考え続ける。 〜終わりなき旅〜
今日は、ずっと考えていた。
1つ自分の中の発見したことがある。
散歩の要領で、外を歩いていると、ものすごい集中できることがわかった。
これは1つのスタイルになるかもしれない。
まあそんな訳で、外歩きながらずっと考えていた。
作品のこと、今後のこと、そして、恋とか愛について、。
最近はこのあたりのことばっか考えてるなぁ。
その中から、今日は恋とか愛について、僕が考えていることを書こうと思っている。
単刀直入に話すなら、高校時代の恋のことを思い出してたと言おうか。
色々大変なこともあったけど、すごく輝いてる記憶だ。
でも、高校を出て大学生になると、関係が変わっていくのだ、なぜか。
大学生になれば、本当の意味で「夢に向かって走る」ことになる。
その時、お互いがお互いを求め合う、みたいな高校生の頃の恋は、邪魔になるのだろうか。
自分では、精一杯大人の恋みたいなのをやってきたつもりだったが、全然そんなことはなかったのか、と思ったりもした。
でもここで、諦めたくなかった。
思考を放棄し、感情を投げ出したくはなかった。
だから考え続けた、必死で。
ここまで読んでいただけたらなんとなくわかるかもしれないが、今日は「結論はこれ!」みたいなことはしない。
なんと言おう、「わかった」とかなったらもう終わりな気がするし、それって実は何もわかってないと思うのだ。
その上で、今日考えたことを言おう。
愛って、信じられないくらい厳しいのかもしれない。
もしかしたら、今まで「本当の意味で愛した」ことってなかったのかもしれないと思うくらい。
動物としての愛、物質としての愛じゃなくて、人間としての愛。
それはもしかしたら、
その人がその人であることを、ただ認めること、かもしれない。
何かをもらうこと、何かと交換に「愛する」のではなく、その人がその人であること、その存在そのものをただ認めること、それが愛することなのかもしれない。
愛した相手からの見返りに満足するのではなくて、その人を愛していることそのものに、自分自身で満足するものなのかもしれない。
そんな厳しいこと、到底できていなかった。
それができた時、どんな風になってるのかすら、はっきりとはわからない。
そんな愛を行えたなら、相手を付き合わなくてもいられるのかもしれない。(今の自分からすれば、そんなこと想像できない。)
そんな愛を行えたなら、人間として最も崇高な幸せを築けるのかもしれない。
そんな愛を行うことは、人間としての最高の成熟の証なのかもしれない。
先に行ったように、これはわからない。
ただ、1つ確かに思ったことがある。
もしも、そんな愛を育んだ人と生涯を共にして、
最後の時、「あなたと人生を歩めて良かった」と言ってもらえたなら、人生は幸せだった、と言えるだろう。
僕は今必死に考えている。
過ごしてきた恋の時間。
それはここで終わるのか。道はないのか。どうしようもないのか。
わからない。でも、諦めるわけにはいかない、諦めたくない、そう強く思っている。
だから、
こうして必死で探しているのだ。この出会いが、まだ続いていくように。
Aitoでした。