Frog,Flag,Flap!(4943字)

 むかしむかし、だれの、どんな願いも、だれかが叶えてくれたころのこと。

 ある国に、ひとりの王さまとたくさんのお姫さまがいました。お姫さまはみな美しく、中でもひときわ美しいのが、いちばん下のお姫さまでした。世の中を見わたしても、こんなに美しいお姫さまは他にいません。

 王さまはもちろん、お姉さまであるお姫さまたちは、いちばん下のお姫さまをかわいがりました。そんなお姫さまは大きくなると、彼らを見下すようになりました。

「わたしは、この世でもっとも美しい。そして、もっとも優れている。いずれこの国を、そして世界を支配するのよ」

 ある日、お姫さまはお城の近くの森で遊んでいました。深い深い森なので、近付く者はほとんどなく、ひとりで遊びたいお姫さまにはうってつけの場所でした。

「お姉さまたちは、わたしよりずっとずっと劣っているんですもの。一緒に遊ぶなんてとんでもない!」

 お姫さまは、こんこんとわき出る泉のそばで、お気に入りの毬をついていました。毬は、お姫さま全員が所有していました。色はお姫さまによって違っていたので、誰のものなのか間違えることはありません。いちばん下のお姫さまの毬は、金色でした。

「お父さまは、わたしに一等良いものをくれたんだわ」

 美しい泉に、美しい毬に、美しい姫。たったひとりの王国で、お姫さまはどこまでも自由でした。しかし、あんまりうっとりしていたので、ついつい手をすべらせ、お姫さまは毬を泉に落としてしまいました。

「ああ!」

 お姫さまは、声を上げました。

「お姉さまたちより、ずっとずっとすばらしいものを与えられたのに!」

 お姫さまにとって、金色の毬は象徴でした。己がもっとも偉大であることの象徴。それを失うことは、なによりの恥だったのです。

「家来を呼ぼうかしら……。でも、お姉さまたちがこの場所を知ったら、きっとふみ荒らしてしまうわ……。そんなの、このわたしが許さない。ここは、わたしの王国なのよ」

 お姫さまが頭を悩ませているあいだも、毬は泉の底深くに沈んでいきます。

「お姫さま、お姫さま。お困りですか?」

 ふいに、お姫さまを呼ぶ声がしました。お姫さまが顔を上げると、なんと世にもいやらしい生きものが、泉から顔を出しているではありませんか。

「お困りなら、ぜひお聞かせくださいませんか?」

 かえるごときが、人間のような口をきくなんて。ましてや、このわたしとことばを交わすなんて。けれど、毬が戻ってくるのなら……。お姫さまは、かえるを利用することにしました。

「かえるさん、かえるさん。わたし、泉に毬を落としてしまったの。金色の毬よ。ああ、どうしたものかしら」

「頭を抱えるのはお止めなさい。お姫さま。私が見つけてさしてあげましょう」

「本当?」

「もし、毬を見つけることができたら、お礼をしてくださいますか?」

 その申し出に、お姫さまは屈辱のあまり、頭がどうにかなってしまいそうでした。高貴の中の高貴の出であるわたしが、どうして下賤の者の言うことを聞かなくちゃいけないの?

「ええ、ええ、なんでもあげるわ」

 お姫さまは、あくまでお姫さまらしく、かえるに語りかけました。

「わたしの身に付けているドレスでも、世にもめずらしい宝石でも、なんでも」

 お姫さまは本当は、自分のものは一つもわたす気はありませんでした。

 いざとなれば、お姉さまたちのものを、ちょっといただけばいいのよ。お姉さまたちのものはすべて、かわいいかわいい妹のものなんですもの……。

「私は、そんなものはほしくありません」

 かえるは言いました。

「私がほしいのはあなたです、お姫さま。あなたが私をお城へ連れて行き、共に食事をし、寝床も共にし……。それを約束してくださるのなら」

「ええ、ええ、わかったわ。とにかく毬をとってきてちょうだい」

 かえるはそのことばを耳にするなり、ちゃぽんと泉の底へもぐっていきました。

「ああ、いまいましい」

 お姫さまは、のどまで上っていたことばをはき出しました。

「わたしはこの国の支配者なのよ! あのかえる、何様のつもりかしら? 己の姿を鏡で見たことがあるのかしら? あるわけないでしょうね。そうでなければ、このわたしにあんなもの言いができるものですか!」

 しばらくすると、かえるが毬をくわえて戻ってきました。

「どうぞ、お姫さま。あなたの毬ですよ」

 毬が芝生の上に置かれると、お姫さまは奪い返すようにつかみ、急いでお城へ引き返しました。二度と毬を泉に落とさないように。二度とかえると顔を合わさないように。

「お姫さま! 待ってください、待ってください」

 お城に帰ってきたお姫さまは、毬をきれいにするように家来に言いつけ、いまいましいかえるのことは、さっさと忘れてしまおうと考えました。もとより、自らにしか興味のないお姫さまです。夕食どきには、かえるのことなどすっかり忘れてしまいました。





 次の日のことです。王さまとお姫さまたちが昼食をいただいていると、階段をぴたぴた上がってくる音がして、「お姫さま。いちばん下のお姫さま」と呼ぶ声がしました。

 そこで、指名されたお姫さまがとんとん叩かれている扉を開けると、昨日のかえるがそこにぺたんと座っていました。

「こんにちは、お姫さま。昨日の約束を」

 かえるが言い終える前に、お姫さまは慌てて扉を閉めました。

「お前、お客はどうしたんだ?」

 ひとりで食堂に戻ってきたお姫さまに、王さまは尋ねました。

「お客さまではないわ、お父さま。ただのかえるだったわ」

「ただのかえるが、どうしてお前を訪ねるんだ?」

 お姫さまがあんまり真っ赤な顔をしていたので、王さまはただならぬものを感じたのです。お姫さまは観念して、昨日の出来事を話しました。かえるとの約束のことまで、すべてです。

「それは、お前がいけないね」

 王さまは言いました。

「約束というものは、守らなければならない。まだ果たしていないのなら、そのかえるを迎えに行っておやり」

 お姫さまも、お父さまである王さまにはさからえないので、しぶしぶ言う通りにしました。

 お姫さまが扉を開けてやると、かえるは勢いよくはねて、お城の中へ入りました。お城を自分のものだと考えているお姫さまは、おもしろくありません。

「お姫さま、お姫さま。わたしをテーブルに乗せてください」

 お姫さまはかえるにさわりたくもありませんでしたが、「お前」と王さまにうながされたので、いやいやつまんでテーブルの上に乗せてやりました。

「お姫さま、お姫さま。その金色の皿を、ここまで寄せてください。共に食事をしましょう」

 いますぐ手を洗いたいお姫さまでしたが、ひとり席を立つことも許されず、お気に入りの皿をかえるのところまで寄せました。

 わたしのために用意されたはずの食事を、どうしてこんなかえるに荒らされているの? どうしてわたしは、こんな目にあっているの? お姫さまは悔しさのあまり、涙がこみ上げるのを感じました。

「ああ、食べた、食べた。では、お姫さま。私をあなたの寝床まで連れて行ってください」

 出っ張った腹をなでるかえるに、お姫さまは真っ赤な顔を怒りでさらに真っ赤にしました。それに気付いた王さまは、すかさず言いました。

「なぜ、そんなに顔を赤くする必要があるんだ? お前は約束したのだろう? 困っているところを助けてもらったのに、お前はなにもしてやらないのか?」

 お姫さまは歯をくいしばり、かえるを再びつまみ上げました。歯をすり減らしながらお部屋まで上がると、かえるをすみっこにぽとりと落としました。

 いやらしい、いやらしい。お姫さまはぶつぶつつぶやきながら、ひとりベッドに入ってしまいました。

「どうしたのです、お姫さま」

 かえるは訴えます。

「王さまがおっしゃったでしょう? あなたは約束したのです。食事も寝床も、共にすることを。早く、私もそこに入れてください。さもないと、王さまに言いつけますよ? いいのですか? お姫さま、あなたは約束したのです。ほら、早く」

 お姫さまの怒りをおさえていた最後の一線が、ぷつりと切れました。気付けば、かえるは壁に叩きつけられていました。お姫さまの怒りを、ありったけぶつけられたことによって。

「あはは」

 お姫さまは、かえるを叩きつけた手をそのままに、笑い出しました。

「バカなかえる! わたしを誰だと思ってるのよ! この世でもっとも美しく、もっとも優れている人間なのよ! それなのに! お前ときたら! もっとも醜く、もっとも劣っている! お父さまにもお姉さまたちにも恥をかかせて! その上、わたしの部屋まで汚すなんて! 本当に、バカなかえる!」

 すると、どうでしょう。壁にはりついたかえるが床の上に落ちると、そこにいるのはもうかえるではありませんでした。とてもやさしい目をした王子さまでした。





 もとの姿に戻った王子さまは、王さまのおぼしめしにより、いちばん下のお姫さまのおむこさんになりました。

 お姫さまのお部屋でふたりきりになると、王子さまはうちあけました。悪い魔法使いのせいで、かえるの姿になってしまったこと。それを泉から救い出し、もとの姿に戻してくれるのは、他ならぬお姫さまだったこと。

「あなたは、命の恩人です」

 王子さまは、お姫さまの手を握りしめました。

「明日、共に私の国へまいりましょう」

 ふたりは、眠りが訪れるまで、時々目が合っては互いに笑いかけました。

「バカな王子さま!」

 お姫さまは、心の中で王子さまを、さげすみをもって笑っていました。

「叩きつけられたショックで、かえるだったころのことを忘れたのかしら? わたしは忘れないわ。あなたにされた仕打ちを! わたしは、この世でもっとも優れているのよ。人のよさそうな見た目をしても、あなたが強欲であることはわかっているわ。強欲は身を滅ぼすのよ? そんなこともわからないのかしら? かわいそうだから、わたしが世界を支配するための礎にしてあげるわ。本当に、バカな王子さま!」

 一方、王子さまはお姫さまを見つめ、「誰よりも美しい」と思い、「しかし誰よりも愚かだ」とあざけりました。王子さまもまた、お姫さまの本性を見抜いていたのです。

「この女は、蝶よ花よと育てられ、美しい『だけ』の姫になってしまったんだな。この国ではさんざん甘やかされてきただろうが、私の国ではそうはさせないぞ。思い通りにならない日々に、はたして耐えられるかな? まあ、無理だろうな。だが、こういう女ほどあつかいやすいのだ。せいぜい役立ってもらうよ。その美しさで」

 ふたりは互いの胸の内を知らず、己の野望に一歩近づいたことをほくそ笑みました。





 次の日、ふたりが目を覚ますころ、一台の馬車がお城を訪れました。乗っていたのは、王子さまの従順な家来、ハインリヒでした。

「お迎えに上がりました、王子さま」

 馬車はお姫さまと王子さま、そしてハインリヒを乗せ、お城を旅立ちました。

「本当に、お戻りになってよかったです」

 ハインリヒは手綱を握りしめました。

「本当に、本当に……」

 戻らなければよかったのに。その本音だけは、胸におさめておきました。

 ハインリヒは、王子さまが幼いころからの家来であり、彼の本性は充分承知していました。彼がかえるに変えられたのも、その本性ゆえだったのです。

 これまでのハインリヒの苦労は、計りしれません。王子さまを救ったお姫さまも、彼にそっくりな性格であることもわかっていました。苦労が今までの倍以上になることを思うと、絶望で胸が張り裂けそうでした。

 ハインリヒは出発前に、胸が暴れ出さないように、鉄のたがを三本胸に巻きつけていましたが、道中ぱちんとはじける音がしました。

「馬車が壊れた音ではないか? ハインリヒ」

 王子さまは尋ねました。

「いいえ、王子さま」

 ハインリヒの声は震えていました。

「これは、胸にはめていたたがが外れる音です。……あなたが帰還した喜びで」

 心にもないことを口にしたことで、ハインリヒの胸はさらにはね上がりました。そして二本、三本……すべてのたががはじけ飛び、ハインリヒの胸は破れました。

 皮肉なことに、この瞬間、ハインリヒの願いは叶ったのです。幼いころから自身を縛りつけていた王子さまから解放されたい、一途な願いを。

 馬車を操っていたのは、ハインリヒです。他の家来は同乗していません。

 その後、馬車がどうなったのか、知る者はいませんでした。(了)

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