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#164 ”名前の理由”

昔の流行歌「銀河鉄道999」を歌っていたグループ ゴダイゴの「ビューティフルネーム」では、”Every child has a beautiful !” のフレーズを繰り返していました。「呼びかけよう名前を、素晴らしい、名前を!」

「名前をつける」こと

 自分の子供が産まれた時、「名前を決める」ことについて大いに考えました。「幸せな人生を送れますように」というメッセージを込めようと、既に世の中にある色々な人名や、人名漢字の文字の意味、音の響き、などなどを考えました。選択肢が豊富な中で、どれを選ぶかということは、迷いがありました。画数による姓名判断も、先人の無難な(問題が少ないであろう)名前を決める、ある意味 ”心の安静” をもたらす知恵かと思います。その行為自身が「幸せな人生を送れますように」の一つの形かと思います。

「分かりやすさ」も

 ちなみに、私の名前「明」アキラは、父親が”普通"には読めない珍しい読み方で、誰からも初対面で名前を正しく呼んでもらったことがなかったそうで、「自分の子供には初対面で読みやすい名前にしてあげたい」という思いがあったそうです。これも「幸せな人生が送れますように」の一つとも取れます。

 「明」の文字は普通 ”アキラ” 以外には、普通は読めないですよね。(これは自明で、明(あき)らかです、笑笑。)この漢字一文字、父親の漢字の一文字を単に取っただけの文字と中学生の頃までは思っていました。でも最近は、「明るい」は”日”光と”月”光の二つの明かりで「24時間営業の照明」、あるいは対応するかと思われる英語”Bright”と”Light”は(分からないことを理解する)と(暗闇と照らす)とも意味が取れ、奥が深い名前だなぁーと最近は思っています。 (もしかして、そんな奥深いことこの名前をつける時に考えていのかな? 自分が親になってわかったのは、漢字一文字に気持ちを込めるのは、二文字に込めるより難しいということです。)

「理由」が必要?

 最近気になるのは、「○○の理由は?」と、あまりにも皆すぐに質問したり心配することです。私を含めて現代人の多くは「理由がないものは無い」と普段考えている気がします。『理由なき反抗』などは許されないかのように、全てに原因・結果・規則(いわゆる因果律)が必ず存在していると考えがちです。学校で教わること、特に自然科学系の分野はこれがとても「便利」ですから、証明と説明と予測ができて大いに「役に立つ」ことがわかっています。ついこの勢いで、自分たちの「心の働き」も”因果律”で説明と問題解決をしたくなりがちです。 でも、実際の私たちの心を「一言で説明する」のはほとんどの場合は無理です(無力です)。むしろ「説明はほぼできない」と言うべきのようです。「理由を探す」よりも、「繋がりを探す」あるいは「関係性を探す」ことの方が大切に思えてきます。それは原因とのつながりではなく、存在のつながり、過去よりも未来とのつながりの方が大切な気がします。近頃、そんなことを時々考えています。

 この辺りのことは、河合隼雄さんの退官記念講演がYouTubeに載っています。(この内容については、とても一度のNote記事では書ききれないので、またいつか別の記事で複数回に書くことにします。)

さだまさし『いのちの理由』

 ラジオから流れてくる歌詞で、心の琴線が震える体験が今までに数回あります。さだまさし『いのちの理由』もその一つです。「私が生まれてきた訳は、、、、」というフレーズが、計10回曲の中で繰り返し現れます。自分の子供が産まれてから聴くと、子供の視点と親の視点の両方からこの歌の意味がジワリジワリと沁(し)みてきます。繰り返し聴いているうちに、(いいことばかりで無い、時にはしんどいことがある、でも一人ではない、みんなと繋がっている)ということが心の中で、”琴の線”が響き合うように感じられます。

 さだまさし公式 YouTube

「名前をつける」理由

 「名前をつける理由」とは、何でしょうか? 私が思うには、1)存在に意味があるもの、2)区別する価値があるもの、3)意識の対象になるもの、などなどです。「存在」には、必ずしも理由はいらないと思います。あえて言うなら、「今存在している事が理由」かなとも言える気がします。

 「名前をつけること」は、「いのちを見つけること」とも言えると思います。生まれた子どもに名付けることを「命名」と言うのは、家族・社会に受け入れる人としての進化の過程で身につけた社会の知恵だと思います。そう、それが「名前の理由」だと思う、今日この頃です。