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受取拒否していいんだぜ

嫌いな人がいてもいいし、

合わない人がいてもいいし、

苦手な人がいてもいいのよ。


でも、

学校や、会社や

そういうどこかの組織に属すると、

必ずこう教えられるわね。

「みんなと仲良くしましょうね」

「みんなと協力してやりましょうね」

だから、関わる人全員と

うまくやらないといけなし、

仲良くしないといけないし、

協調性が必須になる。


そうやって、
集団生活での「和」だけを重んじられ

どんなに合わない人でも、
合わせないといけなくなる。

ま、そうすることで、お互い分かりあえたり、

実際に協調性が身についたり、

組織で動けるようになったり、

そういうことはあると思う。


また、一定の秩序は必要だし、

最低限のルールも必要だと思う。


そうじゃないと、組織が組織として機能しないからね。


でもね、

それでもやっぱり、

「みんなと仲良く」ってキツイと思うんだわ。


違う親に育てられ、

違う学校で学び、

違う友だちと遊び、

違う趣味をもって、

違う知識を身に着け、

違う価値観で歩んできたわけで、

出会う人

出会う人

「みんなと仲良く」って、
やっぱりキツイと思うんだわ。


どうしたって何人かは、

合わない人もいるし

苦手な人もいるし

嫌な人だって出てくるわけよ。


もうこれは、しゃーないと思うのよ。

誰もが、
清廉潔白な聖人君主じゃないわけで、

やっぱり「合う、合わない」は、
人間関係の中で出てくる。


んで、個人的に思うのはね、


嫌いな人がいてもいいし、

合わない人がいてもいいし、

苦手な人がいてもいいと思うのよ。

「ああ、この人どうしても仲良くできないな」

って人がいても、別にいいと思うのよ。


寧ろ、

そういう「合わない人がいる自分」を、自分で許せないもんだから、

いつまでたっても、
目の前にそういう人(合わない人)がどんどん出てくる。


だって、

「合わない人がいてはダメだ」と思っているから、

自分的にはずっと克服しようとしているわけで。


そりゃあ、どんどん出てくるでしょうよ。

自分で呼び込んでるんだもんね。
(ま、意識してやってないから分からないと思うが)

だからね、もうバンザイしたらいいんです。


自分には、正直合わない人がいる。

自分には、正直苦手な人がいる。

自分には、正直嫌いな人がいる。


そうやって、

「全員と仲良くできない自分」ってのを先ず許してやるのよ。


「ああ、そうか、

自分はどうしても、あの人が合わないんだな

自分はどうしても、あの人が苦手なんだな

自分はどうしても、あの人が嫌いなんだな」


そうやって、先ずはそういう自分を認めてやるのよ。


そするとね、段々心が軽くなってくる。


今までずっと、

「みんなと仲良く」と教えられてきたから、

なんとかしてその教えを守ろう守ろうとしてきた。


でも、その教えに縛られて、本当は自分自身が苦しくなっていた。


そして、その教えに従えない自分を

許して、

認めて、

受け入れると、


段々心が軽くなってくる。


ああ、いいんだ

別に、合わない人がいても

苦手な人がいても

嫌いな人がいても


別にそういう自分でもいいんだ


ここが腹落ちしてくると、

「合わない人」

「苦手な人」

「嫌いな人」

がいても、今までのように心が激しく反応しなくなる。


だって、
「そういう自分」を既に受け入れてるわけだからね。


嫌いな人がいてもいいし、

合わない人がいてもいいし、

苦手な人がいてもいいのよ。


先ずは、

そういう自分を許し、

そういう自分を認め、

そういう自分を受け入れることですな。

心穏やかに

健やかに

そして、自分らしく生きたいなら


「受取りたくないもの」を、受け取らないようにすること。


これが一番だと思っている。


そのためには、

自分が本当は、

嫌なもの

不快なもの

合わないもの

見たくないもの

関わりたくないもの


そういうものからは、

遠ざかっていいんだ、受け取らなくていいんだ。


そうやって、きちんと自分に許可を出すことですね。


そして自分には、

「何を受け取るのか?」

受け取るものを選択する権利があるんだ。

ここに立ち返ることです。

例えば、

相手は良かれと思ってやっていることでも

相手は親切心で言っていることでも


実は、

自分とっては不快だったり

自分にとっては迷惑だったり

自分はやめてほしかったり


そういうこともあるわけだ。

そういう時、

その

不快な状態

不快な環境

不快なもの

から「離れる」ということに、

罪悪感を覚えてしまうことがある。


本当は、不快だと思っているのに


こんなこと言ったら
相手を傷つけるかもしれない。


拒否したら相手に悪いから。

そんなことしたら
相手との関係が壊れるから。

そうやって、
自分の感情に蓋をして生きてしまう。


だから、

ストレスになるし、

そのストレスを
別のかたちで誤魔化そうとするし、

心はいつまでたっても潤わない。

「ほしいものを手に入れる」のも素敵なことだけど、


もっと大切なことは、

「受取りたくないもの」を受け取らないようにすること。

先ずはこっちなんです。

「相手がどう思うか?」ばかり考えてきたのであれば、


これからは、

自分の心の声や

自分が快か不快か

こっちの方に意識を向けてやるといいと思いますね。





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