて考えた最後の選択肢という感じがしてとても好きです。

それで、わたしがメタだなぁと感じた最大の理由なんですけど、『シンジくんが「エヴァのない世界線にしよう」って思いたって実際にやっちゃった』ってところでして。これ、だって前振りもなにもないでしょ。むずかしい単語でいろいろ装飾しているからそれっぽく見えているだけで、おい急になにを言い出すワンコくん、という感じですよ。
でも途中メタです、という表現がちらほら出てくる。エヴァというのは作られた作品なのだという主張が入る。ミニチュアの街で格闘して、ブルーの背景に激突したり、画角を決めるためにああでもないこうでもないしていた倉庫で綾波と鉢合わせたり、色のついていない線画がそのまま出てきたり。とのかくそういう表現を入れることで、「これはエヴァというひとつのフィクションである」というお膳立てをする。
そのうえで、エヴァってすごく大きなものになっちゃったけど、それがない世界線っていうのもあったのかもしれないね。なんていう道を示してむりくり作品を終わらせるわけです。

もちろんそこには作品を作品内で完結させられていないのではないか、という非難はあると思うのですけれど、庵野監督とシンジくんをかさねることで、作品としてきれいに終わった感じに見せているこのバランス感覚はさすがだと思います。「なんかよくわからんとこは相変わらず多いけど、今回はちょっと納得できる気がするから大円満ってことでいいんじゃないのいいんじゃないの?」と、訓練されたオタクは思うわけです。


小難しいことをかきましたが、わたし、正直ちょっと泣きそうになりました。
だってエヴァって長い時間をかけて、わたし自身のなかにも降り積もっていたなにかなんですよ。それは作り手である庵野監督だけじゃないんです。若い時分には使途の名前全部覚えましたし、本気で謎解きやってみようとしたこともありました。
そうやって自分のなかに長く積もっていたなにかは、これまでのところ中身もよくわからない部分が多いし、終わるのかもわからず、要するに消化不良だったんですよね。でもそれがここにきて本家の解釈でひとつの終わりを見せてもらえた。あそこでメタ的な行動をしているシンジくんは、監督の分身であり、わたしたち見ている人の分身なんですよね。だからこそこれまで積もり積もったなにかが限りなく昇華された感じがあったんです。

作品の筋としては褒められたものではないのかもしれませんが、作品内できちんと完結していたらこういう感情にはならなかったと思います。いい作品だったな、ってただ感じるだけ。それは悪いことじゃないんですけど、「昇華」にはつながらなかったはずです。

ああやってメタの方向に持っていきたかったのは監督の思いであって、同時に観客の思いだったんだろうな。だからこそこんなに涙を誘うんだろうな。そんなことを強く思いました。


不真面目なエヴァファンでしたけれど、この最後の作品に立ち会えたことは本当にうれしいことだと思います。エヴァを一度でも見たことのある人は見てみるべき作品です。



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