アイデンティティの確立

以前、エリクソンの発達理論のメモを書いた。

この中でアイデンティティの確立というのが、しばしば、問題になる。

アイデンティティの確立をすることがしばしば重要になるということで、しばしば、両親と子供の関係を論じる際に、この話が出てくる。

実際、昔、教わった先生も似たようなことを言っていたから。

ただ・・・子供VS親、ならびに、アイデンティティの確立とアイデンティティの拡散という、二項対立で考えていいかと言われると疑問が残る。

実は、それを考えるきっかけになったのは、投稿者M(実は私の知人)からこんな話を聴かされ、後、このような国民生活センターに寄せられたトラブルの事例があるから。

実は怪文書2の方には書いていないが、実際のところ、国民生活センターのような事例らしきものを耳にしたらしい。

具体的には、就活関係の高額商材を購入させられそうな際に、「親に相談したい、一度帰って考えたい」と断ったが、「親に相談しないと決められないのは自立が足りない」「今ここで決められないのは社会人としてやっていけない」というような強引なことを言われたのを目撃したとか。

正直言って、アイデンティティの確立は、こういったヤバい勢力からも自立して、断れることが重要だと思うが、親への相談と金策の相談というのを、「自立ができていない」といったことを言う詐欺師に利用される危険性があるのではないかと思っていた。

確かに毒親のケースというのがあるので、支配下に置かれるような状況は非常にまずいと思うが、わざと、親との対立を煽ったり、親から切り離そうとするのは、果たしてどうか?と。

それと、終身雇用があった親世代の時代は終わったので、これからは、非正規雇用の時代とか言っている大学教員がいて、親の時代は終わったということを繰り返すが、実際問題、単なる非正規雇用の職員を欲しがっているだけでは?という感想しかなかったし、親の世代のやり方の方がよかったこともあったはず。

にも、関わらず、親の時代は悪かったといったことを吹聴する大学教員もいた。自由とかグローバルとか、何も考えずに、喚いているような連中だった。新自由主義信者の一派だとは思うが、今のような退廃的な状況を見て、「今がいい」と果たして言えるだろうか?

わざわざ、親の時代を悪かったとし、今の時代を肯定させようとするのは果たして、どうなのか?という感想しかなかった。若ければいいわけではない。はっきり言って。若者を持ち上げて、何か、まずいこと、例えば、安くこき使うといったことを、やらせたりというのが見え見えだったし、やりがい搾取をしたいのでは?という風潮もあった。

そういうことを考えると、果たして、親と子の対立を煽るのはいかがなものかと、考えざるをえなかった。

それに、中学生を中心として、反抗期というのは確かにあるが、反抗よりも説得をすることに重きを置くべきでは?という感想まである。単に、よくわからん理由で反抗しているのもいるし。

なんとなくだが、「アイデンティティの確立」という言葉を利用して、「自称親からの自立」とか言い出すが、その内実は、ロクでもないことをやらせようとしている連中がいるのでは?という疑念がある。

そのため、この「アイデンティティの確立」はどういう事象を元に考えたのか?どういう状況ではこの発達理論は有効で、むしろ有害になりかねない状況はないのか?ということを考えるべきだと私は思う。

そのために、是非とも、エリクソンの書いた原著を今こそ、読みたいと思っている。問題はどこで売っているかだけど・・・。

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