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モネの光を追って

モネの大作としてよく知られている連作《積みわら》や《睡蓮》は晩年に描かれた作品なんですね。

今回その作品の一部が見れるという事で、中之島美術館で開催されている展覧会『モネ 連作の情景』を行ってきました。


良くある展示構成として、メインで押し出している画家の師や同時代に活躍した作家など関連人物を紐付けて出展されることがあるのですが、今回はモネ一色。連作に焦点を当てた展覧会で、のちにモネの妻となるカミーユと息子のジャンが描かれた《昼食》も日本初公開。タイトルの通り、全てモネによる作品が一堂に会し、会場はモネの作品が放つ優しい雰囲気が漂っていました。

現実を客観的に描写する写実主義に対して、外光に照らされた建物や人物、空気のゆれ動きなどの”印象”を描いた印象派。
1874年に開かれたサロン(官展)で展示されていた、モネの作品《印象ー日の出》が名前の由来となっています。

モネは印象派として明るい色調の作風を確立するまでは、古典的な様式の風景画や人物画なんかも描いていました。

18歳で画家を志しパリで活動を始めた頃は若手画家の登竜門であるサロンへ何度も出展し1870年には初入選を果たしますが、保守的なサロンでは当時のモネの革新的な表現は受けいられれず、その後落選が続きます。

19世紀、産業革命で近代化が進むフランスで当時の若手画家たちに大きな影響を与えたのはチューブ型の絵具の発明でした。

のちに「印象派(Impressionism)」と呼ばれるこの画家たちは、持ち運びが可能となったチューブ型の絵具をたずさえ、当時は最新鋭だった蒸気機関車に乗り込むとヨーロッパ各地へ出掛けていきました。
モネもその一線でフランス地方に出向き、精力的に活動します。

《サン=ラザール駅》1877年、オルセー美術館
Wikipediaより参照

ちなみに、この頃のモネは蒸気機関車の連作もいくつか手掛けています。
同作品も有名な作品の一つでもあります。(今回の展示とは無関係です)

▽以下より展示作品

《ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ》1904年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー
《ウォータールー橋、ロンドン、日没》1904年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー

刻々と移り変わる情景を目の前に、モネは一度に複数のキャンバスを用意して、陽光を受けて変化してゆく風景を描きました。

50歳を目前に、危険な断崖や岸辺まで趣き、潮風と突風に晒されながらも夢中で描いたモネは、当時の印象派のなかでも稀な存在だったようです。人が行き交う市街地よりも、人影のない森や海辺での制作が好きだったそうです。

その後、セーヌ川の下流に位置するジヴェルニーへ移り住み、終の住処となりました。71歳で白内障と診断され、目を悪くすると作風はより抽象的な表現に変わっていきます。

《藤の習作》1919-20、ドゥルー美術歴史博物館
モネの直筆サイン
《睡蓮》1897-98年頃、ロサンゼルス・カウンティ美術館
《睡蓮の池》1918年、ハッソ・プラットナー・コレクション

86歳で亡くなるまで広大な自邸の庭で今に語り継がれる連作《睡蓮》を描き続けたモネ。当時としては大往生のスーパーおじいちゃんだったわけです。

満足のできない視界で描きあげた自作が、こうして今世界で愛される大作になろうとは思っても見なかったでしょうね。

視力を失った後も、彼の追い続けた光の輝きは、亡くなるまで消えることはなかったのでしょう。


——ありのままの姿を描く。
見えるものが全てではないんだと、
今回モネからそう教わった気がしました。




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