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空気の研究 山本七平 “コロナ禍の空気を読む”

「空気が読めない」ちょっと古い言葉でいえば「KY」
そもそも空気とはなになのだろうか。

新型コロナウイルスの影響で、これまでとは違う生活を求められている今こそ、「空気」について少し考えてみたいと思った。


「空気」とはなにか。
「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪


著者は、「空気」について考える具体例として、ある発掘調査をあげている。

日本人とユダヤ人が共同で、毎日のように人骨を運ぶこととなった。それが約一週間ほどつづくと、ユダヤ人の方は何でもないが、従事していた日本人2名の方が少しおかしくなり、本当に病用状態に陥ってしまった。(中略)発掘の『現場の空気』に耐えられず、ついに半病人になって休まざるを得なくなった。(P33-34)。

骨はただの物質で、特に有害でもない。でも、大量の骸骨を目の前にすると、私も気持ち悪くなってしまうだろう。この理由について著者は・・・

物質の背後に何か臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受ける状態。「臨在感的把握」である。
「臨在感的把握」は感情移入を絶対化してそれを感情移入だと考えない状態にならねなばならない。(P34、39)
「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である(P19)

「臨在感的把握」そこにあるモノに、何か特別な意味を見出してしまう。
例えば、神社でよく買う「お守り」もその一つであろう。
冷静に考えてみれば、物質的にはただの布と紙。
しかし、そこに何かが宿り、願いを叶えてくれると信じるから「お守り」であることができる。

これは「アニミズム(物神論)」とも言え、著者はアニミズム=「空気主義」だともいう。どういうことか。ここからは、この数か月間に私たちが経験した新型コロナウイルス流行下における「空気」とともに考えていきたい。

言葉やスローガンが「空気」を作り出す 権力者は「空気」を利用する


著者は、モノ以外にも言葉やスローガンにも「臨在感的把握」が行われるという。具体例として次の言葉を挙げる。

「正義は必ず勝つ」「正直者がバカを見ない世界であってほしい」(P79)。

この言葉が絶対化(疑われることなく絶対的な地位を占める)されたときは要注意だという。これ以外にも「努力すれば報われる」というよく聞いた言葉だ。教師、監督、上司、力を持った人間がよく口にしていた。
しかし、「努力しても報われない」という事実は必ず存在する。
ただ、その存在を覆い隠してしまうことが「空気」による支配ということなのだ。

著者は、「空気」による支配を逃れるためには、相対化することが重要だという。上記の言葉を相対化すると次のようになる。

「正義は必ず勝つ」→「敗れた者はみな不義なのか。敗者が不義で勝者が義なら権力者はみな正義か」
「正直者がバカを見ない世界であってほしい」→「その世界ではバカを見た人間は全部不正直だということになってしまう」


「ステイホーム」「自粛」の絶対化で生み出された“自粛警察”

では、コロナ禍におけるキーワードを例に考えてみたい。


安倍首相をはじめ、小池都知事など多くの都道府県知事が、多用したこのキーワード。新型コロナウイルスの感染リスクを下げる一つの手段として呼びかけられた。
メディアにも「文字数」や「時間」の制約があり、キーワードはわかりやすく、歓迎されるものである。未知なるウイルスへの感染を恐れることから、私たちもこのキーワードを受け入れた。世の中には「ステイホーム」「自粛」があふれ、「自粛ムード」が生み出された。
キーワードが絶対化され、「空気による支配」が成立した。

虐待やDVなど家庭に困難を抱え、自宅にいることがつらい人。
自宅にずっといることを我慢することが難しい子どもやその親。
そうした存在が覆い隠されてしまう傾向にあったのではないか。

その結果、 “自粛警察”なる市民同士の監視が生み出された。権力者にとって、自粛警察は都合がいい。金をかけなくても市民同士の監視を促すことができる。日本において、ロックダウンをしなくとも、「空気による支配」で、人々の動きを制圧されたのだ。


「新しい生活様式」が広がることへの危機感

著者は「空気」について次のような側面もあるという。

次から次へと変わり、対象が移った一時期はこれに呪縛され、次に別の対象に移れば前の対象はケロリと忘れるという形になる(P73)。

緊急事態宣言が次々と解除され、日常が戻りつつある。
そうした中で、国は新型ウイルスのリスクがある中で「新しい生活様式」を打ち出した。人々の関心も「自粛」から「新しい生活様式」に移っていく。

この「新しい生活様式」が絶対化されることに危機感を覚えている。
国が示した実践例を見ても、本当に実現できるのか疑問を持てるものもある。それゆえ、絶対化されるリスクは低いのではないかと楽観視している。

では、危機感の所在はどこか。「新しい生活様式だ」といえば、なんでもまかり通ってしまうのではないかということにある。

例えば、「9月入学」についての議論。
唐突に出てきた話だが、一部の政治家は「9月入学」までも新しい生活様式だという
言論も見受けられる。今後、このキーワードが多用され、「新しい生活様式だから考えないといけない」と思ってしまうのではないか。それは、「空気による支配」が続いていることになる。

「水を差す」ということ

著者は戦後の反省を例に、「空気」を崩壊させるのは「水を差す」ことだという。

戦後の一時期われわれが盛んに口にした「自由」とはなんであったか・・・
それは「水を差す自由」の意味であり、これがなかったために日本はあの破滅を招いたという反省である。
「竹槍戦術」を批判した英雄は、「竹槍で醸成された空気」に「それはB29にとどかない」という「事実」を口にしただけである。(P182ー183)

「布マスク2枚作戦(アベノマスク)」を筆頭に、科学的、統計学的根拠に乏しい、「空気を読んだ」政策が現政権下で生み出されている。

そして、今後も「空気」の政治的な利用が繰り返されていく。
「空気」はこの日本からなくなることはない。

「布マスクは意味ないでしょ」「家の中にいるのがつらい」などなど

過去の歴史の反省から、「空気」に「水を差す」ことが、未知なるウイルスと共に生きていく私たちに求められることではないだろうか。

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