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実家終い①(闘いの幕開け)

「あーーうるさいうるさいっ!!今やるからそれ以上言うな!!」
「他のことしようと思ってる時に限って言ってくる!うるさい!!」

「宿題やりなさーい」って言った時の思春期boy思春期girlかしら?と思っただろうか。残念ながら違う。
これは、実家の片付けを勧める私に対して父が何度となく言い放った台詞である。(思春期のboys &girlsの方がまだかわいい)

うちの父は、オタク気質でコレクター気質。…だと思う。
趣味も競馬(私が生まれる前)→Mac(Macintoshだった頃)→カメラ→コーヒー→英会話…などと変遷してきてるけど、都度都度そのグッズを集める、そして取っておく。どうやら父の興味は上書きでなく新規フォルダ追加方式らしく、古いMacもカメラもコーヒーも英会話もそれにまつわるグッズはもれなく取ってある。英会話のテキストから、カメラやパソコンが入っていた外箱、新しいOSにアップデートするためのCD-ROMなどまで。(一生使わねーだろ)

実家はそこそこ広い二階建ての一戸建て。けど祖父母も共に暮らす二世帯住宅だったので、私たち家族が使えるのは2階のみ。父、母と子ども3人の5人家族だったので、父の部屋として与えられたのは3畳くらいの狭い部屋だった。
その3畳に書棚2つとPCラック、事務机となんか高そうな社長椅子をテトリスみたいに詰め込み、部屋に入ってできることは椅子に座るだけ。書棚2つとPCラック、事務机に囲まれて、なんかのコックピットみたいになってた。(なにこの家ロボットに形態変化でもすんの)もちろん書棚にはみっちみちに本やら書類やらが入れられた上、昔のでっかいパソコンやプリンタ、映像編集のための機械など、事務机にも物が所狭しと置かれていた。(地震来たら終了)

その後、私たち子どもも巣立ち、祖父母が亡くなり、二世帯住宅をリフォームすることとなった。父母も退職して高齢者の仲間入りを果たし、広々2階建住宅の1階部分を主な生活スペースにして暮らすようになったのである。つまり2階がまるっとフリースペースとなった。勘の良い方はこの後の展開に気づいて心がザワザワっとなっていると思うが、その通りである。今まで3畳のコックピットでみちみちしていた父の物は徐々に2階の侵食を始め、気づけば2階はほぼ「俺(父)の部屋」と化した。

昨今の「モノは少なく」「空間にゆとりを」とかいう風潮とは全力で逆を行く父に対して、母や私は「少し片付けようよ」と折りを見て声をかけたものである。そうすると返ってくるのは冒頭のあの言葉。怒って声を荒げながら言われるからこっちも気分が悪いし、なんか面倒くさくなってそれ以上言わない。そんなに怒るんなら自分でなんとかしろ、いざ片付けようって時にいっぱいお金かかることになったって私は知らねーぞと思っていた。幸い母は「私たちも歳をとっていくし、少し物を減らしてスッキリ暮らしたい」と言ってくれていたので、家を出た私たちが残した漫画やゲーム、母が捨てたいものを少しずつ断捨離した。が、一度スッキリ片付けてしばらくして実家に帰ってくると、空いたはずのスペースに父がどこからか持ってきた物が置かれているのである。(絶望)(一歩進んで二歩下がる)

そんなこんなで全然進まない実家の断捨離。
それがある出来事がきっかけで一気に動き出す時がくる。


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