【超短編】官能怪談
終電を見送った直後
昼間の空気の生ぬるい質感だけを受け継いだ冷たい風が、女の声のような音を鳴らしながら、地下鉄のホームを通った。
「終電、逃しちゃったね……」
彼の横顔は照れくさそうで、それが私にも伝染する。
「……俺の家、泊まっていく?」
今日、私は何度彼と目を合わせることができただろう。
落ち合ってから2時間ほどは、彼が彼ではないような気がして、何だか向き合うことができずにいた。
それはきっと、家を出る前に届いたLINEのせいだ。
『今日のデート、孝くん来ないよ』
送信者は私の親友で、恋敵の愛子だった。
確かに、彼女の気持ちも理解できる。
もし私が、好きな人を奪われた方の立場だったなら、結ばれた二人の恋路を邪魔したくもなるだろう。
けれど、私は彼女のためにも、そのメッセージを無視したのだった。
そうしなければ、いつか愛子は自分のその愚かな悪事を、悔いることになると思ったからだ。
私は、彼女には自分自身のことを、嫌いになってほしくない。
「孝の家?」
私はすっかり頬が熱くなる。同時に、自分のからだの中心がじわりと、温かくなるのも感じていた。私は子供の頃に見た、花の蜜を思った。
次の瞬間には、私たちは人気のないホームで深いキスを交わしていた。
触れているのは唇だけなのに、腰や肩の力がガクガクと抜けていくのが不思議だと思う。
こんなにも、私と彼は熱くて柔らかいのに、夜の空気が胸を刺して、私の体温を0に近づけていくようだった。
夜風よ、暗闇よ。
私の熱を奪わないで。
私は、私の温度を奪っているのは本当は風ではないことに、気づかない振りをして、目を閉じたまま、でたらめに彼の中を確かめた。
とろけて熱い。とろけて熱い。とろけて熱い。
熱い、はず。
『孝くん、死んじゃった。昨日の夜、事故で』
愛子の嘘つき。
だって彼は、時間通り待ち合わせ場所に現れた。
彼の服が昨日と同じだったこと以外に、普段と変わらないことなんかない。
だって目の前の彼は、
唇も舌も歯茎も
首も背中も
からだの中心も
こんなに
こんなに
こんなに
冷たくて、硬い
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