藍白

ことばがすき

藍白

ことばがすき

最近の記事

『ホテル・ハッピーエンド』

城下町に住んでいた。という書き出しでこの物語は始まる。主人公のヤコは城下町で育ち、子供の頃はお姫様に憧れた。 場面は現代に戻りヤコは14歳、中学2年生だろうか。今はそんな煌びやかな生活とは無縁の、平凡な学生生活を送っている。ただ1人と、その契約を除いて。 この一段落目は、すこし現実離れしている。それは「お城」の描写が子供の頃のヤコの視点でしか描かれていないから。 「夏期講習」や「千葉から東京」といった固有名詞が出てはじめて中世のイギリスの宮殿の話ではないことがわかったけれ

    • 『推し、燃ゆ』

      3年間ずっと名前しか知らなかったから、推しが炎上した話、主人公の「推し」と取り巻く環境を書き手が紐解くお話だとずっと勘違いしていた。 実際は、ぜんぶ書き手の話だった。書き手にとって「推し」はまさしく背骨、書き手の中枢だった。 「推し」の炎上から卒業に至るまで、あかり(書き手)は「推し」の変化に気づきながらも愛していることは変わらないから、と盲目的な愛をやめない。 あかりはほとんど推しのために退学し、仕事も覚えられないバイトでなんとか推しに貢ぐ生活を送る。その中で、病名は伏せ

      • 『斜陽』

        私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。"太宰治『斜陽』 この世界で生きていて、おかしくなった人はおかしくないんだ、とおもわせてくれるような作品だった。 人間には生きる権利があるように、死ぬ権利もあるのではないだろうか。ただし、母が死ぬまではその権利は留保される。 この作品が認められていることが、わたしの世界にひとつの居場所を作った。 真面目でいることが恥ずかしいから、周りに馴染むために羽目を外した。けれど、それで得られたものはちっともなくて逆に息苦しさを

        • 「ハニービターハニー」

          恋とは何か、わたしのそんな疑念にひとつの解答を与えた。恋心は言葉では表せないけれど、確実にそれに近いなにかに触れたのがこの作品だった。あまくて、にがくて、あまい。名詞の甘さがあまったるかったり、あまくなかったり。 ビールも煙草もにがくて泣いてしまう。不快ではないけれど。 愛じゃないんだよ。人は何かを得ようとするときに何かを失う。愛を、相手を引き換えに自分を失う。慣れてしまえば、失って空いた穴も埋めることができるのかもしれない。だけれど、子供と大人の間のわたしには、その穴は

        『ホテル・ハッピーエンド』

          『リーガルリリー YAON 2023』でみつけた光

           2023年7月2日、小望月の夕暮れ時。日比谷野外音楽堂で、ひとつの扉がひらいた。野音に声が響いたとき、雨が上がったんだな、とおもった。ばかばっかの戦場にいのちが流れていた。  人生ではじめてのライブだった。はじめてで、右も左も分からないわたしを3人が手をにぎって連れていってくれるような感覚だった。ギターが耳に、ベースが心臓に、ドラムが脳にわたしの知らない衝撃を与えた。あれは、ほのかさんがこの地で2013年に緑黄色社会に受けた衝撃と、おなじものだったのかもしれない。  わた

          『リーガルリリー YAON 2023』でみつけた光

          「白い薔薇の淵まで」

          クーチと塁が愛し合ったあとには、クーチの脳髄の裏側に白い薔薇の花が咲く。純粋な愛の証拠であるその表現を、とてもいとしく感じた。 この小説を知ったきっかけは、紬さん(@sunrce)という方がTwitterに投稿していた紹介文だった。 わたしはこの文章に強くこころを惹かれた。同性愛に興味をもっていたのもひとつの理由だし、愛の間に溺れていて、でもたしかに生きている言葉を受け止めたいとおもった。 学校の図書館に置いてあることを知って、すぐに手を伸ばした。 しかし、そこに描かれ

          「白い薔薇の淵まで」

          「夜空はいつでも最高密度の青色だ」

          はじめて詩集というものに触れた。twitterでいくつかの文を見る機会があって、最果タヒという詩人を知った。 はじめの印象は、絶望を与えてくれる存在だった。どうしてかわからないけど無責任な希望を与える現実に対して、絶望を与えてくれる詩は、わたしにとって共感的で、唯一寄り添ってくれる存在だと思えた。 詩集を読んでから、わたしという人間の存在とか、愛とか、死生観について、最果タヒの視点もくわえた多角的な理解ができた気がする。 でも、今まで読んだどんな本よりも難しかった。自分で

          「夜空はいつでも最高密度の青色だ」