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全集中の食事、3週間の氣付きと食後のマイ作法

今回は #全集中  の食事 #ながら食べ #鬼滅の刃 #断食でもファスティングでも1日1食でもなく #テレビが全家庭に普及するまでは #アトピー治療 #小麦とお米 #国産小麦のパスタ #器をすすぐ #修行僧のお食事 #漆塗りの器  などについて書いています。何かしらお役に立つことがあれば幸いです。

先月会社勤めを辞め、時間に余裕ができたことと、ちょっとしたきっかけから始めた「全集中」で食事をいただく、ということを始めて、執筆時で4週間目に入っています。

元々小食で、食べることよりしたいことがたくさんあるので、ダンナさんがいなければ頻繁に食事を抜いていたかもしれません。全集中の食事を始めてから、結果的に一日の食事の量は減っています
この過程で氣付いたことがたくさんあり、記録して読んでくださる方がいるならシェアしたいと思い、このシリーズの投稿を始めました。

断食、ファスティングでも一日一食でもなく、食べているものの質はこれまでと同じまま。現在は、回数も量も特に決めず、ちょうどこのタイミングで変化した自分の生活の都合に合わせ、お腹が空いたら、食べられるタイミングで食べたいものをいただくという形です。
ただ、1人でいただく時は食べものに全集中するということだけを守っています。終始全集中できているとは言えませんが、アタマが別のことを考えているのに氣付いたら一旦横へ置き、食べものに意識を戻しています。

ところで「全集中」はお察しの通り、『鬼滅の刃』から直感を得ました。今回は書きませんが、実は昨年再発したアトピーの自己治療でも「全集中の呼吸」が助けてくれたのです。そこから、「全集中」のキーワードで周波数ロックオンです(笑)
吾峠呼世晴先生、本当にありがとうございます!

手書きのメモはあるものの、遅筆のため編集が追い付かず、2週間目から現在までを概観してまとめて記録することにしました。

その前に、具体的な現在の食べ方をまとめておきます。

・一日の食事を、軽食(コーヒーと牛乳に、チーズ、落花生、チョコレート少しずつ)と、しっかりの1食または軽めの2食
・1人の時は ”ながら食べ” をやめています(夫はテレビを見ながら食べたがっていたので)
食事の前には、天地の恵みと神々様、この食べものを与えてくださった方々への感謝をしてからいただきます
・目を閉じて五感に全集中します
・目の前の食べもの一つ一つを、よく噛み、良く味わっていただきます
食べ終えたらまた感謝を意のります

という何の変哲もない、全ての家庭にテレビが普及したころまでは多分当たり前だったであろうことです。
罰当たりなことに、そんな当たり前のことをほぼ初めて試みてきた約3週間のミクロの氣付きをまとめると次の通りです。

変わってきたこと、氣付いたこと

・味覚、嗅覚が鋭くなった→薄味で満足する糖度の高い加工品を美味しい、食べたいとあまり思わなくなってきている
・よく噛んでゆっくりいただく→これまでと同じ量で満腹感がある(間食が殆どなくなる、食事の回数が減る)
一日の運動量によってお腹の空き具合や食べたい量がはっきり変わる
・食事の回数が減ると好きなことをする時間が格段に増える
・食べることにかける時間と費用が減って楽になった
・全集中を毎日することで自分の無意識(前意識)の動きに氣付くのが早くなってきた
空腹時にイライラしやすくなることがなくなった
・以前はアタマで食べていたのがカラダとココロでいただくようになったと思う
・パンより玄米を食べたくなる(小麦食にしたいときは家事や用事の都合、疲れなどで手っ取り早く食事を済ませたい時が多い)
・体調、お通じは概ね良好だが観察中
 (会社勤めを辞めたことや、主に自分の内側を見つめる他の自己流ワークの影響もあると思う)
・体重は直前の記録を取ってないが大きな変化は多分ない
・アトピーについては前後で特に大きな変化はないがやや軽快
 (昨春30年ぶりに再発し、全身に広がり皮膚科にかかっていた昨夏頃と範囲や重さを比べると、通院、処方薬をやめ市販の一番弱いクラスのステロイド剤に切り替えてから、真冬にかけて既に範囲が10分の1くらいに縮小しており、この3週間では大きな変化はありません。ステロイドをどのように使い、どう減らしたかなど昨夏の治療記録の後日談もまた書きたいと思っています。)

そして、3週間目に入ってからですが、小麦の食事になんとなく ”無理” を感じるようになってきました。小麦のパンや麺は大好きなのですが、優先的にいただきたいのはお米なので食事の回数を減らすと自ずといただく機会が少なくなってくるのです。そこで改めて小麦食についてあれこれ考えを巡らせることになりました。というわけで、ここに書けることはわずかですが、少し脱線して今回改めて考えたことを少しシェアしたいと思います。

【脱線話①】小麦とお米

小麦と言えば、小麦粉。お米と違い、小麦は粒のままでいただくことはまずありません(大麦等は押し麦がありますが)。粉にすることで「練って成形する」という創造力ゆたかに食欲をかきたてる人の手が加わり、全く異なる食べものが生まれるというのは改めて考えると面白いことです。お陰で形を変えた小麦製品を飽きることなく何かしらで殆ど毎日いただいていますので、粉の歴史を振り返るとここは小麦に軍配の上がるところでしょうか。

一方で、原料の価格の差は今回はさておき、お米は粒のまま蒸したり炊いたりするだけでも食べられますが、小麦は粉にする、水や調味料などを加えて練る、寝かせる、その生地を延ばすなどして成形する、加熱する、などいくつもの工程が必要です。同量の熱量(カロリー)分をいただくのにかかる費用は高くなって当然なのですが、時に、同じ熱量なのに茶碗一杯のご飯と大差ない値段で販売できるものがある理由は考えてみた方が良さそうです。

主食となる食べものの生産は風土と人と文化と深く結びついたものなので、できる限り自分の住む土地の近くで採れるものを「主食」として食べていくということを、遥か遠くから介入する人々の意図も酌みつつ、今一度考えることになりました。
とは言え、私は昔からパスタだけは余計な意識なくなぜか大好きなので、これからもいただくと思います。大好きなのは具だくさんのボロネーゼや和風の味付け。そんなパスタでも多くて週1回くらいですが、もしも小麦が無くなったら、他は諦められてもパスタロスになりそうです(笑)
そういえば昨年の緊急事態宣言で輸入が止まり、スーパーの棚からパスタがほぼ消えるということがありました。その後、北海道産小麦を使ったパスタの乾麺が棚に並んだのを見て私はよろこび、即買いでいただきました。つるんとなめらか、少しモチっとしてやわらかめでしたが、私は氣に入って何度か購入していたのですが、棚が輸入品で埋まっていくと跡形もなく消えてしまいました。その後、国産小麦100%のパスタでとても美味しいものが見つかり、そのパスタのことを忘れていましたが、初めて見つけた時はうれしかったです。お店にリクエストしてみようかな。

修行僧の食事に観る「誠実」

そして、毎日いただくのはやはり日本人の主食、「お米」です。
当然、毎日意識する「ご飯」とお味噌汁の食事で氣付いたこと。
全集中の食事を始める前、食事が終わるとこんな感じでした。

ご飯の最後の一口を口に入れると、
まだ噛んでいるのに、器を視界の外に置く。
汁椀も同じように空になるやいなや脇へ避ける。

これには、”よし終わった!”という意識があったことに氣付きます。
それが全集中でいただくようになってから、無意識にこんなことをしていました。

口の中の固形の食べものが喉へ送られて無くなると、
僅かに残る味を舌できれいに拭い取る。
再び目を開けても空の器はそのまま目前に。
そして空の器を眺めると、湧き上がったように手を合わせて感謝をのる。
「ごちそうさまでした。」自然に頭が下がる。

そしてその後、突然なんとなしにこんなことを始めていました。

食べ終わった飯椀にポットの白湯を50ccほど注ぐ。
器に残った飯の粘りを湯でふやかしながら箸で静かにこそげ落とし、
ひと口飲んで味わい、残りの湯を汁椀に移す。
汁椀の内側に残った大豆粕や節粉(出しに使っている鰹節の粉)を
椀を回してさらい、それを最後にいただく。
俄かに残る香りや味の余韻を、椀と同じように綺麗にさらい、
すっきりとこの食事を修了する。

その、ここちよさ。
外なら決して行儀のよい作法とは言えませんが、自宅だから構いません。

それが、なんとも、ここちよかったのです。

これはカタチ的には、実家で終戦前生まれの両親が飯椀にお茶を注いで飲んでいたのを毎日見ていた記憶や、随分前にETVで高野山のお坊様方の修行の様子を紹介した番組で観た、うろ覚えですが次のような記憶があったから出た行為だろうと思います。

塗り(漆)の椀に塗りの箸でお粥を食べ終えると、
一枚残してあった沢庵で椀の内側を拭って食べ、
白湯で濯いでその湯を飲み干し、
最後に懐紙で椀と箸を拭い、器を元に戻す。

さらにうろ覚えですが、そのまま次の食事で使う、というナレーションが入っていたと思います。だからそんな風に椀を濯いだのだと、その時は単純に思っていました。

でも、無意識にした自分の行為で、あのお坊様方の食事の作法は、「生きものの命をいただいている食事に向いた真心から自然に生まれたもの」だったのではないかと、そんな氣がしました。食べものに対する「誠実」が自ずと同じ形になって表れたのであったら、うれしい。

念のためのおことわりですが、私の場合は陶器の器に拭き漆(*)の箸でそれをやるのですが、陶器の椀と塗り箸(漆でもウレタン塗装でも)でやることは塗りが傷むのでおすすめはいたしません。

ところで、ダンナさんの前で食事前の意のりをしたことがないはずなのですが、ここ1週間ほど、ダンナさんもテレビなしで食事を採るようになってきました。私の変化を感じているのかな。

【*脱線話②】漆塗りのうつわ

今でこそ飯椀やお皿は陶磁器が一般的ですが、焼き物の器は土以外にも釉薬や焼き釜等の設備、燃料が必要で、一から手作りするのは難しそうです。一方、木材から好きな形を削り出し、器を長持ちさせる漆を塗った器や箸は、市販もしている漆の扱いを学べば自分で作ることもできそうです。どちらも経験ゼロです(笑)
自分で器をつくるというのは、一度してみたいことの一つです。当たり前に目の前にあるものを自分でつくるという体験をすると、モノを見る目が変わり、モノの後ろにいる沢山の人々の存在を実感することができると思うのです。

焼きものの器も大好きですが、汁椀はやはり漆塗りがいいなと思っています。5年以上前だったと思いますが、母からプレゼントしてもらった塗りの汁椀で毎日の味噌汁をいただくようになりました。
拭き漆(摺り漆)やウレタン塗装はやはり数年で剥げていくのが氣になりますが、塗りの汁椀は、毎日使いますがまだ何ともありません。木の箸が当たるときのやわらかさ、唇に触れる滑らかな丸み、唇や持った手を驚かせることのない安心感のある木のぬくもり。末永い汁の友。大切に毎日使っていきたいです。

ところで、漆塗りは殆どが中国産です。国産の漆塗りもあるとは聞くのですが、漆塗りの産地でも手の届く価格のものはやはり中国産。国内の産業を応援したいという氣持ちから国産があればいつかほしいと思ってきましたが、ざっくりした知識だったので改めて調べてみました。

そもそも漆塗りに使える「ウルシ」の木は中国原産の植物で、後に日本で「漆」や果実のロウを採るために植栽されるようになったと言われているようです。日本在来の「ヤマウルシ」の樹液は漆塗りには使えないのですね。触ったりするとかぶれるのは、ヤマウルシやハゼノキ、ヤマハゼ、ツタウルシというウルシ科の木も同じだそうですが。

国内のウルシの木から採る樹液(漆)の生産量は日本で使われる漆の2%で、あとは中国産(2013年時点)とのこと。ウルシの日本での植栽においては樹木の病気など管理技術の課題があって、すぐに増産というわけにもいかないようです。国産は一部の文化財や工芸品に優先して使われるようですので、一般人が使う漆塗りの器は中国産に限られそうですね。

拭き漆(摺り漆)でも、摺り込み→拭き取り→1日以上乾燥、という工程を何度か繰り返して漆の層を重ねていくので、大変な手間と時間をかけた仕事です。塗りも同様に何度も塗りと乾燥を繰り返して漆の層を厚くしていきます。
中国でも日本でも、漆生産者の方、加工の作業をしてくださる方々に感謝いたします。

参考:
ウルシの健全な 森を育て、 良質な漆を 生産する【PDF】│独立行政法人 森林総合研究所
拭き漆の魅力│【Kasane】山久漆工株式会社
摺り漆技法│藤井漆工芸株式会社
うつわの技法 木 表面仕上げ編 | うつわのいろは | cotogoto
葉で調べる樹木の見分け方 ~夏編 1「ウルシ」

今回のヘッダーは

びのびた さんからお借りしました。

お仕事を辞めて佐世保で農業をされているそうで、こんな生活に憧れます。人それぞれに違い、時が変わればまた変わっていく「豊かさ」。
私にとっての豊かさとは…。またの機会に。
びのびたさん、清々しさあふれるお写真をありがとうございました(*^^*)

今回も一投入魂。ここまで読んでいただきありがとうございました。
目標の1日1投にはまだまだトレーニングが必要です^_^;


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