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子どもが、親や大人のいうことに疑問を持つようになるとき

先日、中学生が書いた作文が通勤途中の駅に貼られていたのを、たまたま読みました。

タイトルは「子どもの医療費は無料じゃない」

↓要約するとこんなことが書かれていました↓

無料だからという理由で病院に行くことは本末転倒で、決してしてはならないことだ。

(子どもが)病院に行ってもお金がかからないのは、税金から払われているからであって、医療費が無料なわけではない。

僕は、無料だからこそ、大切に使える人になりたい



子どもは、至極真っ当なことを、まっすぐに主張できる強さがあるなぁ と思った。

このまっすぐさは、どういう経験によって失われていくのか?

この子は食物アレルギーがあって、ずっと抗アレルギー薬を飲んでいるのだと書いていた。

「これで本当にアレルギーは治るのか?薬を飲んでいれば平気だけど、1日でも飲み忘れるとアレルギー症状が出る。この薬は一生飲み続けなければならないのか。」

「お母さんは、無料なんだし、薬は飲んでいた方がいいよと言う」

そんなことが書かれていたのでした。

大人の言うことに対して、本当にそれが正しいことなのか?ただ言う通りにするのではなく、自分の頭で判断するようになってくるのは、9〜10歳頃とされています。

(これを他律的道徳性から自律的道徳性への発達と呼びます)

子どもが、親や大人の言うことをよくきいて、鵜呑みにしてくれると、親や大人は手が掛からないので、楽です。

大人が指示したことや言ったことに対して「はい、そうですね」と忠実だった子どもが、善悪の判断を自律的にするようになってくると「なんでそうするの?本当にそれが必要なの?」となってきます。

そのことで、親は育てにくさを感じたり、対応の難しさを感じるでしょう。「いいから言うことを聞け!」と力で言うことを聞かせたくなるかもしれません。

ただ、自分で判断しようとする芽を摘んでしまうと、自分で判断できなくなってしまいます。子どもが将来勤めた会社が例えばブラック企業だったり、例えばモラハラ上司に遭遇した時にも、「会社の言う通りにするのがいいのだ」「上司の言っているように自分は無能な人間なのだ」となりかねません。

だから、面倒で時間がかかる作業ではありますが・・子どもが疑問を持ったときに、親は親なりに自分がそう思う理由をちゃんと伝える、子どもの意見にも耳を傾ける、そうした対話が必要です。

アレルギー薬を素直に飲み続けている子どもが「これで本当にアレルギーは治るの?薬を飲んでいれば平気だけど、1日でも飲み忘れるとアレルギー症状が出る。この薬は一生飲み続けなければならないの?」と疑問を持つようになったきたら、それは間違いなく成長の証なのです。

突然そう言われても、とっさにうまく答えられないかもしれません。でも、その場ですぐに上手く答えなくたっていいのです。

親だってすべての正解を知っているわけではないので、「今度病院に行ったときに、お薬のことお医者さんに一緒に聞いてみようか?」と提案したり、もう中学生なので「薬以外で、アレルギーをよくする方法について、自分なりに調べてみたら?」と言っても良いと思います。

大切なのは、自律の芽を摘んでしまわないこと。また、子どもが疑問を持ったときは、親が自分自身の判断について本当に善なのか?見直すチャンスであるとも言えます。

「本当にそうすべきなのか?」子どもと一緒に考える姿勢を見せることで、自分も子どもも、きっと今より成長していけることでしょう。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。何かのヒントになれば、幸いです。




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