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『ホテル・ハッピーエンド』

城下町に住んでいた。という書き出しでこの物語は始まる。主人公のヤコは城下町で育ち、子供の頃はお姫様に憧れた。

場面は現代に戻りヤコは14歳、中学2年生だろうか。今はそんな煌びやかな生活とは無縁の、平凡な学生生活を送っている。ただ1人と、その契約を除いて。

この一段落目は、すこし現実離れしている。それは「お城」の描写が子供の頃のヤコの視点でしか描かれていないから。
「夏期講習」や「千葉から東京」といった固有名詞が出てはじめて中世のイギリスの宮殿の話ではないことがわかったけれど、この書き出しにわたしは強く惹き付けられた。

そして、全体を通して「お城」の表現が綺麗だった。
「電車から見えるきらびやかな電飾」というフレーズにたどり着くまで、わたしはこの「お城」をラブホテルとしてイメージすることができなかった。

それは、幼少期のわたしも、街にお城が建っているとおもっていたから。作者は、ラブホテルをお城かと思い込むという誰にでもあるような経験を緻密な表現で、ここではヤコの心情描写として語らせることによってどんどん世界に飲み込んでいく。
飲み込まれるのは不思議な感覚だった。

例えば、ナギと契約を結ぶ前のこと。当時のヤコはまだラブホテルを「お城」として認識していたのだろうか。わたしはあんまり想像がつかなかった。

その出来事はきっと、ヤコにとって「ナギはヤコの王子様にはならない」ことを知った瞬間でもあるだろう。だからせめて、ナギを召使いにしようとした。
ナギもその時、好意を持たれていることには気づきながら、ヤコの気持ちに最大限寄り添うために召使いになった。

しかし、この物語の重要人物(言い方を変えれば、ヒロイン)であるのが召使いのナギなのだが、ナギの素性は物語を通してほとんど明かされない。というか、ヤコがあまり知らない、という表現が正しいのかな。

その中でわかることは、ナギも嵐もとっても優しいこと。
2人ともヤコの好意に気づきながら、召使いとして契約を全うするって、ふつうの大人だったらあんまりできない気がする。


この物語は14歳、子供と大人の中間である歳の少女が、「お姫様」を諦めて大人になるおはなし。

ナギは優しい2人の想いに(文脈では勘違いの罪悪感から)、子供扱いされるのはもうやめよう、と思いたつ。12時を過ぎても家に帰らなかった。好きなひとのお姫様であることをやめた。
彼女の魔法は解けてしまったけれど、ひとりの人間に、大人になった。『シンデレラ』の設定とからめているところがとても綺麗で、なによりこの物語は「ハッピーエンド」だから素敵なのだ。

どろどろとした関係から語り手の感情が解消されない、という特徴は百合小説の良さでもあるのだが、普遍にもなりうる。だからこそ、紛れもない「ハッピーエンド」として解消してくれたこの作品には、普遍なハッピーエンドよりも特別な感情を抱いた。

それは「子供」特有の力強さでもある。
子供には未来があるから、つらいことがあっても「大人になった」という脱皮を通じて成長することができる。

それは、ほんとうは大人だって一緒なのに、大人になったわたしはその過程を忘れてしまっていた。失敗を失敗として受け止めて、だれかを傷つけたこんな自分なんて、と考えてしまっていた。
だからこの作品は、前を向いたヤコの感情の力強さに背中を押されるようにも感じた。

そして、「子供だからと」引きずっていたヤコの感情・「子供じゃないからと」前を向いたヤコの感情を、正確に描写することができる作者はほんとうにすごいとおもう。
わたしの子どもの時の感情なんて覚えていないし、成長した覚えだって特にない。
どうしたら子供の感情を(想像して)描写することができるようになるんだろう。

ゼミの活動で本を執筆することになった。それも中学生向けの。わたしも大人になれるだろうか、待っているのは、ハッピーエンドだろうか。



2年前の文フリで一目惚れして購入してからなかなか手を付けられずにいましたが、素敵な作品でした。はやく読んでおけばよかった、ありがとうございました。

またね。

藍白
2023.03.12

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