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気持ちのやりとりができない人はいる

「話が通じない・・・」と感じ、
やりとりができなくなってしまった体験が何度かあった。

わりと「ごく当たり前な」NOやリクエストを受け取ってもらえず
すごーく疲れるやりとりを何度かした後に
「あぁ、この人はわたしの気持ちはどうでもいいんだな」と理解して
それ以上のやりとりをあきらめざるを得なかった。
(どうしたらよかったのだろうと度々考えるが、「誠実すぎるんじゃない?」と身近な人から言われることがある)

その人の目に映っていないと感じるとき。
心のお庭にずかずかと踏まれているような感覚が残る。

もしかしたらその人に悪意はないのかもしれない。
もっと大きないたみを抱えていたり、
気質とか先天的な何かがあるのかもしれない。
そう思ってみても、自分の中の乗り越えきれていないいたみの種がズキズキと反応しがちだ。

わたしには自らそういう人に近づいてしまう、という傾向もあるのだろう。
助けを求めているから少しでも力になろうとか、もっと気楽な感じで警戒心もなくとか、めんどくさそうなヤツだけれどそこまでとは思わなかった・・・とか。

工夫するとしたら
・どういう人か観察をする。
・イヤなことをする人か、NOに対して合意形成をとる人かを見る。
・自分にはむずかしそうな人なら距離を置く。
・心の内側の会話はしないことを徹底する。

・・・まずは自分を守るのが大事だなぁと思う。

いや待てよ……


「できることなら気持ちでやりとりがしたい」のはわたしの都合だ。
わたしはうまくやれないけれど、ありがたいことに世の中には色んな人がいるから誰かがうまくやってくれるだろう。

でもちょっとだけ・・・いや、大いに?「それくらいはちゃんとしようよ」とか思ってしまう時もある。
自分の当たり前を押し付けてしまっていたのだろうか。
その人にとっての当たり前じゃなければ押し付けなのだろう。

思い返せば最初から「わからないやつ」ってどこかで線引きしているかも。
うわ、性格わっるぅ~。

自分の中の見えない「みんな」がいてその基準でカテゴライズしている。
「わからないやつ」もおもしろがれるくらい余裕を持ちたい。

話は飛ぶが

今日、「わたしはなにはなくとも愛されている」とか思えたらそんなんどうでもいいって思えるかな、とふと思った。
「愛されていない世界」から見ているからそんな現実を見るのかな。

そんないたみもさらっと流せるように・・・なるといいなぁ。
お互いがお互いのままでいていいって本当の意味で思えたら・・・いいなぁ。ま、理想だけどなw

なんて夜は更けているのにどこまでも真面目な自分に呆れながら終わる。

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