川内倫子さん『そんなふう』
2022年12月26日、恋人と一緒に、クリスマスプレゼントを探しに行った時のこと。
渋谷の本屋さんで、写真家の川内倫子さんのエッセイ集『そんなふう』を見つけ、裏表紙の言葉に釘付けになった。
いつか私は母親になるのだろうか。子育てをうまくできるのだろうか。子どもをしんどくさせるのではないか。母親になる可能性を持った身体で生きていることがこわい。
そんなふうに考えていることを共有しているからか、ぽつりと「この本、ヒントになりそう。」と言ったからか、恋人はクリスマスプレゼントに『そんなふう』を贈ってくれた。
夫の存在
川内倫子さんが書く夫の存在は、最も近くにいる他者のような、尊重し合うけど干渉し合わない隣人のような、互いが個であることを守ったパートナーのような、かろやかな表現をされていた。
その上で、夫の言葉が光を呼んだこと、夫から受ける理解や共感への喜び、夫と共有する痛みなどが、景色の見える言葉で書かれている。
読みながら「夫と妻っていいな。こういうことが私にも起こるのかな。そうだといいな。」と考えた。
縁は迎えにいくもの
エッセイに書かれた様々なエピソードから、川内倫子さんは縁を大切にされている方だと感じた。
結婚パーティーで祝辞をお願いした人。
台風の日に一緒に過ごした友人。
家を建てることを決めた土地。
夫の出身地。
20年以上使っている湯呑み。
人にも土地にも物にも、縁を感じ、大切に繋いでいく川内倫子さんの生き方から「縁は待つものではなく、迎えに行くもの」だと学んだ。
私の恋人もまた、驚いてしまうほど縁に恵まれた人で、眩しい。
川内倫子さんと恋人に共通するのは、縁に気づく視点を持っているところ、見えないものを縁と呼び受け入れられるところだと思う。
死と世界の美しさは隣り合わせ
いくつかのエッセイに、死ぬことと生きることについて書かれている。
川内倫子さんの言葉に触れれば触れるほど「死と世界の美しさは隣り合わせである」と感じた。
生きることの美しさを写真として残されている川内倫子さんの視点だからこそ、説得力があった。
夜中に海沿いで小説を書いていた21歳の私が、このまま海に飛び込んで消えてしまいたいと思っていたこと。
23歳の私が同じ海を見て、海の美しさに涙して『夜の川』を作詞作曲したこと。
全てを遠くから肯定してもらえた気がした。
自分を持て余す
川内倫子さんは「自分を持て余す」という言葉を、エッセイ中で何度か使われている。
抗えない無力さを受け入れると同時に、自分の持つ力を見つめているからこそ、選択できる言葉だと思う。
私は「自分を持て余す」という言葉を知ることで、初めて「自分を持て余したくない」と思えた。
そして、自分を持て余さずにいられる場所を探そうと思えるようになった。
母親にしか得られない感覚
出産と育児の記録が綴られた1冊を通して、母親になることで様々なことが昇華される感覚に、ほんのりと期待したくなった。
幼少期の痛み、辛い思い出。
孤独感や切なさ。
不安。
これらを、川内倫子さんが母親として生きる中で昇華させたことにも、川内倫子さんが美しさと同時に痛みや切なさを目にしていたことにも、そこはかとない安心を覚えた。
初めて、女性として生きる人に憧れた。
付箋でいっぱいになった『そんなふう』と、『そんなふう』の感想を書き込んだノートを持って、滋賀県立美術館へ行き、川内倫子さんの特集展示と企画展を観たことは、また別のエッセイで書こうと思う。
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