見出し画像

AとBのダイアログを示す教科書でコミュニケーション能力が身につくのか

 文科省は、高等学校の外国語教育の方向性・目標についてどう提示しているのでしょうか。

第1目標
外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ、外国語による聞くこと、読むこと、話すこと、書くことの言語活動及びこれらを結び付けた統合的な言語活動を通して、情報や考えなどを的確に理解したり適切に表現したり伝え合ったりするコミュニケーションを図る資質・能力を次の通り育成することを目指す。

2018年の指導要領

ちなみに1こ前の指導要領はこれ。

外国語を通じて、言語や文化に対する理解を深め、積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度を計り、情報や考えなどを的確に理解したり、適切に伝えたりするコミュニケーション能力を養う。

2012年の指導要領

 指導要領は数年ごとに改訂されていますが、いずれにしてもコミュニケーション能力を軸に置いているのは間違いありません。
 というのも、6年も英語を習ってきて、外国人を前にすると英語を一言も発することができない人が多いという反省から来ているのでしょう。
 まさに日本の多くの人が、外国語コミュニケーションにアレルギーがある状況にあるのですね。

 ではなぜ、既存の外国語学習ではコミュニケーション能力が身につかなかったのでしょうか。日本人の性格的な問題ですか? 本人の努力不足? 
 それもあるかもしれませんが、教える側にもかなり大きな問題があります。
 今回は、コミュニケーション学習について気付いたことを書いてみたいと思います。

コミュニケーション学習の課題

 私が考える、教える側の課題は次の2つです。

課題❶
コミュニケーション学習を謳いながら、文法や発音の指導が中心になりがちである。

課題❷
教科書のダイアログを使って、学生ペア間で発話練習させることを、コミュニケーション学習だと思っている。

 ❶も❷も、「授業時間が限られている」「少人数教育には限界がある」「文法・発音など形式的な技能のほうが評価しやすい」という事情が背後にあるといえます。とはいえ、漫然と今の状態を続けることが良いこととは思えません。課題について正面から向き合っていみたいと思います。

本当にコミュニケーション能力を養おうとしているか

 そもそも使用しているテキストが、本当に、
外国語でコミュニケーション出来る能力を養おうとしているの?」
という問いです。

 コミュニケーション学習は、コミュニケーションを目標にしているように見えて、実はただ発話すること、あるいは文法の定着がゴールになってしまっています。
 教科書が、AとBの会話というダイアログを示し、それ、あるいはその関連表現の発話練習だけでよしとしているからです。

 AとBのダイアログを暗記し、ペアになって交互に言い合う。

 これがコミュニケーション学習の一般的な授業風景ですが、これはコミュニケーションではなく単なる発話です。

 続けて関連表現を作文しながら発話するワークに取り組むことがありますが、これは文法の「置き換え練習」を「置き換えフレーズ」に変えただけ。「置き換え練習」を「書く」学習から「発話」学習に置き換えただけだといえます。

 どのテキストを見ても、結局「コミュニケーション能力」の醸成ではなく、単なる「発話」と「文法」習得を行っています。相手の話を理解し、私のことを伝えるという「伝え合い」になっていないのです。

「いやいや、が重要なんです」という反論があるかもしれませんね。コミュニケーション能力の基本は、「型を覚えること」なんですと。型を暗記させ続けて来たのが、昭和からの外国語学習です。それでコミュニケーション能力が身につくならいいのかもしれませんが、外国人を目の前にして「一言も外国語が出てこない」というのが、この学習による結果ではなかったですか? 想定していたA、B問答から外れると途端に思考停止して黙ってしまうことは外国語会話のあるあるです。

 そもそも「伝え合う」コミュニケーションとは、「おしゃべり」のことです。おしゃべりの基本は1対1です。教室のような30対1の環境でするのは、「おしゃべり」ではありません。しかも先生は、ダイアログのAを読み上げる(学生がBを読み上げる)、文法を説明する、発音指導をするといった役割を担うことが多いです。先生がおしゃべりの相手にはなっていないのです。

 ペアワークで何とか解消しようと努力はしていますが、ペアを作ったところで、おしゃべり(外国語でのコミュニケーション)はやはりさせていません。教室の中で行っているのは、ダイアログの単なる音読であり、暗唱なのです。

 
コミュニケーション能力が、日本では身につかないのに、現地に行くと身につくのはなぜでしょうか。
 日本では「型を暗記・暗唱した」だけでしたが、現地では、「コミュニケーションをしている」からです。型を暗記することに意味がない、とまでは言いませんが、「型を暗記すること」と「コミュニケーションをすること」の違いも理解せず、単に型だけ暗記しても、コミュニケーション能力が身につくはずがないのです。

 コミュニケーション学習をうたいながらも、集団が相手になることで、文法的に間違っていない表現紹介と発音指導という、いわば、どうでもいい「形式」にティーチングポイントが始終してしまいやすいのが現状です。

 ほとんどの学生は授業内容に意見することはありませんので、こうした状況が改善されることはありませんが、はっきりと指摘されたこともあります。「教科書に書いてあることを暗記することがコミュニケーションなのか?」と。ダイアログを暗記させるコミュニケーション学習は、所詮「茶番」だと見抜いたのですね。

 教科書選びでも、実は工夫の余地があります。
 現状の大学の外国語教育は、コミュニケーションも文法という「幕の内弁当」的な総合テキストが選ばれがちです。こうした教科書は、コミュニケーション学習のふりをしながら、文法を教えています。「文法とコミュニケーションを一気に!」といえば聞こえが良いですが、結果は、「どちらも身につかない」とならないか心配です。

 日本のテキストのほとんどが「幕の内弁当」ですが、コミュニケーションに特化したテキストも存在します。
 例えば、高麗大学の語学堂のテキストは、文法事項を散りばめたAとBのダイアログがありません。与えられた語彙や表現でコミュニケーションさせるという型学習から十分に抜け出せているといえませんが、今後のテキストに期待したいと思います。

高麗大の語学堂のテキスト


積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度

 「コミュニケーション能力」のベースにくるのは、2012年の指導要領にあった「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度」だと私は思います。
 きれいな発音、正しい文法といった形式面は、その後の話です。本来、外国語を学ぼうというときには、「積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度」は元からあって当たり前の部分だと思うのですが、日本の教育現場ではコミュニケーションに対する「消極性」が課題に挙がっている状況です。

 きれいな発音・正しい文法を強調したコミュニケーション学習は、すればするほど、「積極的」になるどころか、むしろ「消極的」にさえなる懸念があります。「文法が分からないから、発音が悪いから、コミュニケーションしたくない」といった消極的な姿勢を作り出してしまう懸念です。学校にはあらゆる制約があって、コミュニケーション能力を高める学習が十分に行えないのだとしても、「消極的態度」を醸成することがあってはなりません。

 積極的態度の醸成には、「外国語でコミュニケーションすることは楽しい」という感覚、「文法や発音の習得が不十分でもコミュニケーションできる」という感覚が大事だと思います。
 例えば、ネイティブと日本人の先生間のおしゃべりを見せる。これも一つの方法かも知れません。
 ネイティブの発音やおしゃべりをどれだけ聞かされても、学習者が即座にまねして取り入れることは困難です。でも、ベタな発音と少ない語彙で会話を進めていく日本人による外国語のおしゃべりは非常に参考になります。「私でも外国語でコミュニケーションできるかも!」と学習者に期待を抱かせることができるかもしれません。
 AとBのダイアログも、提示することは良しとしても、あくまで参考に留めるべきでしょう。ダイアログをただ復唱したり暗記させる行為は、コミュニケーション能力の本質から完全にずれています。この点は、評価を変えることで目的に近づけることができます。コミュニケーション学習で評価するべきは、形式的なことではなく姿勢や中身であるべきです。「発音が下手でも、文法的に間違っていても、ジェスチャーを使ってでも、伝えようとすることができる」ことを評価するべきなのです。

 最後に、コミュニケーション学習をサッカーに例えてみます。
 文法はルール、知っているフレーズの多さや正しい発音はテクニックです。現状のコミュニケーション学習は、ルールの理解やテクニックの習得を求めるだけで、実際にフィールドに出てゲームをさせていないようなものです。
 ボールを触ったことも、フィールドを走ったことも、ゴールポストに向かってボールを蹴ったこともない。サッカーってこんなものか、という感覚をまったく抱けていないのです。「私はまだまだルールを理解していないしテクニック不足だから」と、ゲームをすることを躊躇させているきらいすら感じさせます。
 ルールやテクニックにこだわりすぎず、まずはフィールドに出てサッカーをしてみること、つまり、文法や発音にこだわりすぎず、まずは「コミュニケーションをしてみること」が、コミュニケーション学習では大事なのではないかと思います。

https://editor.note.com/notes/nc854c860eedb/edit/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?