――僕、君のこと好きなんだよ。知ってた?
――知ってた。
彼女は、事もなげに言った。
あまりにも「事もなげ」だったから、僕は、その次に何を言おうか、忘れてしまった。何を言おうか、言わまいか、そのどちらかを忘れてしまったんだ。
――ええと、それで、
僕は、仕切り直すことにした。
――君は、僕を好きなの?
――さあ。
――さあ、って。
彼女は、ふあ、と欠伸をした。もちろん、わざとだ。
僕は、「さあ」なんて言われることも予想の範囲外だったから、自分が何を言おうとしていたのか、今何と言ったのか、また忘れてしまった。
こういうのを、「傷付いた」っていうのかな。忘れちゃうくらいだもんな。きっと、そうだ。
――傷付いた。
僕は、正直に言ってみた。そうすることで、彼女を傷付けることが出来るみたいに。
――「傷付いた」の。そうなの。
彼女はカウンセラーみたいに、僕のことばを反芻するだけだった。
どうしよう、と僕は思った。
手持ちのことばは、すでに切らしてしまっていた。僕はその全部を、彼女に捧げてしまったんだ。元々持っていることばが少なかったのか、それとも彼女が、僕の全部を捧げ得る最後の人なのか。
――あ。
突然、頭の上からポーチドエッグが落ちてきた。
当然、僕はそれを頭で受け止めてしまう。白身の薄膜がぱちんと破れ、とろとろの黄身が額の上を、眉の上を、頬の上を、流れ出した。僕はどうしようも出来なかったので、仕方なく、頬に付いた黄身を舐め取った。
――あはは。いい眺め。
彼女は、オレンジジュースをコップ1杯飲んでいた。どうやら、彼女には意地の悪いところがあるらしい。
――そもそも私は、君に会ったことがあるの?
彼女は、空になったコップを後ろ手で捨てた。コップは地面の上で粉々に砕けると、その場でぐつぐつと煮えて、跡形も無く蒸発してしまった。
――あると思うよ。だから、僕は君を好きになったんだと思う。
――そう? 会ったことがなくても、好きになることって、あるんじゃない?
僕は、そのことについて、しばらく考えてみた。確かに、そういうこともあるかもしれないな、と思った。
――じゃあ、僕はどうすればいいんだろう?
――ピース・オブ・ケーキ。もう一度、出会えばいいのよ。
だから、僕らは別れて、彼女の言う通り、もう一度出会った。
――初めまして。
――初めまして。
そして、僕らの恋が始まった。
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