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#185 "ある日突然" 違いがわかる

TVのドキュメンタリー番組などで,研究者が動物の顔を見ただけで名前を呼んで区別するのを見ると,スゴイナァーと毎回驚かずにいられません.シマウマのように”個性”が分かりやすそうな場合だけではなく,同じにしか見えない対象を区別できるとは,,,.まさに”特殊能力”と思えてきます.ただし,よく考えてみれば私たち人間も,互いに区別できているので”一般能力”なのかもしれません.

”仏さまのお顔”どれも同じ?

 私は,昔は「仏像」のお顔,どれも同じ”に見えていました.”なんとなく”は違いは感じても,”はっきり”とその違いを感じていませんでした.たとえるなら,外国人の方のお顔を”パッと”見たときに,見慣れた日本人ほどその違いを感じられないのに似ていました.

国宝「雲中供養菩薩像」@平等院鳳凰堂 

 ”ある日突然”,その日は訪れました.仏像のお顔の違いが”ハッキリ”と感じられる日です.20年以上前に京都宇治の平等院鳳凰堂を家族で訪れた時でした.

  神社仏閣を訪れるのが好きな私は,子どもたちを連れて日帰り家族旅行によく出かけました.仏像や絵画の展示方法の多くは,薄暗くその輪郭をくっきりと見せないことがありません.素人の想像としては,紫外線などを当てると劣化が進むのを避けるため,あるいは,はっきりと見せないことで”有難さ”を演出するためかもしれません(独り言です).

 平等院での見学を終えた後に,宝物館を改装してできたばかりの美術館(平等院鳳翔館)を訪れました.空間演出,特に光の当て方に感動しました.中でも一番感動したのは,雲中供養菩薩像(国宝)の表情がとても”生き生き”と感じられ,ハッキリと菩薩像のお顔の違いを感じたことです.家族と見学しながら,52躯の菩薩像の一つ一つを見ながら,「この表情イイねぇー」と言いながら見て回りました.私が気に入った”味のある”お顔が,鳳翔館入口付近の特設コーナーに特に大きく投影され解説があり,博物館のスタッフの方の”お眼鏡”(選択眼)と私の”好み”が一致していて少しいい気分でした.”凡人”な私は黙っておれず家族に,「さっきいいなぁーと言った仏像があるってことは,お父さんの目もプロ並みだなァー.」と威張っていました.ここに来るまでは,どれも同じお顔にしか見えていなかったことは黙っていたのに,,,(笑).

 興味がないから?違いを見つけようとしないから?好きでないから?どこにその原因があって,区別がつかないかは私にはわかりません.”違いの分かる大人”というCMフレーズが昔流行りましたが,”その日”は多分突然やってきます.例えば,私はそれまで全く興味がなかったクラッシック音楽やラテン音楽に,ある日突然”目覚め”,その違いが分かり好きな曲が幾つかできました.ワインやウイスキーも,ある日突然,わかった気がしました.仏像の表情・所作の違いも同じです.あの平等院訪問がその日でした.