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『自殺』に対する世間の意識


こんにちは。相沢鈴菜です。

今回はタイトルの通り、自殺というモノに対する世間の意識について少しだけ思うところがありましたので、自分なりに感じていることを話させていただければと思います。

『自殺』のニュースを耳にした人が考えること


自殺大国と呼ばれてしまうだけあり、現在の日本では自殺が後を絶たず、自殺のニュースを耳にすることも珍しくないでしょう。
しかし、これを耳にする人々の意識は依然として"他人事"の範疇を出ないように思います。

もちろん、"自分が自殺とは無縁"であるという側面から見れば、他人事なのかも知れません。
しかし、この認識は少し誤ると「自分の周りでもそんなことは起こらない」という認識に移り変わります。
この認識は残酷で、例えその人の周りに自殺願望を持つ人間がいても、それに気付くことを困難にします。

悩む友人に対して「落ち込んでいるだけ、どうせ死なない」「なんやかんやで立ち直る」なんて思っていたら、本当に自殺をしてしまう。
そんな残酷なことが起こりかねません。


自殺願望を持った自分と周りの人々

私は現在、高校3年生です。
受験期真っ盛りですが勉強に手が付きません。
今こそそんな自分も認めて過ごせていますが、勉強に挫折した際、以前まで学歴至上主義的な考え方をしてしまっていた僕には過去の自分と現在の自分のギャップに思い悩まされ、「何も出来ない自分なんて」と自殺願望を持つまでに至りました。

その時、私が感情を表に出したいタイプの人間なのもあり、両親を含む周囲の人に自分の気持ちを吐露しました。
しかし、私の辛さと真面目に向き合ってくれた人は1人だけでした。
学生なんてなにか嫌なことがあれば「死にて〜笑」なんて軽口を叩いてしまう生き物です。
私が辛いと思って、本気で死にたいと思っている気持ちでさえ、「そんな事言うなよ笑」「皆もやってるんだから笑」なんていうあしらいを受けてしまうこともありました。

その時ふと思い浮かんだのは、自殺のニュースを聞いた人々の言葉でした。

『周りの人に相談をして』
『嫌なことからは逃げてもいい』
『無理せず休んでいい』

私はこれを思い出し、『ああ、皆無責任だな』と感じてしまいました。

私の逃げ場はどこにあったのでしょうか。
逃げろなんて言われても、逃げる場所なんてなかったのです。

前述の通り、『自殺は他人事』という意識はこのように「板挟み」の状態を作り出してしまうことがあります。

自殺をしてしまった方々の中には、このような板挟みの状況に置かれてしまった方も少なからずいるのではないでしょうか。


最後に私が思うこと


私は日本は『自殺に冷たい国』だと感じます。

自殺のニュースを耳にしては同情する人も多いでしょう。
しかし、残念ながらきっと人々は他人の自殺にそれほど興味なんてないように感じます。
きっと心のどこかで、「ドラマのワンシーン」のように捉えてしまう、別の世界線のモノのように捉えてしまっている人もいると思います。

体験して分かることですが、案外自殺願望なんていうものは簡単に持ててしまいます。
それが明確な自殺願望ではなくても、心のどこかで「消えてしまいたい」と思うことは誰にでもあると思います。

ただその考えに拍車をかけるのも、止めるのも周りの環境が大きいです。

周りにそのような方がいる可能性は十分にあるということ。
そのような方がいたら、是非逃げ場を造ってあげてください。

逃げたいのに逃げられないというのは、本当に辛いです。

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以上が私が『自殺との向き合い方』というものに対して考えていることです。

自殺願望を持ってしまったそこら辺にいる高校生の一意見として捉えて頂けると幸いです。

ここまで読んでくださり
ありがとうございました。