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「ハニービターハニー」
『どうしてこんなにも、彼のことばかり考えたり求めたりしてしまうのかということだけ。』
恋とは何か、わたしのそんな疑念にひとつの解答を与えた。恋心は言葉では表せないけれど、確実にそれに近いなにかに触れたのがこの作品だった。あまくて、にがくて、あまい。名詞の甘さがあまったるかったり、あまくなかったり。
『……なんでも許せるなんて、恋してないからなんだろうね』
『でも、全部許せるなら、愛だよ』
『それはすごく残酷だけど、救われることだ。』
ビールも煙草もにがくて泣いてしまう。不快ではないけれど。
『あたしは、こういうことがしたかったんだろうか。』
『息を吐き出すようにして笑うあたしは、たぶんみんなから、いつもと何ら変わりなく見えただろうと思う。けれど、もう、あたしは変わってしまったのだということを、何よりも自分自身がわかっていた。確かに何かが失われたのだ。処女とかそういうもの以外に。目には見えない何か、けれどそこにあったはずの何かが。』
愛じゃないんだよ。人は何かを得ようとするときに何かを失う。愛を、相手を引き換えに自分を失う。慣れてしまえば、失って空いた穴も埋めることができるのかもしれない。だけれど、子供と大人の間のわたしには、その穴は大きすぎるものだった。クレアチニン、くれあちにん。
『鮮明なのに、遠い。』
恋なんて、勘違いに等しい。人だまりにいくと、みんな勘違いをしていて、勘違いのおはなしをきくことができる。その物語はどれも苦くて、だけれど裏側にはどこか目を惹きつけられるような甘さがある。
お菓子は焼き時間を間違えてしまえば、甘かったはずのものがくろこげになってしまう。もしかしたら、あまいとにがいは表裏一体なのかもしれない。甘くなれないと上手に苦くなることもできない、そんな人生。
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